伊勢志摩サミットで合意しなければならない最大の課題は!
核兵器に費やすカネを人類の福祉のために使え!
核廃絶への道/「非人道性」軸に歩み模索を
河北新報 2015年05月31日日曜日
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20150531_01.html
核兵器廃絶が人類の悲願だとすれば、その理想へ現実を一歩でも二歩でも近づける必要がある。
廃絶につながる核軍縮をテーマの一つに約190カ国が集った国際会議は、しかし最悪の形で終わった。だが、戦わされた議論を無にしてはなるまい。悲願へと至る足掛かりとし、われわれは歩み続けねばならない。
国連で開かれていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、成果である最終文書を採択できず決裂、閉会した。5年に1度、NPT体制を点検し今後に生かす場だ。
広島、長崎への原爆投下から70年の節目の年でありながら、目に見える成果を得られなかったことは残念でならない。
この条約は核兵器保有を米国、英国、フランス、ロシア、中国に限定し、ほかの国に拡散するのを防ぐのが目的だ。5大国には「核軍縮」を義務づけ、非保有国には原子力発電を含む「核の平和利用」を認めるとはいえ、不平等性を内包した条約であり、双方の対立は根深く常に激しい。しかも、意思決定は全会一致。非保有国が核軍縮の強化を求めても、1国でも反対すれば、その主張はいれられない。だから最終文書の不採択は今回が初めてではない。特権を持つ5大国の責任は重い。にもかかわらず、その大国が無理を通せる。NPT体制の機能不全ぶりが一層際立った会合といえる。
愛国者の邪論 NPTは大国の核兵器を使った脅しを容認する条約です。ここに最大の問題がありますが、この点を見落としています。いや意識的に正当化しているのです。それは何故でしょうか。核兵器同盟である日米軍事同盟を容認しているからです。
しかし、そうして日の目を見なかった提案の中で今回、広がりを見せたのは「核の非人道性」に関する議論だ。兵器は全て非人道的だ。だが核兵器は破滅的な破壊力で非戦闘員の市民をも無差別、大量に殺傷する、極め付きの兵器である。日本人には当たり前のことでも、世界の共通認識にはなり得ていない。
愛国者の邪論 核兵器が非人道兵器であると言うことの理由の中で、重大なことを見落としています。それはヒバクシャが存在することです。通常兵器と根本的に違っている点です。このことの意味がスルーされています。
その非人道性を訴え、事実上、核兵器禁止条約制定に向けた議論を求めたオーストリアの提案に過半数の100カ国以上が賛同した。NPTとは別の法的枠組みで核廃絶を目指す動きといえる。大きな潮流となれば、反対した大国も黙殺はできまい。そのことは形骸化が進むNPT体制の立て直しにつながる可能性もある。期待したい。
各国指導者に広島、長崎訪問を促す日本の提案は、大戦での日本の加害をめぐる歴史歪曲(わいきょく)につながるという筋違いの中国の反対に遭った。
だが、政府は機会を捉え呼び掛けていきたい。核保有国指導者が被爆地で被爆者の声を聞き非人道性を体感することは、軍縮への道義的な圧力を高めることになるはずだ。
確かに日本は唯一の被爆国でありながら米国の「核の傘」の下にあり、オーストリアの提案にも賛同しなかった。
その非核外交の二面性は、否定できない現実である。だが、この現実を一歩でも二歩でも「理想」に近づけたい。
先の日米首脳会談ではNPT共同声明が出されている。その中で「核兵器使用による壊滅的で非人道的な結末」を指摘し「70年という(核兵器)不使用の記録が永久に続けられるべきだ」とうたう。
日米は共に、この声明を出発点とし、核兵器の非人道性を根幹に据えた政策、外交展開へと踏み出すべきだ。(引用ここまで)
愛国者の邪論 「核兵器の非人道性」を強調しながら、アメリカの核兵器の傘の下にあって、核兵器の使用禁止条約締結に反対する安倍政権を主権者である日本国民が容認していることの意味をスルーしています。この「現実」をどのように捉えて「理想」に「近づけ」るというのでしょうか。
ヒロシマ・ナガサキに来て、「核保有国指導者が被爆地で被爆者の声を聞き非人道性を体感することは、軍縮への道義的な圧力を高めることになるはずだ」と、「希望的観測」を述べるだけでしょうか?
そのような「現実」を維持しながら、核兵器国による核兵器を使った「脅し外交」は容認するのでしょうか。ヒバクシャの思いを無視をして「脅し外交」を容認するのでしょうか。
「非人道性兵器である核兵器」を容認しながら「非人道兵器である核兵器による脅し外交」を維持推進することを容認する。そうして北朝鮮を悪者に仕立て上げる!スジが通らないのは明らかです!
