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地域活動・組織を活かす地域イベント・地域メディア

2011-02-11 05:55:37 | 暮らし・街・環境
地域活動は、地域の歴史・政治・経済・生活などの基盤のうえで動きますから、全国どこでも、広域でも地域でも同じようにすればいいという訳ではないでしょう。地域社会で活動する組織を分けてみると、

組織の性格は、日常性・非日常性、有償性・無償性で分類すると

また、地域性・テーマ性で分けると、行政区・町会・神社・防災・危機管理・環境など地域性の強いものと、課題や話題などテーマ性が強く中央区を越えたものもあります。

<中央区の住民の変化>
この何年か関わってきた東京都中央区は、江戸からの町暮らしの歴史・組織が積み重なって、狭く・夜間人口がすくなく、勤め人・訪問者が多い地域です。湾岸の開発と並行して、工場・倉庫・住宅地の再開発が進み、都心回帰・職住遊接近の受け皿として、若い世代も増え、地縁・血縁がすくなく、賃貸で永住しにくい住民も増えています。
 そのなかで、町会も、青年部の高齢化は進み、子供会・婦人会が様々な別の活動と重なり・拡がっています。祭・消防団など、中央区も地域によって世代も構成も違いができてきました。横丁が縦になるとマンションとなって、世帯同士の繋がり方を変えざるをえません。大規模マンションでは、高層・中層・低層で、運営も・管理活動も分かれがちです。地主・家主が転出する一方で、就労・子育て真っ最中の新住民も増えるという両極もあります。
<村・家族から個人化し、さらに多重な人格を活きる社会では、その繋ぎのしかけを>
 村社会から家族・世帯へ、工業化と都市化へ、少子高齢社会が進み、世帯から個人へと生活単位がより小さくなってきています。その個人もまた、家庭・職場・その他の場所で多面的な活動をしています。その多様な生活を適切な相手と楽しむには、都会の中で多様なコトや人が混ざりながら繋がる仕掛けも必要です。年に一度の祭やイベントばかりではなく、繰り返される日常の場で、互いを知り・対話できること、せめて情報交換が必要です。それを、ポケベルからパソコンやケータイへ、そしてスマート・フォンへと統合化されてきた通信・情報機器が満たしてきています。
<組織の活動の変化>
既存の組織活動も、いろいろな展開をしてきています。町会活動も、防災拠点運営では横繋がり、こども会も警察や消防署の青少年組織へ、婦人会が赤十字へ、高齢者クラブも横繋がりのイベントをと、様々な縦横の繋がり方が見受けられます。民生委員・児童委員の活動も、新たな世代の参加・連携が期待されます。違法行為が反社会行為として、厚生保護士が社会復帰を支援するように、非社会行為である引きこもりからの生活破綻を防ぐには、街で多様な人とゆっくりと居られる場所をつくる必要もあるでしょう。女性・高齢者の自己実現・社会活動が望まれる少子・高齢社会では、就労中の母親・子育て支援から老老介護・退職介護など、単世代・独居世帯のためにも、街で育て・介護する時代です。
<組織の情報公開が公共性>
企業の社会活動も町のつきあいやメセナではなく、事業と連携したCSR活動なら持続できます。事業が繁栄しなければ、その社員・家族の暮しもないわけです。株式会社でも社会貢献型として、財務公開で運営しているところもありますから、公共性は法人の組織形態ではなく、活動内容と財務の情報公開にあります。公共法人・組織も、情報を開き、目的・コスト・成果を、人・モノ・カネのバランスをとりつつ、対応してゆく必要があります。
<議会・行政もまた、情報共有・参加促進の仲介・整理役へ>
社会に共通の理念や価値を求められなくなた時代ですから、真理の審議ではなく、それぞれの状況の理解・対応・結果の検証が、議会・行政の役割になります。そのためには、代議員の足ばかりでなく、情報収集・整理・提案力、議会の検討力、行政の現場での施策実施と結果検証力などが、必要になります。
<ビジョンの必要性>
そのビジョン・戦略・戦術は、行動しながら柔軟に対応するものであり、誰にも共通で平等な共通の真理やが在るわけではありません。課題の大きさ、解決する可能性の大きさという、相対的な指標が必要ですし、数値化された指標がまた、絶対視されるべきでもありません。
現場を観て・聞いて・対話して確かめてゆく活動が、代議員にも行政職員にも、住民にも必要です。企業も又、現場で商品・サービスと顧客とのあり方を確かめ続け、変化に対応できるスピードが問われています。
<ビジョンは、時と場を伴に重ねるなかで>
ビジョンという未来の価値と、歓び・楽しみという現在の価値のバランスは、数値やコトバだけでなくて、常にまつりごと・祭・イベント・集会・対話などで確かめあいながら、時間軸の長短にそって、測られるものです。マスコミの人気・スキャンダルと地域や国の方針が、同じ時間軸・同じ舞台で、問えるわけがない。家族が単世代へと短期化し、地域が最寄りの駅までと極小化し、マスメディアとパーソナルメディアによって、都会の中での孤立化が進む時代です。パーソナルメディアが、刹那的な享楽へと孤立化しないで、
より深く・持続的な価値の共有へと進むには、時間や現場を多重に重ねる地域でのまとまりが必要です。
<地域イベント・地域メディア>
それが、個別の発信・グループの発信を可能にし、場所・時刻を同調する地域SNS基盤であり、その流れの確認と話題をつくっていくのが地域イベントの日常化であり地域メディアなのではないでしょうか?

話を中央区に戻せば、
昭和通りの海側の日本橋・京橋から築地・月島・佃など、ゆっくりとた時間と距離感の残り香がまだ残っています。歴史の深さが、人々との日々の対話から感じられ、また移転してきた人たちのこだわりの無さが、とても楽しみな町なのです。’町暮らし’から’街暮らし’へ。中央区が現代の’街暮らし’のモデルになればと思います。

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