子どものころの思い出でいえば、ピアノの先生(何人かいたはず)は優しくて、怖かった覚えは一度もない。
←21世紀、いい時代です
まぁそれは、母の元教え子だった(で、ピアノ科を出た)人なので、そりゃ私にどなったりするわけはないんだが。
昭和の時代は、「おっそろしいピアノの先生」っていくらもいたんですよね。口で怒るだけじゃなくて、楽譜破られたとか、叩かれたとかも聞きますから。
稲垣えみ子 「おっそろしいピアノの先生」がほぼ絶滅した理由。人生後半戦、やらされるのでなく「弾きたいから弾いた」大人のピアノはこんなに気持ちよかった
によれば、「私さあ、最近ピアノ習い始めたんだよね〜。小学校以来だよー!」って周りの人に自慢すると9割くらいの確率で「いーなー!!」って言われるけど、
「私もやってみたい」のあと「奇妙な沈黙が訪れる」、とある。
つまり、ピアノを弾きたい、弾けるようになりたいという気持ちはずいぶん多くの人が持っているが、ひっかかりがあるので実地にはなかなかうつさない。
ひっかかりというのは、おっそろしい先生、そしておっそろしいレッスンというトラウマである。
私も実のところ、子ども時代の先生に怖い人はいなかったけれど、その後は高校生のときに一回、大学生のときに一回、子どもが生まれてから一回(以上すべて20世紀)、習おうとしては挫折している。
弾きたくない曲を弾かされる、とか、練習してこないから怒られる、とかそういうのはなかった。
小さな子どもではないし、だいたい体験レッスン+アルファ程度、数回で終わっているわけだから曲はこちらが決めて持って行っている。
怒鳴られたり、叩かれたわけでもなかった。(さすがに「体験レッスン+アルファ」の中でそんなことしたら生徒来ない時代になってたよね??)
そうではないけど、レッスン中、とにかく先生が楽しくなさそうで、私の演奏にイラついている雰囲気。(まぁイラつくような演奏をしてたとは推測されますが)
これはこれで、怖いよねぇ。
------
恐怖体験を抱えた我らは、どうしても「先生が怖いか怖くないか」に着目してしまうのだが、もちろん、それ以上に大事なことがある。その先生がどんな教え方をするのかということだ。
------
怖いんじゃ話にならないけど、そのうえで教え方がうまいというか実りのあるものでないといけない。じゃないと楽しさが続かないから。
どういう先生のレッスンが「実りのある」ものになるか、それはその人が求めるものとか、性格にもよるから、人それぞれの哲学で考えるしかないけど。
私はよく「ほめてくれるレッスンがいい」といっていますが、それはつまり、私がへっぽこな演奏をしているときに、イライラしている、というのはお互いの幸せのためによくないので、「これはどうやって改善しようかな」と前向きに考えるタイプの先生であるということだと思います。
先生が見本弾きをするにしても、あるいは口で説明するにしても、何かやることで
私の弾き方が、なにかしら改善する。
そしたらほめる。あ、これでいいんだ、とわかる。
先生にとって、ピアノの弾き方には特に不明なところがないかもしれませんが、生身の生徒に、何をどういったら通じるかは未知の大海です。
その探検がおもしろい、そういう改善魂? みたいなものによって、レッスンは、もちろん仕事だけど、その一方で楽しい。そう思ってくれる先生が、私にとっていい先生の「条件そのいち」です。
それに加えて、改善魂は持っていても、先生の持っている「教え方レパートリー」が私に刺さらない、ハマらない人の場合は、私の反応がはかばかしくないわけですから、お互い楽しくない。合わない。と、そんな感じでしょうか。
これでは、何回か習ってみないことにはなかなか、合ってるレッスン、合ってる先生かどうかわからないですよね。まぁ、習わなくても、その教室の発表会とか丸ごと聞けば、ある程度は占えると思いますが。
合う合わないはあっても、とりあえず「怖い」先生はほとんど残ってない、ということなら、合う先生が見つかるまで安心して渡り歩けると思います。
そうやって、たくさんの(潜在的ピアノ沼)大人が、合う先生を見つけるに至ると、生徒もハッピー、先生もハッピー、日本が幸せだらけになるのですよ。素敵。
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まぁそれは、母の元教え子だった(で、ピアノ科を出た)人なので、そりゃ私にどなったりするわけはないんだが。
