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雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

何十年ぶりかの停電体験。終戦の日。

2024-08-15 21:01:55 | 日記

今日は早朝停電していて、ちょっと驚いたかも。何故なら”停電”に遭遇したのはもう何十年?ぶり

かだと思うから。ちょっとピンと来なかったわ。

最初は解らなかった。朝の目覚ましが鳴る6時前よ。目が覚めたので電気を付けようとして、

寝たままリモコンで点灯。ん?点かないなぁ・・・。起き上がって壁のスイッチ。それでもダメ。

雨戸シャッター開けて光を入れようとしたが動かない。ブレーカー落ちてるの?と思ったわ。

試した違う部屋の電気も点かなかったので、分電盤というの?見に行くより、これはもしかしたら

停電?と気が付いた。そりゃ雨戸シャッター、電動なので動くはずないよね。

でも比較的早く復旧した。エアコン効かずに暑い!ところまでは行かなかった。

下の娘から”大丈夫?”とLINE。娘んところは同じ市内でも停電していなかったそうだ。

暗闇で年寄だからコケたらアカンと思ったのか?普段 言葉はキツくても、私にとっては充分優しいよ。

気にかけてくれてありがとう♡

 

休み間、毎日少しずつでも仕事はしている。休み明けに向けて徐々にその量も増えて行ってる。

メール送るのは遠慮しているが。

思えば、私は忙しく働く星周りに生まれているのだろうなと言う気がする。今は好きで働いている

のだから、自分で選んでいるとも言えるが。

楽チンだったのは娘時代までだった。結婚している時は、心身共に疲弊し、故にあちこち支障を

来していた。まあ、それがあるから今の私があるとも言えるのだが、気が付けばずっとそんな状態。

友らは皆お嬢様で、結婚してもゆったり優雅な奥様。が多い。羨ましい訳では無いが、何で私、

こんなにバタバタ働いているのか?と思わなくもない。要は選ぶ人に失敗しただけ?

守ってくれる人が居れば、私ももう少し穏やかな人生を送っていたのだろうか?と考えたりするが

全て”タラレバ”よね。自分にはこの人生しか無かったのだから仕方ない。弱音を吐かずに頑張るしかない。

しんどいけど。落ち着いて優雅に暮らす日は?来ないよね・・・💧

 

今日は終戦記念日だった。それなりに思うところは無くはない。

戦争を知らない世代だけれど、親は戦争経験者だ。幼い頃には話は沢山聞かされた。ドキュメントも

観たりするし映画も観るし、戦争の悲惨さは解っているつもり。今の平和を有難いと思っている。

世界を見回せばどれだけ恵まれているかと思う。でも、そう言う風に感じるのは、やはりこの年齢

だからであって、もっともっと戦争を知らない若い世代の人たちは、今のこの日本の平和を有り難い

なんて、実感は無いのかも知れない。

色んな人が居る。時代に依って世間は変わる。人に押し付けるものではないけれど、少なくとも

自分は、謙虚で感謝を忘れず自分と周りの人を大切に真面目に生きて行きたい。そんな風に思う。


怠惰に過ごしているお盆休み

2024-08-14 15:35:18 | 日記

2週間以上のご無沙汰だ。

本当はイタリア旅行の締めをしたかったのだけれど、それは写真も出来れば入れたいので後回し。

で、この2週間以上何をしていたか?相変らず仕事に忙殺されていた。プライベートの時間が

ほぼ無かった。

お盆休み前の2週間は、出張と来客とでテレワーク出来る日は1日も無く、毎日出掛けていた。

日中、外に居る時は、睡眠不足と暑さで何度もフラッとなりかけたわよ。危ない危ない。

もう夜も頑張れない。眼と身体が持たずに寝てしまう。

 

で、10日(土)からお盆休みに入ってヤレヤレなんだけれど、それはそれで結構問題が。

先ず、下の娘に連絡して”孫たちが泊りに来るのはいつだった?”と聞くと、約束していたのは

3日(土)4日(日)だったと。忙しさ真っ最中の頃だ。向うも何で言って来なかった?

