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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「赤毛のアン」で過去の自分に会う

2013年05月08日 | 生活
というわけで、「赤毛のアン」シリーズを読み終わりました~。

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ほんと、久しぶりでした。このトシになって読みませんよねふつう。でも、昔読んでた方はたぶん、読み返すと…懐かしいというか、こっぱずかしいというか、ともかくつまらなくはないんじゃないでしょうか。

先日いただいたコメントの中では、シリーズ中で「リラ」人気が高かったんですけど。思い出したのですが、私は「リラ」より「炉辺荘」が好きだったんです。「すべてを手に入れたアン」のところ。

夫は職業的に成功していて、自分のことを崇拝しつつ深い愛情を持ち続けており、子どもがたくさん、広々と立派でかつ風情ある家に住み、生活相性のいいお手伝いさんまでいて。それで、家族のみならず、触れ合う人々に幸せオーラをふりまき、巻き込んで幸せにしてしまうパワーを持っています。

ひとつ、やっかいな存在だったメアリー・マライアおばさんも、あえて真心こめてサプライズ誕生パーティーを催すことによって、結果的に追い払ってしまうことができたわけです。このパターン、前にもありましたね。夫にしばられて暗い生活を送っていたレスリーを、あえて夫の積極的治療に踏み切らせることによって、意外な解放へ導くという…

アンは、幸せを感じる・幸せをつくる・幸せに他人まで巻き込むという特異な才能の持ち主なので、物語の中はそれを表すエピソード満載なんだけれど、これって、子どものころ読んだときはもうちょっと素直に読めたかと思うけど、今読むと(もういろいろと汚れちまったオトナだからさ(^^;;)現実感のないところはついひっかかっちゃう。たとえば、エリザベスの父親が、長年、幼い子どもを放置してたくせに現れてみたら、すんばらしいお父さんだったなんて、説得力なさすぎますよね。いや、ほんと、その調子でツッコミ入れてたら素直に読むところがなくなっちゃうんだけど。

それで、「こっぱずかしい」のは、そういう、ファンタジー込みで素直に読めてた(?)過去の自分、ということもあるけど、一番、赤面モノなのは、「赤毛のアン」に投影していたであろう、自分の理想の人生観(^^;;

私は若いころ、「いい大学いっていいお婿さん見つけて、腰掛で就職してとっとと出産退職して優雅な専業主婦になる」というのが人生プランだったわけだけど、これってまさに「赤毛のアン」の道。アンは、高校・大学と進んでも、いい成績とってて優秀なんだけれど、「ギルバートが総合トップでアンは文学賞」みたいなね、ぎりぎり男を立てる感じ(笑)で、それで就職についてはまぁ学校の先生という無難な(でも知的な)職業を選ぶんだけれど、合間には文章書いてちょこっと載せたりして小金を稼ぐ(稼ぐというよりか、やや名前が出るところがポイント)、でも結局は家庭に入って上記のような生活に入っていくんですね。

私の「腰掛で就職して」のところはたいして明確なイメージがなかったんだけれど、腰掛就職は一般企業だとしても、NHK将棋講座の聞き手とか(爆)なんかやりたいなと思ってたの。アンの「小文書き」と同型なのねきれいに。

結局のところ、赤毛のアンの人生行路っていうのは、まず学生時代までは男に伍して学業優秀をよしとして突っ走り、しかるのちに見栄えよく生活力ある男性と結婚して家庭に入るというスタイル。まさに、世界が広がって、また狭まる(英語タイトルが示すように)という流れなのですね。私たち世代の日本人女性は、その親たちから、「男女関係ない、がんばれ」→かけた梯子をはずされる、という扱いを受けて裏切られた気持ちを抱えている人も多いけれど、まさにその流れの中で「まるっと」幸せを築いている(ことになっている)のがアン。

と、考えると、かゆい…というか、イタイ…というか。まぁ。

でも、じゃ、大人になってみて、それとは違うどういう人生観を持っているのっていわれると、なかなか痛いところで。どうなんでしょう、実際のところ。私は、結果的にはフルタイム共働きで20年以上来たけれども、それは諸々の事情からそうなっているもので、理想(幻想)像ってあまり成長してないのかもしれない。

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