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雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

上司に恵まれるって大事なこと

2018-09-01 02:39:28 | 仕事
相変わらず心が折れたまんまで、きちんと復活は出来てはいないのだけれど、その中でひとつだけ
『ああ、なるほど・・』と思わされる?気が付く?納得する?そんな出来事は有った。

新しい会社に入って最初の土曜日に工程会議があり、新人の私はじっくりゆっくり見て聞いて人のウオッチングを
させてもらったんだけれど、何が凄いって、社長の凄さに驚いた。
営業・設計・製造など皆、自分の担当案件をちゃんと把握していればいいんだけれど、彼ら以上に社長の状況把握力が
凄かった。
皆突っ込まれタジタジだった。どれ程的確な指摘だったか。
営業もしている社長、あれだけ忙しくてよく時間有るねと感心した。

私は社長のこと、30数年前から知っている。
当時機械商社に居た私の会社が、社長の元居た会社(メーカー)と付き合いがあったから。
機械のことをよく知っている賢くて穏やかで優しい人だった。
その時の会社が後に倒産し、路頭に迷ってどうしたものかと困った社員仲間5人で新しく会社を興して25年だそうだ。
小さいけれど今や押しも押されもせぬ立派な会社になった。キレイな右肩上がりで業績は伸びる一方だ。
そのほとんどが、社長の頭の中のお蔭だ。
頭が恐ろしく柔らかい。アイデアがどこから?と思うほど次から次へと湧いて来る。
設計ではないけれど、設計顔負けの知識と発想だ。
ただそのことは私は前から知っていた。
辞めた、前の会社に居た時は私は、今の会社からモノを購入する立場だった。
そんな付き合いを社長とはずっとして来た。いっときのブランクはあったが。
だからただ”アイデアがいっぱい湧いて来る穏やかで優しい〇〇さん”としか思ってなかった。

でも社長として接して、初めて社長の本当の凄さと言うのを知ったよ。
そりゃそうだわね、そうでなくっちゃここまで来れなかったよねと、つくづく思う。
どれ程しんどい目して苦労して会社をここまで育て上げて来たんだろうと、改めてしみじみ思った。
社長の歴史を思った。
ただの優しいだけの人じゃなかった。
仕事人としての社長の凄さを目の当たりにして、私はただただ感激と言うか感動と言うか、そういうのを覚えた。
この人に付いて行けば大丈夫って思ったね。そんな風に思えるのって超久し振り。

最初に働いた機械商社(30歳で初めて会社勤めをした私)の社長が凄いモーレツな人で、とんでもなく鍛えられた。
右も左も分からなくて怒られまくって、誤字脱字、字のきれいさから始まって、ツーと言えばカーみたいにアシスト
出来なくてはダメで、要求のステージが上がって行っても、厳しいその人に付いて行こうと必死だった。
モノが食べられなくなり痩せた。毎晩仕事の夢を見た。今より15kg痩せていた。⇒ここ言いたかった(^_^;)
でも、”正しい”仕事の仕方の一から十までを教えてもらい、その時があるから今の私がある。
もう何も怖く無かった。どこへ行っても通用すると、よその会社を知ってそう確信した。
だから、その時の社長にも感謝だ。今も付き合いがある。時々訪ねる。

で、何が言いたかったかと言うと、上司に恵まれるってこと、有難いこと。素晴らしいこと。
厳しくても出来る上司の方が良い。傍にいて自分も成長出来る。
出来の悪い上司に当たる程、不幸は無い。
そういう意味では私はラッキーと思っている。
厳しくても信頼出来る人が良い。

と言うことで、ぼちぼち心入れ替えて頑張る。


私のアシストをしてくれた女性たち

2018-08-16 03:33:58 | 仕事
会社を辞めたことで、思いがけない人から連絡を貰うと言う出来事があった。

辞めた会社(D)の前の、同じグループの解散した会社(C)で一緒に働いていたAさん。
彼女に私がD社を辞めたことを連絡したのは、C社でもD社ででも一緒に働いていたBさんだった。
AさんとBさんと私はC社で一緒に働いていた仲間。
C社が解散して全員が一斉に退職した時、Aさんは産休中だった。
彼女は同じC社の違う部の人と結婚していた。
私とBさんはD社に再就職したけれど、Aさんは産休中だったしAさんのご主人も違う会社に行かれた。
ただ、連絡を取り合ったりして付き合いはそれなりに有った。

