安珠のブログ

運命は自分でつくるもの。その方法をお伝えします。

忘れられた神社

2011-12-08 | リーディング

 

祈る人がいなくなった神社を見かけます度に、神様に対して申し訳ないような思いがしたり、祀られた存在からの「寂しい」という波動をキャッチしたりします。

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何年かして、その土地の人を介して、神社の供養をする巡り合せになった事もあります。<o:p></o:p>

 

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つい先日は自分の家の敷地内にある稲荷神社をどうしたら良いか相談されました。

 曾おばあさんが勧進なさったとのことですが、子孫に恵まれずにいるので、自分の代で信仰も終わりになりそうで申し訳がない。

その場合 神社やご神体はどうなるのか、という内容でした。<o:p></o:p>

 

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「毎日、参拝してはお詫びをしています」という相談者さんに案内されて敷地内の神社を拝見させていただきました。

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参拝させていただきながら天地創造の神様にお繋ぎさせていただいたところ、お稲荷神社から「これで恥じなく帰れる」という言葉を感応したしました。天地創造の神様に承諾をいただいてからお役を終えられることに深い感謝の波動でした。

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もし、人間の詫びの念もなく、主神に通ずることもなく神社を閉められた場合、それは「恥じ」であり「無念」であるのです。<o:p></o:p>

 

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人びとや作物などを守護する役割で降りてきたのに、人間の都合や信仰心の欠如から隅においやられる。 そして忘れられる。

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今回のご相談者様は信仰の心とお詫びの心の持ち主でいらしたので、私の挨拶がすんなり通ったのでしょう。<o:p></o:p>

 

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町々を歩くと すっかりと存在を忘れられた神社を多く見ます。 参道が車道で寸断された神社も数多く存在しています。

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敷地内の神社はボロボロなのに自分の家は立派な人もいます。<o:p></o:p>

 

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これでご利益を願うのか? <o:p></o:p>

 

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神の境地に立ちますと、これはどう映るのでしょうか  <o:p></o:p>

 

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コメント (1)
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