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福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

座席の選べない優先予約販売

2015-10-14 14:51:24 | コンサート
東京ジングフェラインとの「マタイ受難曲」聖トーマス教会公演は来年の3月1日であるが、そのツアーから帰国して間もなく、同教会合唱団&ゲヴァントハウス管が、「マタイ受難曲」とともに来日ツアーを行うという。指揮はゴットホルト・シュヴァルツ、といえば、2013年8月、ロ短調ミサを共演し、さらには上記「マタイ受難曲」でもご一緒するザクセン・バロックオーケストラの主宰者である。さらには前回のロ短調ミサでも独唱者として予定されていながら、体調不良のため直前にキャンセルされたのは惜しかった。ビラーの病気による退任に伴い聖トーマスカントル代行としてのツアー指揮である。

さて、来年ツアー中、わたしの都合のつくのはミューザ川崎公演のみ、ということで先日チケット優先予約販売に申し込んでおいたのだが、いざ期日となりコンビニでチケットを発券してみると、1階席サイドの最前列・・・。アイドル歌手のリサイタルならいざ知らず、まず、クラシックの公演で自分の選ばない座席だ。

生音によるクラシックの場合、座席の違いによる印象の差はPAを用いるポピュラーの比ではない。そのS席ならこのA席を選びたいケースだってままある。同じS席にも1階席もあれば2階席もあるわけで、買い手の好みの全く反映されないシステムにはまったく困ったものだ。憤りすら覚える。

楽な売り方なのは分かるけれど、聴き手のためのシステムの改善を求めたい。


冠雪したての富士

2015-10-13 16:25:50 | 日記


東京~富士~東京~長岡~大阪~東京~厚木~倉敷など、相変わらず移動の日々がつづいているが、本日、早めに富士に着くと冠雪したばかりの富士を拝むことができた。

堤俊作先生&富士フィルさんの「第九」コーラス指導以来、富士に通い始めてかれこれ16年になるが、富士山の偉容ばかりは見飽きることがない。季節により、時刻により、ひとつとして同じ表情はないのだが、その厳しくも優しい包容力の大きさだけは不変だ。

いまは、駅併設のカフェで、「エスプレッソをかけるソフトクリーム(アフォガート)」を味わいつつ、表紙だけみて選んだ不可思議な短編集の頁を手繰っている。気が付けば昔より読書量が落ちている。さらには小説より実用書や参考書の割合も増えている。これはいけない。移動の時間も長いのだから小説を読まなくては、と思うのだが、若い頃のように目がタフでなくて、休み休みとなってしまうのがもどかしい。

昔はよくレコードをジャケット買いしたものだが、この表紙買いした本もなかなか気が利いていて面白い。お迎えまでの小一時間、しばし音楽を忘れて読み耽ることとしよう。


モントゥーの「ペトルーシュカ」「火の鳥」の風変わりなテスト盤

2015-10-06 10:30:04 | レコード、オーディオ
一風変わったレコードを入手した。
モントゥー指揮パリ音楽院管によるストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」「火の鳥」(英DECCA録音・米RCA原盤)の米Classic Records社による復刻盤へのテスト盤2枚セット。

一見まったく同じレコードが2枚並ぶようだが、売り手によると、同じスタンパーながら、異なる成分配合によるビニールへのプレスとのこと。なるほど、聴き較べると、確かに音質の違いは明らか。

因みに、このレコードの英DECCAプレスによるオリジナル盤(SB盤)とも比較してみたが、レンジの広さや情報量の多さに於いて、復刻盤に分がある。
ただ、オリジナル盤にしかない空気感も捨てがたいのだから、アナログは深くて面白い。

なお、レコードへの収録順が、英オリジナル盤では「ペトルーシュカ」「火の鳥」、復刻盤では逆になっているのは興味深い。アルバムの冒頭が、明るく華やかに始まる「ペトルーシュカ」と低弦の蠢く「火の鳥」では、アルバム全体へのイメージも違ってくるのは当然だ。

目覚めの悪い朝

2015-10-06 08:55:51 | コンサート
ハイティンク&ロンドン響について、昨夜はあのように書いたけれど、どこか心に引っ掛かる。どうにもスッキリしない。というのも、わたしの感想が初日に浮かない顔をされていたマエストロとほぼ同じだからである。

