時々、ご神域からメッセージが降ろされます。<o:p></o:p>
これは特殊な人しか出来ないと思われていますが、多分、どなたでも感応できることだと思います。
ただ「自分には無理」とか「興味ない」とか「そんな事は非科学的だ」という概念が邪魔をするのでしょう。 私は あんまり何も概念が無いタイプなので降りやすいのだと思います。
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この度の感応は次のような言葉で感じられました。
「これからお前に 大きく荒々しいものが来る。 お前はそれをひどく辛く思うだろうが、しかし、お前は それを 神の領域から見ることにするのだ。
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すれば何ごとも゛神の道に通ず ゛事となり、お前は自分の成すべきことが、自然 、 見えて来ん。<o:p></o:p>
すべては幸いに通ず。<o:p></o:p>
神の領域から見ん。 これ幸いなり」<o:p></o:p>
というお示しでした。<o:p></o:p>
看病していた猫のクリリンが本日、息を引き取りました。 数週間に及ぶ点滴も手当も及びませんでした。<o:p></o:p>
生まれた時から虚弱だった彼は「愛してるよ」というメッセージを私に与えて、そして逝きました。<o:p></o:p>
1年半の命を愛いっぱいに過ごしました。<o:p></o:p>
「これからお前に 大きく荒々しいものが来る。 お前はそれをひどく辛く思うだろうが、しかし、お前は それを 神の領域から見ることにするのだ。」というメッセージは この事かと思います。<o:p></o:p>
消える命を 神はどのように捉えていらっしゃるのか<o:p></o:p>
私は考えています。<o:p></o:p>
生まれる命、消える命。 それは神からみれば「尊い繰り返し」なのだと云われます。<o:p></o:p>
命は やって来て、そして戻って また来ます。<o:p></o:p>
神の領域から 命を見ます。
尊い出会いをいただきました事を感じます。<o:p></o:p>
私は感傷的になって泣いたりもします。 それは人間だから、そうなるのです。
たくさん泣いて、そして 思います。<o:p></o:p>
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また会おうね。 クリリン。 愛してくれて ありがとう。<o:p></o:p>
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