Jがコロナになったんだって。

どうせおかーさん、事前の連絡無かったから忘れてるんだろうと、コロナで行けないしで、

連絡もして来なかったと。愕然としたが、そう言えばお盆休み前だと言ってたかも。

私はお盆休み中だと思い込んでいた。ごめんね、すっぽかして・・・。

で、『お盆には来る?』『行かない』 あーそーですか。なら私も仕事するわよ。

忘れてたことを怒るというより呆れてた。何度もやらかしてるからねぇ。

上の娘はウンもスンも言って来ない。来るなら多分ギリギリに連絡して来る。

 

私は自分から子どもたちに連絡することは、ほぼ無い。用事があれば向こうから連絡して来る。

特別何かがある訳でも無いのに長々と電話でお喋り と言うのは先ず無い。

なのでお互い、日々何ごともなく暮らしていれば、何週間もやり取りしないこともある。

よそのご家庭や親子関係がどんなものかは知らないが、もしかしたら冷たいと思われるのかもだが、

私は”構ってちゃん”では無いので、それで十分だし満足している。”今のところは”かも知れないが。

そもそもが”寂しい”と言う感情があまり無いし。もっと高齢になれば、そう言う気持ちにもなるのかも

知れないが、今はまだ大丈夫。

 

仕事も”いつまでやってるのか?”と言う自問はある。身体が動けて頭が働いているうち・・とは思うが、

正直、子どもたちとの約束を覚えてないと言うことは、仕事の情報だけで頭の中がいっぱいだと言うことだ。

他のことが入ってくる余裕が無いのだ。すぐにカレンダーにと思っても何かのタイミングで書くのを忘れる。

そしてすっぽり抜け落ちる。

この数年、そんなことを繰り返して来た。呆れられるうちはまだいいとして、見放なされたら?

子どもたちも私の仕事が100か0で、50に落とすのは難しいと知っている。しかしこの歳でこの量の仕事は

過酷過ぎると言う気は勿論する。身体もしんどい。だからと言ってきれいさっぱり辞める決心はつかない。

諸々不安なのだ。仕事辞めても時間の潰し方が分からない。趣味も無い。怠惰な生活を送るんだろうなと

想像する。なので正直辞めるのは怖い。

しかし、子どもたちとの約束を守れないと言うことは、信頼関係を壊していると言うことだ。

孫たちも大きくなって、物理的に何かを手助けすることはもうほとんどないが、それでも求められれば

対応はしたい。それがちゃんと出来ていない。そう言うジレンマも無くはない。

仕事辞めればお金は減るだけで入って来ないという不安もあるし。それなりに使いたい方だし。

要らんことを色々考える。

溜まっている仕事を、このお盆休み間に全部キレイに片づけるという思いではあるが、なかなか切り替えが

出来ない。結構チンタラと過ごしているダメな私💧


イタリアへ行って来た。その⑥ ローマ編

2024-07-28 19:44:27 | 日記

旅行5日目(らしい)、朝からイタリア版新幹線でフィレンツェ~ローマへ。

所要時間は1時間半くらいだろうか。鉄道(国有鉄道か?)がストをしていて心配したが、

少しの遅れで出発出来た。フィレンツェの駅は相当混雑していたが。

キレイで快適。指定席ね。同じヨーロッパの他の国の観光客なども結構乗っていた。

ローマが近づくと駅名に『ローマ〇〇・・』と言う駅があり、ローマに着いたかと間違って

降りた人も居た。慌てて戻って来たが。

その日はコロッセオ・真実の口・トレビの泉・スペイン広場(映画ローマの休日に出て来る階段)

など、盛沢山。もう歩き疲れてへとへとだったわ。

これはコロッセオ。顔が判らないだろうから、まっいいかと。右が私。チビですね。

夕食はちょっとしたレストランと言うことで、ドレスコードは無いのだけれど

皆さまご主人も奥様も、それなりのお洒落なさってました。

 

翌日はバチカンだのサンピエトロ大聖堂だの行ったのだけれど、73歳、そろそろ

体力も限界ですわ。バチカン市国はローマの中。観光料で国を運営しているのか?