Aさんは、営業アシスタントとしては完璧に近い人だったと私は思う。
先ず非常に明るくて元気で愛想が良い。お客様の名前を、自分が直接面識がある訳でなくてもよく覚えていた。
書類の作成だの清書だの(まだ最初はパソコンでは無くてワープロの時代だったと思う)も超早かった。
仕事が早い。その代わり私も彼女に頼む時は、原稿そのものに間違いが無い様気を配った。
彼女は資格をいくつも持っていた。気配りも凄かった。
ルーティンの仕事、規則性のあること、時間が区切られていることなどでも『お願いっ!!』と頼むと、気落ち良く
引き受けてくれたり『〇〇さん(私)の仕事は特別言うこと聞いてあげる』と、割り込みなども許してくれたりした。
とても一緒に仕事のやりやすい人だった。
姉御肌だったな。

夫々が別の会社で働いていて何年も経ったある日、休日だったと思うのだが彼女から朝電話があった。
”どうしたんだろ?こんな時間に。珍しい”と思って電話に出ると”御主人が亡くなった”と言うのだ。
私はにわかに彼女が何を言っているのか分からなくて、『えっ!?何て?何て言ったの?』と聞き直した。
聞き直したけれど聞き間違いではなかった。事故だった。まだ40歳くらいだったのでは?
夫婦仲が良くて、子どもさんは男の子2人。
D社ででも皆が皆、C社で働いていた仲間ばっかりだったから、大騒ぎだった。
お通夜ご葬儀と彼女にかける言葉も無くて、上の空みたいに過ぎ去った・・・。
その後しばらくしてから年賀状も来なくなりメールを送っても返信が無く、私は『まだ誰とも話す気にもならない
んだろう、会いたくも無いだろう』としばらくそっとしておいた方が良いと考えて、こちらから連絡はしなかった。

その彼女からのメールが来たのだった。
何度かメールをやり取りし、最終的には電話で話もした。
『C社の誰かに普通に会えると思うまで5年かかった』
『C社で夫婦で働いていたことを思い出すと、まだ笑っては話せないかも・・・』とのことだった。
でも会社を辞めた私を心配して連絡をくれたのだった。
確かに私はD社を普通に辞めていたら、彼女には一番に報告しただろう。もうリタイヤしたよと。
でも不本意な辞め方をし、これで終わるつもりのなかった私には、まだ辞めましたと報告する時期では無かった。
彼女に連絡をしてくれたBさんも、そしてそれを聞いたAさんも、私が失意のどん底にあると思ったのかも知れない。
心配してくれて・・・。有難いことだ。

私は彼女が嘆き悲しんでなかなか立ち直れ無いこと、多分少しは理解出来る。私の母がそうだったから。
父が亡くなったのは70歳である。平均寿命よりは少し早いかも知れないが、特別早過ぎると言うことも無いだろう。
まあ急ではあったが。母は嘆き悲しみいつまで経っても父の話が出るだけで泣く様な人だった。
母があまりに嘆き悲しむものだから、私は父を失って悲しいと言う娘としての自分自身の感情を押し殺して母と
接していた。涙も流せなかった。
母にとっては伴侶だから。そりゃ私とは悲しみが違うのかも知れない。
仲が良い夫婦って、こういうものなのだと、それを知らない私には驚きと言うか感心に値するものだった。

Aさんの心の傷は、多分ずっと癒えることなんか無いのかも知れない。
でも例え少しでも元気を取り戻して前のような明るかったAさんに近付ければいいねと思う。
『子どもさんたち大きくなった?』『もう上は大学に入りました。下は高校生です』
我が家に遊びに来た時、やっと伝い歩き位の赤ちゃんだった子が・・と、そこで私は又も胸がいっぱいになる。
彼女も泣いている。

