モノと心の独り言

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『倍音』が解きほぐす音世界、環境と身体と脳のとの共演

2021-07-30 12:31:16 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア

モノには固有の振動数があり、振動から発する音の波長は、基音と分割された倍音があります。
倍音には、均質なモノからの振動は、整数で等分される、整数次倍音と、
複合したモノからの相乗した、非整数次倍音との両極で捉えることができます。

熱帯雨林で生まれた弱い人類は、夜間や密林での生活は、視覚よりも聴覚を頼りがちです。
母体内では振動による聴覚が先で、視覚は生まれてからです。

無機物・生物・動物などの自然物の複雑性は、選別・加工・合成された人工物になるほどに単純化されます。
地球の自然環境も、緯度経度・地勢・気候、四季があり雨季・乾季などの周期的な変化の大小で、自然環境の複雑性は異なります。

その自然環境と人工環境の複雑性に沿って、非整数倍音と整数倍音の比率も変わります。
密林より草原、選別・調整された牧場・田畑・更地、土木建築された村・町・都市へと、非整数倍音が減じ整数倍音が増え、複雑性が減じます。

日本という気候と地勢に育まれた、多様な音・非整数倍音を多く含む音環境は、日本語の発話にも、大きく反映をしている。
その現象を、脳科学によって確かめつつ、日本の音・ことば・身体の特性を記しているのが、この『倍音』中村明一著です。

他方、整数倍音から、音程・音量・速度の三要素を五線譜に記号化し、弦を打つ楽器の極致としてのピアノを弾く脳を科学したのが『ピアニストの脳を科学する』古谷晉一著です。
整数次倍音の基音が五線譜で記され展開した西欧音楽のピアノ演奏を、’音楽する脳と身体の神秘’として、脳科学・身体運動学から紐解かれています。

世界の民族楽器、特に日本で引き継がれてきた楽器は、非整数次倍音が豊かです。
楽器の単純さに比して、演奏者の身体から呼吸・指先づかいまで多様さが、複雑な音に反映します。
そして、ことば・調べ・周りの音響まで、共時化したて無我へと誘います。
この豊かさを、現代のセンサーとコンピューティングを活用した脳科学が裏付け始めています。

それは、発話される音声から、表記される文字の多重さ:表音・表意・象形、そして、ひらがな・カタカナ・漢字の編と作りなど視覚と書記の動作としての身体運動まで及ぶ複雑さに及び、日本語脳の左脳と右脳の働きの特徴として捉えられてきました。

西欧は音を「音楽」というジャンルに分け、意識で合理的に追求しました。
日本は、言語・音楽・音響と、記号から環境音まで、音の世界に境界はありません。声明は、コトバというよりは音の響きであり、自然の音を模した楽器づかいも多いのです。

さらに、日本語の多重性:ひらがな・カタカナ・漢字ー表音・表意・象形は、表音文字の整数次倍音的な単純さより、視聴覚から所作まで繋がる複雑性の非整数次倍音のような複雑性が意識下に連想されがちです。

西欧のコミュニケーションが、一方向・双方向と個人の意識を前提にするのに比して、日本語では、主語を省いた同期型になりがちです。(明治維新・敗戦後の欧化・米化の変化を超え、自意識を過剰に膨らましてきたのは平成以来でしょうか?)

この分析の手がかりは、生活文化の背景を伴う言語よりは、脳細胞のセンシングとデジタル化の極致で、精緻なアナログ的変化の表示によります。
非数次倍音のデータ量が膨大なように、視覚センシングデータも、画像・動画・ハイスピード化などで膨大です。
聴覚から視覚・触覚・嗅覚・味覚などによるコミュニケーションンの総合的な分析・実態解明は、現在のスーパーコンピューターを超え、量子コンピューティングまでも必要なのでしょう。

人間の心とモノの関係は複雑で、更に、理解するコトと出来ることは違います。

生まれてこの方、どんな刺激に身を曝し、対象・相手との感応をどう繰り返し、環境と身体と脳のとのネットワーク回路を精緻化してゆくかは、行為の積み重ね次第です。

『倍音』の著者は、尺八奏者でもありますが、音楽家として、心身を精緻化してゆく深さを、音と脳科学で伝えています。


参照文献


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