いや、それだけではないだろうが、一体どの様な収入があるのだろう?とあれこれ考えてはみた。

分からないが。憲兵?門番?鮮やかなキレイな服を着た兵隊さんに『一緒に写真撮ってもいい?』

と聞くと『NO!』と言うので、背景に入る程度で撮った。


その日は昼食も夕食も各自だったので、お昼はホテル近くのピザ屋さんへ。

好きなピザカットしてもらって(それでもまだ大きい💧)コーラだったかオレンジジュースだったかと

頂く。なかなか美味しいし、楽しい。お母さんと息子さんとでやっているお店。

夜はホテルのフロントのベン・アフレック似のおにーちゃんに、レストラン何件か聞いて、

ここにしよと電話で予約入れてもらって3人でタクシーで行く。

お店入ってすぐに、氷の上にお魚並べてるケースがあって、とても庶民的な居酒屋さん?的な

お店だったのかな。家族でやってるっぽかった。イタリア特にローマは家族でと言うのが多そう。

シーフードでフライ(フリットと言うのかな)とボイルとパスタが食べたいと注文。

出て来た料理がこちら。

どれにもイカ・海老・小魚が入っている。ボイルの大きな魚は多分 ”いさき”

どれも美味しかったわ~。

このボイルのお皿が出る前に、キレイなお姉さんが『44ユーロするけれど、いいか?』と親切に

聞いてくれた。1ユーロ190円としても8000円強だから、良いよねとOK。

大満足で又タクシーでホテルまで帰る。

添乗員さんに、往復のタクシー代とチップを入れても全部で90ユーロくらいだったよと言うと、

『1人?』と聞く。『3人で』と言うと、それは凄く安い!と。お店教えて!次の仕事の参考に

するからと。

ベン・アフレック似のおにーちゃんには『紹介してくれたお店、とっても美味しくてリーズナブルで

大満足!ありがとう!』とお礼を言いました。そのおにーちゃん、ベン・アフレックなんか歳が違い

過ぎていて知らないかな?『俳優?』って聞いてたもんね。私は昔好きだった時期があったのよね。

 

イタリア行って思ったのは、気候って(風土も?)人間の気質に凄く関係あるのでは?ということ。

旅行中、全く雨にも遭わず毎日が快晴で素晴らしいお天気に恵まれた。勿論傘は持って行ってたけれど

出番は無かったわよ。そんな燦燦と太陽が降り注ぐような気候に恵まれた地域では、人って明るく

陽気になるのかなと。勿論皆が皆そうではないだろうが、天候って人間の気分を左右するよねと。

 

この日は希望者はカンツオーネ聞きながらの夕食もあったらしい。事前予約制。

3組のご夫婦が参加されてた。

ローマはやはり、先に通って来た3都市に比べると庶民的と言うか、街の雰囲気が全く違う。

どこも人が多い(観光客)のは同じだが、街はキレイじゃない。服装もスーツ着ている人なんか居ない。

ガラも悪そう。でもやっぱり首都だよね。街は賑わっていて活気はあった。

 

私たちは夕食後ホテルに一旦帰り、こまごまとしたお土産買いに又近所ウロウロしたりして

イタリア最後の夜を過ごしたのでした。スーツケースのパッキングもOK?


イタリアへ行って来た。その⑤ 写真編

2024-07-28 16:25:17 | 日記

やっぱり1週間ぶり。なかなかブログに辿り着けない。

写真を張り付けられるようになったのは良いのだが、これで果たして正解なのかどうかも

解らない。顔を隠す方法が分からないので、先ずは人の居ない写真だけ。

最初のはミラノのドゥオモ。圧巻のステンドグラス。

右と左とでは制作の時期が違うそうな。2~300年の隔たりがあるように言っていたような気がする。

左が古い方で右が新しい方。何かが違うはずなのだが覚えてない💧

ミラノの一等地のアーケード。

周りは高級ブランドのお店ばっかりだった。世界からの観光客がいっぱいだった。

 

ベネッツア

海上のタクシーから見るホテルなどの建物。

よく浸水しないよねぇと思ってしまう。

ここはベネチア映画祭?音楽祭?が開催される島らしい。

サンマルコ広場。

何かのイベント中で、真ん中の広場へはアプローチ出来なかった。残念。

私はここが好きなのだ。イベントしてなかったら、広々とした空間で気持ちいい。

 

私たちが泊ったホテルの、海の上に出っ張っているデッキのようなもの。

部屋のすぐ横だった。広い広い庭の先端。椅子とテーブルがある。

夕焼け時はとても美しかった。

 

フィレンツェ

ポンテベッキオ(ベッキオ橋)

外から見るとこんなものかと思うけれど、内側は商業化していて、感動は無かった(私には)

 

 

ウフィッツィ美術館とか?