初日の弦楽器セクションの極上の美が、そう簡単に失われるものだろうか? それを信じにくいのは確かだ。

もしかすると、たまたま、何らかの理由で真価を聴き損ねたのではないか? という疑念が生じては脳内をグルグル廻る。

なんとも目覚めの悪い朝である。


初日の感動には及ばず ハイティンク&ロンドン響

2015-10-05 21:59:29 | コンサート



ハイティンク&ロンドン響 来日ツアー最終公演を聴いた。会場は東京文化会館。モーツァルト、マーラーともに初日が余りに素晴らしかったため急遽聴くことにしたのだが、初日の感動には遠く及ばない結果となった。

演目の違い、会場の違い、演奏者たちのコンディションの違い、様々な要因が重なったのだと思われるが、一番の原因は燃えたたない弦楽器群である。ペライアとのベートーヴェン: 第4協奏曲から、なかなか火がつかない。第1楽章など常にベールに覆われているようなもどかしい響き。第2楽章の厚みのあるユニゾンで「おっ、スイッチが入ったか?」と期待させるも、フィナーレは肩透かし。
因みに、ペライアも音にいつもの結晶度が不足していたり、ミスタッチが多かったりと、絶好調とは呼べなかったように思われる。

さて、ブラームス。
「弦のプルトも増えたことだし、宜しく頼みますよ」
と祈りつつ臨んだか、やはり音が迫ってこない。ハイティンクのオーソドックスな解釈、誠実なアプローチに共感を抱きつつも、魂を震わしてくれるところまでには至らないのだ。

ここがNHKホールなら会場のせいとも言えようが、かれこれ40年以上も通う東京文化会館である。しかも、上手寄りとはいえ中央通路から2列目というから悪い席ではない。それでも、音が来ないというのは、やはりコンマスを始めとする弦楽セクションに問題があるのだと思われてならない。

一方、管楽器は素晴らしかった(第2楽章で、3番トロンボーン奏者が脚を組み、腕組みして寝ていたのは感心しないが・・)。
特にフィナーレ導入部の朗々たるホルンとそれに続くフルートの清冽さ! さらには居眠りを挽回する(笑)トロンボーンのコラールの深々とした響きなど。

弦もようやくコーダにきて鳴らしてきたが、「おいおい、それができるなら、もっと早くしてよ」と言いたくもなる。まあ、長いツアーで疲れているのは分かるけど・・。

結局、ブラームスのオーケストレーションが弦楽器主体であることが災いしていたように思われてならない。今宵、もっとも感動したのが、管楽器、打楽器、ピアノ、ハープという編成のパーセル(スタッキー編)「メアリー女王のための葬送音楽」だったことが、その証左ともなろうか。あの溶けるような金管のアンサンブルを聴いて、どれほどベートーヴェンやブラームスに期待したことだろう!

【プログラムA】
パーセル(スタッキー編): メアリー女王のための葬送音楽
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58 (ピアノ: マレイ・ペライア)
    ***
ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 


前代未聞 LP3枚組のブルックナー8??

2015-10-05 10:32:32 | コーラス、オーケストラ

レコード制作会社さんから、早速のお返事があった。有り難い。

やはり、ダイレクトカッティング方式での片面30分超は不可能で、音質的には20分以内が好ましいとのこと。

ということは、もしこの方式で製作するなら、第3楽章、第4楽章を2面ずつに分けることになる。

Audior盤チェリビダッケのリスボン・ライヴでは、後半の2つの楽章に3面を費やすという離れ業をみせていたが、製盤方式が異なるとはいえ、ブルックナー8番全曲に6面を費やすというのは、それを超えることになる。

確かに、ひとつの楽章の半ばで盤を裏返すのは面倒だ。しかし、シューリヒトの「7番」コンサートホール盤でも、全曲を1枚に収めるため第2楽章をA、B面に分けていたことを思えば、それも有りだろう。しかも、1面当たりの収録時間が短くなるため音質的にも有利に違いない。

最近では、45回転復刻盤で、楽章途中に席を立つことになれてきてはいるし(笑)、ここはひとつ、試作品を作ってみようかな?

また、某かの進展があったら、ご報告したい。

 


ブルックナー8番 夢のレコード化?

2015-10-05 01:24:53 | レコード、オーディオ

Facebookを眺めていたら、友の1人が「レコードが1枚から作れる」というページをリンクしてくれていた。

早速HPを訪ねると、プレスによらず、ダイレクトカッティング方式で1枚1枚作るのだという。

「バンドマンのための」とあるように、クラシックの顧客は想定していないようだが、試してみる価値はありそうだ。

そう、あのCD化もされた愛知祝祭管とのブルックナー「8番」ライヴ音源のレコード化である。

ということで、ご担当者にあれこれ質問事項をメールに書いているうちに夜も更けてしまった。

「後半2つの楽章が各々30分を超えているが、ダイレクトカッティングという方式で適応できるのか?」

「ポピュラーに較べ、格段に大きなダイナミックレンジの幅に対応できるのか?」

などなど、心配があるのだ。

ただ、たとえ実現したとしても、商品化は難しい。

というのも、ディスク2枚の原価だけで、10,800円(税抜き)かかってしまう。

これに、ジャケットやら、レーベルなどの印刷費、代理店へのマージンなどを加算したらとんでもない金額になることは間違いない。

また、完成品の音質がそれに見合うものかどうかも未知数だ。

あくまでも、自分や身内だけで楽しむレコードとなってしまいそうである。

 

