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2014年8月15日 エネルギー確保は生存のテーマでありつづける

2014-08-15 06:04:04 | 暮らし・街・環境

今日は大東亜戦争敗戦日。太平洋戦争という呼称は、米国からみた名称。植民地争奪国民戦争だった第一次世界大戦で日本が得た領土を、中南米を影響下に治めた米国が、太平洋を越えて得ようと始めた戦いだったのだから。

米国から石油を輸入していた日本が、ABCDラインで禁輸され、エネルギー・資源をもとめて第2次世界大戦中のイギリス・フランス・オランダの植民地だった東南アジアに向かったから東亜(東亜細亜)戦争。日清・日露・第一次大戦で得た植民地を日本から奪うためと、欧州戦線参加との両面戦争に出たのがアメリカ。当時の世界・アジア状況を、今の基準でははかりきれない。

今は、経済競争力があるところでは、自由貿易市場を維持することが、経済発展の条件であり、戦闘のないことが求められる。経済競争力を持てない地域・集団が信仰と民族を手がかりに戦い(国の戦いは戦争、集団・個人の戦いはテロあるいは犯罪)を求める。平和は、現勢力のバランスがとれて、武力行使の必要が無い状態。

空襲・艦砲射撃、そして原爆など、本土決戦がさけられたのは、南洋諸島そして沖縄での壮絶な戦いの結果。直接見えない敵からの、砲弾・爆弾そして核への恐怖は、神からの恐怖のようで、戦後の教育・メディア施策で、「我が身を守る=地域を守る=国土を守る」意識を放棄させた。

そして、厭戦意識と平和意識を混同している間に、世界は資本市場戦争へ。国際市場を壊す国家同士の戦争宣言は無い。資源・労働・市場の取り合いを、制度と武力で国家が支え、資本力・技術力で企業が前線を世界に拡げる。かって、民族のせめぎ合いが中華を拡大し、西欧が世界をつなげ、新大陸への移民による米国の金融工学という錬金術で、不安と欲望のフロンティアを無限化した。

日本の開戦の大きな要素だった、ABCDラインでの経済制裁:エネルギー枯渇を、今日・明日・明後日のエネルギー施策に活かせるのか?

中東が石油以後も欧州・アジア・アフリカの通行・通商の要所を目指すように、環太平洋からインド洋への繋がりを日本が活かすことができるのか?

日本人が製品を輸出して差益を得る時代が終わり、世界の現場にでて中間管理職として活きて、差益を日本国内の維持に使うには?どう建造物を縮減し、多様な協力社会のために、次の世代が活躍できる場をどう空けてゆくのか?

平和とは、バランスが維持されれいることであって、自衛や衝突を放棄することではない。自律するべき生活文化を失えば、守るモノもないのだから、戦うこともないのだが。

これからの世代は、フクシマ3月11日が、区切りとなるのかもしれないが、エネルギーがテーマであるのは、8月15日と同じ。

 

昭和4年生まれの京橋の中村さんの話をまとめてみて、私も一言のこしておいた。

京橋の中村梅吉さんに聞く昭和 

1.因習の時代に育った京橋老舗白木屋の跡継ぎ 

2.敗戦から「なぜ?」を重ねて二十歳の8月15日 
3.昭和5年生まれの戦争体験をやっとまとめて

 


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