確かに彫刻・絵画・天井や壁の装飾品は凄いと思う。

 

顔が写って無くてお見せ出来るのはこれ位。

顔が隠せたら他の写真も出せるのだけれど・・・。

 

後残すはローマ編。又お送りしますね(^^)/


イタリアへ行って来た。その④ フィレンツェ編

2024-07-21 00:10:53 | 日記

3番目の都市フィレンツェ。

夕方ホテルに入る前に、メインの観光地のある場所とは川を挟んでの対岸の丘に在る、

ミケランジェロ広場に寄ってフィレンツェの街を見下ろす。清々しい。

ヴァイオリンを弾いているおじいさんが居た。私は子どもの頃自分が習っていたこともあり音色が好き。

ストリングスの音は何でも好き。いや、楽器の音は何でも好きかも。優しい音色にしばし聞きほれた。

 

翌日は朝からスケジュールびっしり。美術館だのドゥオモだの色々連れて行ってくれるのだけれど

この地のガイドさんがアカンかったわ。鬱陶しい。夫々の地のガイドさんは皆個性が強いのだけれど

この人、自分の思いの押し付けが酷くて。『この時のミケランジェロの心境は・・・』とか言うもので

『本人に会ったことあるの?本人に直接聞いたのかなぁ?なんであなたがその時のミケランジェロの心境

知ってるの?』などと私たちは陰口。そんなの全部主観じゃないの?絵画や彫刻見るの、自分の感性で

良いんじゃないの?と思ったわよ。好きに感じさせてと。

奥さんがイタリア人と言う日本の男性。何でも、日本とイタリア半々の生活しているらしい。

日本では大学の非常勤講師とか?自分の人生の都合上、子どもは作らなかったとか仰るが、

イヤイヤ誰もそんなこと聞いてませんって。そうかと思えばお行儀の悪い人を大声で怒る。

相手構わず。日本人であれイタリア人であれ。とにかく話聞いて無いと怒るし。

でもね、私たち遠足に行ってる子どもじゃないんだよ。いい大人な訳。説明聞こうが聞くまいが、

それもある程度は好きにして良いと思うのだけれど。

1組のおとなしい奥さんがえらく怒ってた。『もーなんなのっ?あの人っ!』と。

みんな思うことは同じなんだね。

 

そろそろ寺院だの美術館だのドゥオモだのに飽きて来た。お腹いっぱいになって来た。

イタリアの美術品を見るにつけ、その同じ時代の日本を思う。確かにヨーロッパの歴史は凄いと思う。

でも日本だってそれなりの歴史と営みがあった。建物の知識や工夫、絵画彫刻工芸品美術品等の発達

など、独自のものがあったはず。特に”繊細さ”と言うことにかけては、日本は世界のどの国にも

負けないだけの技術と技法があったのではないだろうか。そんなこと感じたりした。

 

ポンテベッキオ(ベッキオ橋)に行く。あれっ!?こんなだったかなぁ?自分がイメージしていた

以前と違うような気がする。両側のお店もきっと、観光用に変化したのね。以前はもっと手造りの

工芸品的なものが多かったように思うが、ほとんどが宝飾店に変わっていたわ。

面白くなくて、行って戻っただけ。

ベッキオ橋の近くの広場では昔々、お茶してると日本のビジネスマン数人と遭遇したことがあって

(こちらは女性2人組)『日本の方ですか?』と聞かれ、しばし歓談したことがあった。

出張に来てると言ってたな。こんなところで日本人に会うとはビックリで、出張が長くて

懐かしかったそうだ。皆エリートサラリーマンぽかった。あぁ・・・若い時の話よ。

 

レストランのお兄ちゃんが、フィレンツェはベネッツアと違い海が無いのでシーフードが無いと

言うので、海が無くても運べるでしょ?と言って笑った。

肉オンリーだというので、ボロネーゼ頼んだけれど超美味しかった。

フィレンツェでは、ブランドものじゃないけれどちょっと高級の皮のお店に行って、会社の私と

仲の良い3人組に小物を買った。

この辺りから真剣にお土産のことを考える。私は会社の人にだけだけどね。皆に迷惑かけているから。

 

この日も午後から移動。イタリア版新幹線で次はローマです!