昭和の時代は、「おっそろしいピアノの先生」っていくらもいたんですよね。口で怒るだけじゃなくて、楽譜破られたとか、叩かれたとかも聞きますから。
稲垣えみ子 「おっそろしいピアノの先生」がほぼ絶滅した理由。人生後半戦、やらされるのでなく「弾きたいから弾いた」大人のピアノはこんなに気持ちよかった
によれば、「私さあ、最近ピアノ習い始めたんだよね〜。小学校以来だよー!」って周りの人に自慢すると9割くらいの確率で「いーなー!!」って言われるけど、
「私もやってみたい」のあと「奇妙な沈黙が訪れる」、とある。
つまり、ピアノを弾きたい、弾けるようになりたいという気持ちはずいぶん多くの人が持っているが、ひっかかりがあるので実地にはなかなかうつさない。
ひっかかりというのは、おっそろしい先生、そしておっそろしいレッスンというトラウマである。
私も実のところ、子ども時代の先生に怖い人はいなかったけれど、その後は高校生のときに一回、大学生のときに一回、子どもが生まれてから一回(以上すべて20世紀)、習おうとしては挫折している。
弾きたくない曲を弾かされる、とか、練習してこないから怒られる、とかそういうのはなかった。
小さな子どもではないし、だいたい体験レッスン+アルファ程度、数回で終わっているわけだから曲はこちらが決めて持って行っている。
怒鳴られたり、叩かれたわけでもなかった。(さすがに「体験レッスン+アルファ」の中でそんなことしたら生徒来ない時代になってたよね??)
そうではないけど、レッスン中、とにかく先生が楽しくなさそうで、私の演奏にイラついている雰囲気。(まぁイラつくような演奏をしてたとは推測されますが)
これはこれで、怖いよねぇ。
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恐怖体験を抱えた我らは、どうしても「先生が怖いか怖くないか」に着目してしまうのだが、もちろん、それ以上に大事なことがある。その先生がどんな教え方をするのかということだ。
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怖いんじゃ話にならないけど、そのうえで教え方がうまいというか実りのあるものでないといけない。じゃないと楽しさが続かないから。
どういう先生のレッスンが「実りのある」ものになるか、それはその人が求めるものとか、性格にもよるから、人それぞれの哲学で考えるしかないけど。
私はよく「ほめてくれるレッスンがいい」といっていますが、それはつまり、私がへっぽこな演奏をしているときに、イライラしている、というのはお互いの幸せのためによくないので、「これはどうやって改善しようかな」と前向きに考えるタイプの先生であるということだと思います。
先生が見本弾きをするにしても、あるいは口で説明するにしても、何かやることで
私の弾き方が、なにかしら改善する。
そしたらほめる。あ、これでいいんだ、とわかる。
先生にとって、ピアノの弾き方には特に不明なところがないかもしれませんが、生身の生徒に、何をどういったら通じるかは未知の大海です。
その探検がおもしろい、そういう改善魂? みたいなものによって、レッスンは、もちろん仕事だけど、その一方で楽しい。そう思ってくれる先生が、私にとっていい先生の「条件そのいち」です。
それに加えて、改善魂は持っていても、先生の持っている「教え方レパートリー」が私に刺さらない、ハマらない人の場合は、私の反応がはかばかしくないわけですから、お互い楽しくない。合わない。と、そんな感じでしょうか。
これでは、何回か習ってみないことにはなかなか、合ってるレッスン、合ってる先生かどうかわからないですよね。まぁ、習わなくても、その教室の発表会とか丸ごと聞けば、ある程度は占えると思いますが。
合う合わないはあっても、とりあえず「怖い」先生はほとんど残ってない、ということなら、合う先生が見つかるまで安心して渡り歩けると思います。
そうやって、たくさんの(潜在的ピアノ沼)大人が、合う先生を見つけるに至ると、生徒もハッピー、先生もハッピー、日本が幸せだらけになるのですよ。素敵。
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