モノと心の独り言

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アウシュビッツ 60周年

2005-01-26 09:18:16 | 暮らし・街・環境
天災の次は、人災の話題。
アウシュビッツなどホロコーストでの虐殺は、100万人ほどとのこと。
他人種の虐殺、他宗教の虐殺、他民族、他種族など
自分たちからみたよそ者、違う者、外の者の区別の仕方は、いろいろある。
自分たちの生存を安定・拡大させる、人間の本能なのだろうか?

フン族の西欧侵略、ゲルマン民族の大移動  ???万人
中国王朝が変わるとき ???万人
略奪貿易時代、インカ・アユタヤの文明抹殺  ???万人
北アメリカ・インディアンへの侵略 ??万人
植民地時代、商品農業が破綻したアフリカ・アジアの飢饉 ???万人
ホロコースト 100万人
東西冷戦時代の代理戦争
冷戦後、中古武器による民族・種族戦争  ???万人
希少資源争奪による政治戦争 ???万人
ヒマラヤ、モンゴル、チベット ・・・・
イスラム ・・・・
そして、記録もされず、知られないままの死者たち。

「自由・平等・博愛」は、
宗教改革・市民革命が進む西欧で謳われた標語であり、
新教・カトリックともに、同じ”唯一神の下での”言葉である。
異なる神、不在の神の下では、その意味することの手がかりを失う。
他者のいない自己中心は、自己保存を優先し、戦争も、環境破壊も
自己保存のもとに優先する。
自動機械が増えれば、人の労働力の価値が下がり、
消費力・市場にならない生命は、放置される。

今、謳われる「自由」もまた、強者が生き残るための自由であり、
地域・民族・家族・個人により異なる。
私たちが、世界の一部であり、自身が自らを決してゆく資質がないのなら、
ただ、遺伝子の乗り物として、
状況への適応力を統計的に託されているだけなのだろうか?

今年、何らかの自然災害に会う人は2億人と、BBCは伝える。
私たちは、量られ・交換可能な世界に止まりつづけるのだろうか。
マクロとミクロを分離し、
自己中心だけで在りうるほど、
人間は単純ではないように思えるのだが?

イノセンスへの道は、遠くない。

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