モノと心の独り言

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ソト暮らしは、外部空間だけでなく、心身を開くアートからも。漆象作家:山岸厚夫さんとJINMOさんの対談と演奏に触発されて、シュールレアリスムの現代性を

2024-05-05 02:45:51 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア

日本で暮らしていると、季節の変化や行事・祝日などが、身体の状態とともに気分をも同時に変えていることは、当然だと感じています。また、日本語で、主語抜きで語り合うこと自体、状況共有を暗黙の内に認め合ってきたわけです。しかし、明治維新の欧化(君主・エリート主導の国)から敗戦後の米国(移民の国)化で、意識し表現したことだけを重視せざるを得ない状態へと変わってきています。
この意識的な実証科学が、物理化学的な近代技術・工業化・合理化・実用化を進め、集中と機能分化した産業・消費都市へ、多様な要素を含み合う街を変えてきました。
そして、デジタル・情報・ネットワークが広がる中で、AI/ロボティックスが、既存の情報・技術を集約し繰り返す、情報ロボット化が進みます。
その充足を、生産量・消費量や交換メディアである通貨量の増加でコト足りず、差異を求め続けるのが人の欲望です。
そのための更なる偶有性・創造性を、これまで同様の意識的な科学技術の発展に頼ることだけで求められるでしょうか?
ここで、近代化で置いてきた、感性・感情の領域を、現代のセンシング・デジタル・ネットワーク・情報技術で、確かめてゆく必要があります。
それは、まず理解しようとするのではなく、身体で感じ・身体で表現できるほどの心身を磨いてゆく、感覚からの道です。
幸い、四季多様で南北に長い列島に住んでいると、身近な日々が多様に変化しつづけ、地を歩めば多様な風土・生活に触れ、表音・形象・意味を複雑に感じ分け表現できる日本語に恵まれています。

教会・王族で育まれた西欧アートが、表現の対象を権威から身近な自然へ、そしてその分解・再構成した流通できるアート作品となり、米国化では、自らを高める資産からアート市場で通貨換算され投機商品ともなっています。
世界を・時代の権威を表していた人の技が、人自身の感覚を拡張・確認し、印象派から多様な流派へと別れ、更に断片と化してきたのが、世界大戦後のダダ以後だと考えています。
その近代意識による市民戦争への絶望の果て、意識の深層を手法として探ってきたのがシュールレアリスムであり、もう作品に留まらず、人の感性と作用し合うコト、生活の一コマも、心身に共振していることを試してきたのでしょう。

生活のなかで、自然(意図して作られていない、ままならない現象)も、人工(作った機能だけでなく、多様な関わりを生じるもの)、神経系と器官系の心身と呼応していること自体が、希少な人の技(アート)なのだと。

漆象作家:山岸厚夫さんとJINMOさんの対談と演奏に触発されての長い前置きです。

当日の様子は、「ソト暮らしできたらいいな」ブログ及び、「まちひとサイト」にて

身体感覚で意識を潜りソトの世界に開かれる 漆象作家・山岸厚夫とJINMO展2024

五臓六腑の内界と、脳ー神経ー感覚で外界と繋がり、環境と伴に生きる人が、意識―記号―言語ーメディアでの表現に依存するAI・ロボティックス・ネットワーク社会されたメディアに依存しかけている現在を超えてゆく二人です。


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