モノと心の独り言

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福島原発報道は、文明社会発展の最前線でもあり、殉教者をまっている科学信仰イベントでもあり?

2011-03-19 06:33:57 | 暮らし・街・環境
救出から救援へと進みきれないのは、現在も現代科学技術利用の限界を試されれいるからだ。
今回のような地殻変動で、凝縮した核燃料のエネルギーを制御しきれるのか?
近代科学の想定限界を、地球地殻の変動が越えてしまうのかどうか?
近代科学への信頼が、つなぎ止められるのかどうか?
これは、近代科学を絶対化した信仰が、裏切られるのか延命するのかの、歴史的なドラマなのだ。
人の過失の次元を越えた、地球近くの変動に、対応してゆけるのかどうか?
それは、複合された課題にたいする、解決への試行錯誤に過ぎないのだけれど、
その結果は、地域的な被災・汚染だけでなく、世界市場経済の構成を劇的に変化させるからだ。

そして、その利害関係の強弱に関わらず、とにかく、解決されて、信頼をしてきた科学技術の可能性を、さらに信じたいという期待と、
そこで、殉教者がでるのではというドラマの展開待ちが共存する。

過度な報道とネット上の賑わいとモニターの前を動けない症状は、社会全体が’急性ストレス障害’に、陥っていると診断できるそうだ。長期に続けば、’心的外傷後ストレス障害’となる。
  ミニ講座:被災後の心のケア?
診断できたら、治療する方針が必要だ。
自覚して、人と人が向き合うこと。結果を嘆いたり、その原因を早急に探るよりも、
こうなった状態を、お互いの認め合うことが、必要となる。
そして、過度のストレスの原因を除くには、共通できる目的を意識して、一緒に努力してゆくことが、何よりだろう。批判し、傍観するほどの、孤立して、心的外傷は深くなりそうだ。

では、目標は?
電力利用制限が続くならその根本的な要因への対処として、省エネからエコ社会への道を。
減速するモノの生産・流通に対処すた経済の活性化は、モノと同じように、人のサービスへの対価を払うこと。
交通・輸送制限があるなら、テレワークからユビキタス・ワークへ。地域の子育てから・学習・介護まで、多世代・核家族の分散による家事の外だしは、地域での事業化と互恵化を進める。地域資源の地産・地消を進めて、個性ある地域文化にまとめて、文化価値として情報と共にモノを外へ売る。
そこで必要になる、個人・組織・地域のコミュニケーション能力は、エコな通信・情報処理技術を活かして、移動を少なく、当事者がその時・その場で解決ができるような社会行動を身につけてゆく。

そんな、長期的な目標を掲げながら、今の被災状況を切り抜けてゆくしかない、じゃない?
今こそ、政治であり、それぞろ個人・組織の限界はあっても、情報を開示しながら、互いに、頼れる処を持ち合って、信頼しあいながら、進めてゆくしか無いじゃない?

と、つぶやいて、さー今日もお仕事、お仕事!

すぐ絶対の答えを求めれば、科学も神も、沈黙で返してくるだろう。
いつまでも、批判だけに止まるのは、近代科学の信者達だということかもしれない。
自然の信者は、無常を受入、変化に沿って生きるのだから。
丁度、
農家が耕作限界を越えて田畑を開き・品種・農法をを改良してきたように、
熟練工が問題の表面をなでながら、対象と折り合ってゆくように、
多様な自然の変化に向き合って、限られた量の資源を向き合ってきたのだから。

私たちは、信じるという意志以前に、身も持って自然に依存していることを身につけている。


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