日本の侵略戦争の加害の犯罪事実を正当化する戦後自民党政権と安倍首相、そして非人道兵器を使用した犯罪の事実を正当化する歴代米政権とオバマ政権を曖昧・隠ぺいすることはできません。この「犯罪行為」は非人道的行為には時効は適用されないという国際社会の到達点です。忘れてはなりません。
そして核兵器を「抑止力」として保有することを正当化する英仏ロ中。核保有国に対する「抑止力」として核保有を正当化するインド。インドの核保有に対する「抑止力」として核兵器の保有を正当化するパキスタン。アメリカの核兵器に対する「抑止力」として核兵器保有を正当化する北朝鮮。アメリカの核政策の対する「抑止力」として核兵器開発をしてきたイランとその「抑止力」として核兵器を保有しているとされているイスラエル。これらの国々から核兵器が「テロリスト」に持ち込まれるのではないかとして核兵器の保有を「抑止力」として正当化する核保有国。
この「抑止力」という悪魔のサイクルを断ち切るためには、日本は何をなすべきか!この場合の「日本」とは何か!
憲法9条は、国際紛争を解決する手段として永久に放棄した装置として、国家による戦争・武力行使・武力による威嚇=脅しを明記しています。これは人類史的到達点です。これをヒロシマ・ナガサキの実相とヒバクシャの「現実」を拡散することで、国際条約=ルール化する必要があります。
核兵器使用の非人道性と原爆投下の違法性
―原爆裁判・下田判決50年記念シンポのご案内―
2013年11月18日
http://www.hankaku-j.org/data/jalana/131118.html
今、国際社会において、核兵器使用のもたらす壊滅的な人道的結果についての懸念が共有されている。過去における実際の使用(広島・長崎)や核実験、国際会議の成果などからして、いかなる国家や国際機関も、核兵器爆発がもたらす人道的危機に対処しえず、被害を受けた人々に十分な支援ができないという懸念である。
この懸念に基づき、2013年10月21日、国連総会第1委員会において、125か国の賛成で、「核兵器が、ふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっている。」、「すべての努力はこれらの大量破壊兵器の脅威を取り除くことに割かれなければならない。」、「核兵器が二度と使用されないことを保障する唯一の方法は、それを全面廃棄することしかありえない。」との声明が採択されている(日本政府も賛同している)。
この声明の特徴は、核兵器使用を、国際法上違法であると評価していないが、非人道的な結末をもたらすことを理由として、核兵器の全面廃絶を主張しているところにある。
核兵器の使用は、単に非人道的というだけではなく、国際人道法に違反するという立場からすれば、もう一歩の踏み込みが欲しいところではある。けれども、法規範の根底には、人道と正義があることを想起すれば、非人道性に着目する核兵器全面廃絶の主張は、積極的な意義を持つといえよう。
けれども、核兵器国は、この動きに賛同していない。核兵器国が廃棄の意思を持たない限り、核兵器はなくならない。核兵器国に核兵器廃絶の意思をどのように持たせるか、それが問題である。
この壊滅的人道的な結果に着目して核兵器の全面廃棄を求める潮流は、核兵器国に対して、「あなた方は、非人道的結果をもたらす核兵器を使用するのですか。それを恥としないのですか。核兵器の使用は非人道的ですよ。」と問いかけ、核兵器使用の正当性を剥奪しようとしているのである。核兵器国に核兵器使用を思いとどまらせる一つの有効な方法であることは間違いない。非人道的手段での政治的意思の実現は、決して国際社会の共感を得られないからである。
このアプローチは、核兵器は不必要と考えていたコリン・パウウェルが、2002年、対立するインドとパキスタンの首脳に対して、「もう一度、広島・長崎の写真を見てはどうか。」と迫って、核兵器使用を思いとどまらせた手法と相通ずるところがあるといえよう。
ところで、私たちは、広島と長崎への原爆投下について、単に写真にとどまらず、法的判断を持ち合わせている。
1963年の原爆裁判(下田事件)東京地裁判決である。
判決は、「原子爆弾による爆撃が仮に軍事目標のみを攻撃の目標としたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力から盲目爆撃と同様な結果を生ずるものである以上、広島・長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為である。」としている。
判決は、米軍による広島・長崎に対する原爆使用は、「無差別攻撃」を禁止する国際法に違反すると判断しているのである。
さらに、判決は、「広島、長崎両市に対する原子爆弾の投下により、多数の市民の生命が失われ、
生き残った者でも放射線の影響により18年後の現在においてすら生命を脅かされている者のあることはまことに悲しむべきことである。原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものといっても過言ではない
。このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している。」としたのである。