私はこれで終わるつもりは無いし、見返してやらなくてはならないし・・・と言うと『それでこそ〇〇さんですぅ』と。
私がちゃんと再就職出来たら、一度会いたいねと電話を切った。
C社が解散して皆がバラバラになってから、割と若くして亡くなっている人が結構居る。
昔の仲間の訃報に接するたびに、あのままC社が存続していたら、亡くなった人たちは今ももしかしたら元気で居た
かも知れない・・・と思わずにいられない。

Aさんに連絡してくれたBさんは、私がD社を辞めるついこの間まで、一緒に仕事をしていた人である。
Aさんみたいに元気でちゃきちゃき(Aさんは昔そうだった)しているタイプでは無いが、彼女も又仕事をきちんとする
人だ。非常に几帳面。
ルーティン以外の変則的な突発依頼はあまり好きじゃなかったかも知れないが、でも最終的には無理は聞いてくれた。
客先に提出する書類など、内容はともかく名前日付頁数工事№などなど、彼女のチェックは非常に厳しくて、私は何度か
指摘され、修正して貰ったりして、どれほど助けてもらったか分からない。
非常に理解力に優れていて、頼んだことはこちらが望んだ通り思った通りのモノを仕上げてくれた。

アシストしてくれる人が優秀ってことは、特に営業は凄く助かる。
そういう人たちに巡り会えたことは幸運なことだったとつくづくしみじみ思う。
有難う。感謝してます。

だらだらと”会社辞めました”に付いての愚痴 その2

2018-08-10 11:55:44 | 仕事
会社辞めると間髪入れずに孫たちが泊まりに来た。夏休みだからね。
それはいい。しんどいには違いないが、自分にとって孫たちのことは別枠だから。
一番小さいのが『おばーちゃん、会社3日も休んでいいの?』と。
この孫はおばあちゃんがバリバリ仕事しているのが、どうも好きらしい。
ウイークデーに休むことを気にしている様子。
だから娘には、今フリーであることは言わなくていいからね、またそのうち働くからと。
散々騒ぎ(親が居ないので羽目外す外す!)連泊して帰ったわ。やれやれ・・・。

そうこうしているうちに会社から”離職票”だったかが届き、速攻ハローワークへ行こうと。
しかし、だ。
私は6月が嘱託契約月。7年間自動更新して来たって訳だ。
社長は”契約満了に伴う退職にして、引き継ぎ業務の為1ヶ月間延長したってことにすればいい”と
最初は言ってくれた。
でもそれが叶わなかった?
そして辞めた理由は”自己都合”。
辞めた理由が”自己都合”なら、失業保険(私の年齢は高齢者受給給付金とか何とかという)はすぐに貰えない。
3ヶ月くらい待たなければ貰えない。
そして”会社都合”と書くのは会社の為にはよくないらしい。
”解雇”とかもすぐには受給出来ない。普通の定年退職だとか契約満了だとかの、言わば双方穏やかに納得の上
辞めた時だけってことだ。私の場合は勿論、会社が辞めろと言った訳では無いが、理由が理由でしょ?
コンプライアンス云々と言い出したら会社にとっては結構厄介なことになるんでは?と思いもしたが、そこまで
やるつもりも自分は無いから、唯々諾々と従いました。
そしてハローワークへ行き事情説明し、泣きつき、早く欲しいと訴え(だって今月は収入が無いんだもの)
希望を言ってどこかを受けるつもりはあると話をして、検索もしてもらって、又次来てねと。
多分3ヶ月も働かずには待てないので、すぐに貰えないならさっさと決めなくてはね。
何社か面談もしたよ。決まってないけれど。

本当は元々、来年68歳で会社は退職するつもりだった。
しかし、思いがけず1年前倒しで、それも急に辞めざるを得ない状況になった。
会社側は誰も辞めろとは言ってないと言うだろうがね。
好きだった営業の仕事を、何の心の準備も・お客様に対するお知らせも・引継ぎも、時間を掛けてゆっくりと
心残りなくきちんと丁寧に、出来なかったことは、自分にとっては全く納得出来るものでは無く
決して”本意”ではない。
思いはいっぱい残っている状態。
だからまだ今の仕事はやる。やりたい。自分の中で完結していないから。
今は少し夏休み。
様子を見て又頑張るさ と思っている。