 


パーヴォ・ヤルヴィの「復活」を聴き逃す

2015-10-04 15:12:00 | コンサート
いま、これを書いている時間、NHKホールにはパーヴォ・ヤルヴィ指揮によるマーラー「復活」が鳴り響いているはずである。

記念すべき首席指揮者就任披露演奏会のひとつ。あのリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」の超弩級の名演を思い出さずとも、聴いておきたいコンサートに違いない。

しかし、今回はご縁がなかった。
まず、初日の10月3日(土)は、イブラギモヴァのモーツァルト・ツィクルス3日目があった。チケットを購入する段階での優先順位は、断然イブラギモヴァにあったのだが、1日(木)の初日に接して株は急落。俄然パーヴォ&N響の方を聴きたくなったのだが、チケットが手には入るわけもなく断念。そのまま王子ホールにてイブラギモヴァを聴いたが、彼女のモーツァルトへの評価の覆ることはなかった。

さて、本日は、富士フィルさんとのマーラー「復活」のための合唱指導がある。これはドジを踏んだ。得意の早合点から昼間の練習と思い込んでいたのだ。つい数日前、夜の練習であることが判明。それなら、15:00開演のN響を聴いてもギリギリで間に合ったはずなのだが、これまた、チケットの入手は叶わなかったのである。

というわけで、傷心のままロマンスカーに揺られ南下しているところ。

まあ、いつもで引き摺っても何にもならないので、切り換えていこう。明日は東京文化会館で、ハイティンクの
ブラームスが待っていることだし。

巨匠ではなく美女を ~ イブラギモヴァ・モーツァルト・ツィクルス初日 追記あり

2015-10-01 21:36:47 | コンサート

 

今宵はNHKホールのハイティンク&ロンドン響を尻目に王子ホールのイブラギモヴァ・リサイタルへ。巨匠よりも美女というわけだ。モーツァルト・ソナタ・ツィクルスの初日である。

先方の演目がブルックナーであれば、鞍替えする可能性も大いにあったが、ブラームス「1番」は5日に東京文化会館で聴くことができる。と、迷いを振り切った。

昨年、トッパンホールで聴いたイザイの無伴奏ソナタ、断崖絶壁で奏するかのように悲壮で凄絶なイブラギモヴァであったが、今宵は些か勝手が違った。まだ、ツィクルス初日、残るコンサートを楽しみにされている方もいらっしゃるだろう。それゆえ詳述しない。

ひとつだけ述べるなら、風のように過ぎ去るべきところに表情を付けすぎであり、身体の中心線の揺らぐ剣の遣い手のような不安定さは否定出来なかった。やはり、モーツァルトは難しい。

ところで、休憩後の後半、客席の中央付近で轟々と鳴り響いた鼾はなんとかならないものか? 振り向くと当該の男性は椅子の背もたれに後頭部を乗せて天井を仰いでいる。隣席はかなりご高齢の老人で注意する気配もない。わたしが演奏中に歩いてゆくことも考えたが、却って演奏者の集中を乱すことは確実なので断念。ひたすら、祈り、耐えるしかなかった。王子ホールのアコースティックが素晴らしいだけに、客席の雑音も鳴り響いてしまうのには参った。

追記 確かに後半は集中力も出て、聴き応えのあるパフォーマンスではあった。ボクの価値観の外側ではあったにせよ、部分的な美しさには惹かれる場面も多かった。ただ全体的な感動には至らずといったところ。 ティベルギアンのピアノはセンスもあり、音色のコントロールも抜群。いつかソロでも聴いてみたい。 第2夜は聴けないが、3日目の土曜日には聴くので、改めて考察を深めたい。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 
10/1 Vol.1
第25番 ト長調 K.301(293a) 
第5番 変ロ長調 K.10
第41番 変ホ長調 K.481
********** 休憩 **********
第35番 ト長調 K.379(373a)
第15番 ヘ長調 K.30
第9番 ハ長調 K.14
第28番 ホ短調 K.304(300c)

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ) 

於・王子ホール