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原発被災が、近代を終わるきっかけに、中央集権と自律分散の多層システムへ

2011-03-26 09:30:08 | 暮らし・街・環境
エネルギー生活・政策が、大きな転機にやってきた。
産業革命・第一次大戦・第二次大戦は、エネルギー源である石炭・石油・原子力で展開した。
生産を早めたのも、戦争を始めたのも、止めたのも、生産と破壊と殺戮の規模を大きくしたのも復興を早めたのも、エネルギー利用の量と質が増大したおかげだ。

資源に飢え、大陸から東南アジアへと開戦し、敗戦し、不戦を誓った日本は、今回戦争ではなく災害によって、また大きな転機を迎える。
これまでの、化石化燃料・凝縮核燃料という、過去の蓄積を一度に解放するエネルギー利用は、
枯渇し・破綻を来たすことは、想定なのことではなかかったか?時期が早まっただけだ。

これからは、大規模な集中型の施設ばかりでなく、局地的に自給・自足できるものを繋ぎ合う、自律分散できるシステムを増やす必要がある。局所でのエネルギー変換装置と利用ネットワークでバランスをとれるもの、太陽光とか燃料電池とか、すでに技術的な実用化への目処はたてられているのでは?
身近につかっている電気とは、エネルギー源ではなく、伝搬・変換・蓄積の媒介だと痛感した。
電池・コンデンサー・キャパシタを活用して受給のバランスをとるだけでは、世界の人口増には耐えられない。スマートグリッドは、発電だけでなく、受電コントロールもできるものだろう。

エネルギーの自律分散化を進めてゆくには、人の組織の自律分散が必要になる。
その、人の自律・分散は、都市から村へということではない。

次回につづく
(なんていってしまって、これは、独り言、与太話)

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