で、辞めた会社の仕打ちのひどいことがまだ有った。
退職の前日に本社に挨拶に行った。退職の手続きもあるので。
そこで総務に言われたことは、7月分のお給料は手取り10万円位しかないと。
”はぁ!?何で??”
住民税は前年の収入に合わせて本年6月分給料から新たに引かれるのがスタートする。従ってあなたの場合は
残りの7月~来年5月までの11ヶ月分、先に7月のお給料から引いておくと。なので、会社を辞めても来年の
5月までは住民税請求されることは無いからと。
『ちょっちょっちょっと待って!!!何で11ヶ月分も先に払わなあきませんの?』
いや、正確には10ヶ月分だが。
しかし『7月分の収入が10万円なんて、生活出来ない。今月分だけ正当に引いて下さい。来月分からは
請求が来たらその都度自分で払うから。先に10ヶ月分も引かんといて下さい』
頼みもしていないのに・・・。そんな決まりでもあるの?

まだある。
健康保険の任意継続をお願いした。
銀行引き落としにする為に、事前に銀行にも印鑑貰って本社に提出していた。
8月に入って数日、健康保険協会から封書が届き、保険証が入っているかと思いきや、”書類が不備です”と。
保険協会に提出する自動引き落としの申込書が、原本では無くてコピーだった。
朱肉の押してある原本が必要ですとコピーが送り返されて来たのだ。
本社総務に電話し、『コピー取ってますか?』
『取ってるよ』と言うので、『その紙確認して下さい。朱肉押してない?原本じゃない?』
すると『朱肉のついたものだよ』と言うので、『それ原本ですよね。保管の為にコピー取るのはいいけれど
間違って原本保管してコピーの方を保険協会に送ってるんですよね?』
会社を辞めてから2件、医者に掛かっている。保険証が無いので全額自己負担で支払っている。
1ヶ月以内に保険証を持って来たら返却してあげると。
2件で約3万円支払っている。7割が返って来るはずだから2万円返してもらうのは大きい。
私はその銀行の申込書も正規のモノを受領出来なければ、協会は保険証は送ってくれないと思ったものだから
『急ぎますんで・・・』と頼んだわ。
任意継続の保険証はその後送って来たけれど。2ヶ月分の現金支払用紙と一緒に。
それを8月20までに振り込まないと、任意継続はパーになると。

しかしなあ・・・住民税の10ヶ月分先に引こうとするとか、原本保管してコピーを送るとか、百歩譲って
わざとじゃないにしてもだ、いやらしくない?少なくとも自分はそう感じたわ。
いつもいつも本社に行くたびに『〇〇さんはいいよね・・・営業でお給料も良いし・・・』と言っていた
私の1歳年上の会社で一番古い総務・経理の人。私は少なくともその人には、先輩であり勿論年上でもあるから
きちんと敬意を払って来たつもりだ。決して嫌な思いをされることのないようにと凄く気を遣って来たつもりだ。
向こうがどう思っていたかは知らないが。煙たかったか鬱陶しかったか、いやいやそんなこと思ってもいないと
言うか、それは分からない。
しかし、最後の最後にこれかいっ!!嫌がらせかいっ!!って思ったね。
まあ、私より更に歳も行っている訳だから『目が見えてなかった』のかも知れないが、そんな大事なことちゃんと
眼鏡を掛ければ分かる話だろ?と思うんだよね。
だって貴女、総務でしょ?って話だもの。

長年お世話になった会社に、出来ることなら悪い印象を持たずに辞めたいものだ。
友だちがこうメールをくれた。
『実力をつけさせてくれたこと、そしてそれに見合う報酬を得れたこと に感謝だよ』と。
うん、有難う。そんなこと言ってくれる友だちにも感謝よ。
分かっているよ。好きな仕事を好きなようにさせてもらえたことには感謝している。
営業の仕事が面白くて、大事なお客様や業者さんを得て、営業の成績も良くて、私にとっては最高の舞台だった。

