モノと心の独り言

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言葉と身体を時間に載せて、新舞踏の次へ

2012-04-24 04:51:34 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア

新舞踏の舞台を取材して、編集を重ねた。今、Youtubeに載せ終わり、「まちひとサイト」での紹介文章を考えている。

   墨田川踊りの会 発表会5

   隅田川踊りの会 発表会2  

   隅田川踊りの会 発表会3
   隅田川踊りの会 発表会4
遠くは今様から能・歌舞伎の長唄・民謡の流れ、謡曲・浪花節と唱歌・オペラ・ミュージカルの洋楽、そして歌謡曲から演歌、民謡・フォークソング・Jポップス・・・唄と踊りと舞台の歴史は長い。

新舞踊は、韓流ドラマに伺う強い感情表現とも違う、隠喩な細かな仕草・静かな動きです。歌謡曲では、歌詞の沿った仕草から踊りの振り付に強調されたのはビンクレディ、キャンディーズなどを想い出す。
現代の歌詞は、フォークからJPOPへ、外国語のタイトルや言葉が増え、米語の文章まで入りだしてきた。メロディは、アイルランド民謡(ケルト)・シャンソン・カンツォーネ・・・
リズムは・・・・
しかし、身体を動き出させるような言葉と曲が伴う音楽は、土着からは生まれきっていないのでは?
端唄・民謡・歌謡曲の次は、カントリー・R&B・ダンスミュージックに飛んでしまっているのではないか?
歌の内容も、日本語の言語・地域文化の背負う意味が薄れ、身体と乖離し、言葉が’音韻’中心になってきているのでは? それは、子どもでも、本能で感じる動物的な動きとリズム中心になってきているのではないか?
歌と踊りの意味は、欧米の歴史的な性の表現でもないし、ラテンアメリカやアフリカの身体の表現でもない。アジアPOPは、男女や大人子どもの境界を問わない、つまり積み重ねられてきた文化に浸りきらない世界の若者への広がりをもっているのかもしれない。ノンバーバルな文化は、グローバル市場に向いているのだ。

この4月から中学校で義務教育に取り入れたダンスは、ほぼ洋楽。創作ダンスに、日本の伝統音楽は入ってきているのだろうか? 
新舞踊の映像を繰り返し見ながら、まだ現代の日本語の歌に合わせる踊りは見えていないのではないかと思う。文字を自分で作らなかったケルト文化と日本語は、言葉の音韻が繊細な文化だ。
新舞踏以後に空白が、つまり実感できる言葉と身体の動きを形式化する踊りが見えていないのでは。
それとも、私たちは感情と身体と言葉を分離させてしまってきたのだろうか?
グローバルに住み込むには、ローカルな地域性を身につけてからこそ、他文化と楽しみ合えるのに。


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