だらだらと”会社辞めました”に付いての愚痴 その1

2018-08-10 09:38:55 | 仕事
実は7月20日付で会社を突然辞めた。だから最近朝からでも昼間っからでもブログを書いたりしている訳。
辞めた会社には17年、同じグループの別の会社に13年、併せて30年間居たことになる。
丁度平成が始まった年からだ。
前の会社は業務終了に伴って一旦解散したから、仕方無く同じグループの別会社に移行しただけのことで、
自分の仕事は変わらずずっと営業。
ひとつの会社にリタイヤするまで勤め上げる人からすればたいしたことは無いかも知れないが、今まで
いくつかの企業で働いた来た自分にすれば長い方だ。
天職とも巡り会えたし。

そんな会社を”あっ!”という間に辞めたのだから、周りの皆が信じられないと。
理由は簡単。会社に自分と合わない人間が居ただけのこと。
同じ様なことが何度も繰り返されて、その度にもう何回も何年も会社に訴えて来た。
私以外の人たちもほぼ全員が大なり小なり同じ様に感じていると言っていたが、会社に言わせれば
”一旦雇用した限りは『余程のことが無い限り』クビになんか出来ない”と。
”余程のこと”って何だ?。誰かが傷付くまでか?

『なんで〇〇さんが(私のこと)辞めんとアカンの?辞めるならあっちでしょ』とは色んな人に言ってもらった。
でもそれは個人的な陰での話であって、誰も公には会社に訴えたりはしないし出来ないわね・・・。
そして会社がクビにしない限り、そして自分がその相手をイヤな限り、自分が辞めるしかない。
私も血の気が多いから、他の人たちのように大人じゃないから、見過ごすというかスルー出来ないから、
必要なことは言うから、会社のルールを無視してでも自分の思う通りに行動したい相手とは衝突する。
私の主張はただの”ワガママ”という訳だ。
最終的には決定的な事件があったから決断したのだけれど・・・。

誰も味方してくれない・庇ってくれない・引き留めもしてくれない・・・と少々恨めしかった。
『辞めろとも辞めるなとも言わない。辞めたければ辞めれば良いし、辞めたくなければ居ればいい』とは社長談。
普通、そんな言い方する?
そして逆に私は、辞めることは公表なんかして要らない。皆知っているから夫々個別に挨拶する。
合わなかった相手には、”気が付けば最近居ないな・・辞めたのか・・”と気が付く程度でいいからと頼んだ。
にも拘わらず、週明けの月曜日に所長が朝礼で辞めたことを皆の前でスパッと言っちゃった・・と後で他の人に
聞いた。
ほんと頼み甲斐の無いやっちゃな・・・。

そういう訳で、辞めさされた訳では無く、自分から辞めた。確かに。しかし辞めたくて辞めた訳でも無い。
付き合いの長い・深いお客様は、ただただ驚き・嘆いて下さり、業者さんも残念がってくれて『もう〇〇さん
(辞めた会社)からの仕事は来ないかも・・・』と言い、お互いいっときの別れを惜しんだ。
そして会社の仲間たちが個別に連絡をくれて、何度か送別会をしてくれた。有難い・・・。
お餞別をくれたり送別会をしてくれたりの仲間たちのことは決して忘れない。
又どこかで会おうね。


女性の営業が長続きするコツ?セクハラにも耐えて?

2018-04-25 20:35:19 | 仕事
昨日、仕入先の営業部長さんが、うちの営業所長を訪ねて来られた。
所長との話が終わったら、挨拶したいと言っておられるからと私は呼ばれた。
お久し振りと挨拶して、前もって用意していた図面を渡して製作部品の見積を依頼。
何かお土産をと考え事前に用意していたもの。
仕事の話が終わったらその部長さんが、自分の会社でも今度女性の営業を採用したと。
そしてその女性に私のことを話したら是非会いたいと、先日連れて来たけれど私は不在だった。
次はアポ取ってから来ますと。
私は別に会いたくないけれど・・・。面倒なのだ、そういうの。
”女性の営業の先輩ってどんな人?話が聞いてみた~い”とか、好きじゃない。
今までも何度かあった、そういうこと。

『何で女性の営業を?』と私。
『いや~雰囲気が少しでも柔らかくと言うか、そう言う思いも有って社長がね』とその部長。
その会社も物流関係の顧客がメインで、男性ばっかりの業界だ。
『ふう~ん、そうですか・・・女性はなかなか続かないけれどね。今までも何人か居たけれど、結局皆
辞めて居なくなってしまったもの。今巷間で言われているセクハラのこととかもありますしね』と私。
『やっぱりありますか・・ありましたか?』と聞くから、
『ええ、若いうちは死ぬほどね。それもセクハラ”発言”なんてもんじゃない、実力行使しようとする人も
数え切れないほど居る訳で・・』
『あーそう・・・・やっぱりそうですか・・・ありますか・・・』とその部長。
そりゃあるわいな。無い訳ないやん。あの手この手でかわして来たよ。
そして『どうやったら女性の営業長続きしますか?』と。

私の答え。
・先ず、お宅の社長のその考えがいけない。なんで柔らかい雰囲気が必要?そんなの最初から”女”を
 使って・・・と会社自体が考えている証拠。上がそんな考えで上手く行くはずがない。気の毒に・・・
 ”女”を使って仕事が獲れるほど、世の中甘く無いわ
・その仕事が好きかどうかが続くかどうかの大きな要素
 仕事が好き・お客様が好き・そして自分の会社が好き。これとても大事。好きじゃなければまず無理
・男も女も関係無い。お客様が何を望んでいて、それにどう応えるか。その為に真面目に誠実に必死になる
 それだけ

自分が居る業界は本当に女性の営業は少ない。と言うよりほとんど居ない。
ただ私は望んでこういう状況になった訳では無くて、他に選択肢が無かっただけのことだ。
最初は仕方なく、恐る恐る?へっぴり腰で?先輩に付いて始めたものだけれど、やってみたら結構性に合って
いて、やればやる程結果が出て面白くなって行き、挙句天職だ!とさえ思えるようにまでなった。
つまり・・・天職と思える仕事に巡り会えたことは、そして周りの人にも恵まれたことは、非常に幸運なこと
だったと結果として思う。
そんな幸運な人ばかりじゃないから。

でもまあ、ここまで来るのには色々無くはなかったとは思うけれど、心臓に毛が生えていることも、中身が
男だと言うことも分かって良かったかも知れない。
お客様は私のことを”中身は男なんですね・・・”と口を揃えて仰います、はい。それでいいんです。
長く営業を続けている中で、何度も競合先の営業部長に”うちに来ないか?”と誘われたし、親しいお客様
には、他の新進気鋭の競合先への転職を口を利くから行かないか?と薦められたこともあった。
喜ぶべきことかも知れないが、私は鈍臭くてしかし愚直な仕事のやり方をする(褒めている?(^_^;))
今の会社が好きなのだ。辞められなんかしない。
好きにやらせてもらっているし、文句ばっかり言っているけれど、心の底では本当は会社にも感謝している。

長く続けるコツって何だろう?
天の時地の利人の和?よく分からない・・・。
セクハラも跳ね返すくらいの強さ?
詰まるところ、真面目に一生懸命努力すること位しか考えつかないな。

男だの女だの、あまり深く考えなくていいんじゃないかと私は思う。
どこかで何かを超えれば、目の前は開ける。長く精進していれば、きっとそんな日は来る。
本当に”継続は力なり”だ。
セクハラにしても、行われるのは殆どが接待などの飲みの席だろう。
接待は1人で行かなければいい。それしか無い。
(仕事中に、打合せに行って、セクハラに遭ったことも有ったが・・・。びっくりだよね)
私も今なら例えセクハラに遭っても”それで仕事が貰えるならどーぞどーぞ”位のことは言えそうだが、
(誰も今の私にセクハラなんて丁重にご遠慮されるだろうが・・・)
若いうちはやっぱりイヤでイヤで仕方なかった。上司に会社に何度も訴えた。
信じられない・有り得ない・もう行かない・辞める・何とかして・・・。
でも埒空かない。結果としては何も変わらなかった。

今となっては食事に行くお客様は仕事も男女も超えた飲み友達。有り難い話だと思う。