判決は、原子爆弾は「残虐な兵器」であり、国際法に違反すると断言しているのである。
50年前、東京地方裁判所は、「無差別攻撃の禁止」や「残虐な兵器の使用禁止」は、国際人道法の基本原則であり、その違反は、非人道的という非難にとどまらず、法規範に違反することになる。よって、核兵器の使用は、道義的非難に値するというだけではなく、違法だということを明言しているのである。
そして、この判断枠組みは、国際司法裁判所の「核兵器の使用、使用の威嚇は、一般的に国際法に違反する」とした勧告時意見(1996年)にも共通するものである。
このように、核兵器使用は、道義的、政治的責任のレベルを超えて、法的にも容認されないものであるとされつつあるのである。むしろ、違法というにとどまらず、犯罪であるという言説も説得力を持って展開されているのである。
けれども、核兵器国や核兵器依存国は、いまだに核兵器の安全保障上の有効性を理由として、核兵器廃絶に消極的である。
例えば、日本政府は、核兵器の非人道性を認めながら、核兵器の抑止力に頼ろうとしているのである。仮に、軍事的に有効であったとしても、無差別攻撃や残虐な殺傷を禁止するのが、国際人道法(戦争法)の存在理由である。日本政府は、国際人道法についての初歩的理解がないのである。
安倍晋三首相は、「化学兵器はいかなる場合でも禁止されるべきである。」いう。であるならば、核兵器も禁止されてしかるべきなのである。首相には、思考を途中で止めないでほしいと注文しておきたい。
化学兵器、生物兵器、対人地雷、クラスター爆弾などは、国際社会から放逐されている。核兵器についても同様の処置がとられなければならない。
そのための政治的意思の形成の根底におかれるべきは、核兵器使用の壊滅的人道的結末への懸念であり、現実に使用された核兵器使用に対する違法判断である。
人道的結末に懸念を抱く者たちには、広島と長崎への原爆投下がもたらした現実と法的判断を想起して欲しいし、広島と長崎の現実を知る者は、人道的結末に懸念を抱く者たちに、被爆の実相と原爆裁判の現代的意義を伝えなければならない。
来る12月8日、明治大学リバティタワーで、「原爆投下は、国際法に違反する」とした原爆裁判50年周年記念のシンポジュウムが開催される。
松井芳郎名古屋大学名誉教授の「原爆裁判判決の現代的意義」についての基調講演、朝長万左男(長崎原爆病院院長)、山田寿則(明治大学・国際法)、小沢隆一(東京慈恵医大・憲法)、田中煕巳(日本被団協事務局長)、川崎哲(ICAN共同代表)、野口泰(外務省軍備管理軍縮課長)各氏によるパネルディスカッション、映画「人間であるために」(原爆裁判を担った岡本尚一弁護士の物語)の上映などの内容である。皆さんの参加を心から呼びかけるものです。(引用ここまで)
広島・長崎原爆の非人道性の物理学的根源
沢田昭二名古屋大学名誉教授・物理学・被爆者
原水爆禁止日本協議会代表理事
http://www.antiatom.org/Gpress/?p=9781
1.初期放射線
2.熱線
3.爆風と衝撃波
4.放射性降下物
4-1.原子雲と放射性降下物の降下範囲
4-2.放射性降下物による被曝影響
4-3 放射性降下物による内部被曝の隠蔽政策
5.誘導放射化物質
6.おわりに
以上示したように、原爆使用による非人道性の物理学的根源として、初期放射線、熱線、衝撃波と爆風、放射性降下物、誘導放射化物質のそれぞれ単独でも、これまでの兵器では見られなかった桁違いに深刻な非人道的影響をもたらしたことがわかります。しかし、実際にはこれらの影響は相互に重なり合って非人道的な影響をいっそう深刻にしています。
1995年に広島で開かれたパグウォッシュ会議に参加した科学者が原爆資料館を見学して写真や展示物を見た後、「自分のイマジネーションの能力がいかに貧弱であったかを思い知らされた。これまで核兵器のことを論じてきたが、原爆の被害を原子雲の上から想像していた。しかし資料館を見学して初めてあの原子雲の下で何が起こったかを少し想像できるようになった」と口々に語ってくれました。しかし、これは放射性降下物による内部被曝が原子雲の広がった広い範囲で深刻な影響をもたらしていることがわかる前のことでした。
放射性降下物と誘導放射化物質による内部被曝も含めた被曝影響に関する世界と日本の研究の大きな歪みを被曝実態に基づいて正すことが、核兵器使用の非人道性を告発し、核兵器を禁止する上で不可欠で、とりわけ科学者の役割は大きいと思います。さらに福島第一原発事故などの原発事故や核実験による被曝など放射線被曝で苦しんでいる人類を守るためにも必要です。
人類社会はすでに
19世紀後半の1868年のサンクトペテルスブルク宣言によって「戦闘外におかれた者の苦痛を無益に増大し又はその死を不可避ならしめる兵器の使用」は人道法に反するとして非人道兵器の使用を禁止してきました。
そして1945年に国際紛争を解決するためには平和的手段に徹することを求め、武力の使用を原則禁止した国連憲章に到達しました。
しかし、広島・長崎の原爆投下以来の核脅迫政治によってこの国連憲章の精神が踏みにじられてきました。
広島と長崎の原爆はサンクトペテルスブルク宣言で禁止された非人道兵器より桁違いに非人道的で、現在の核兵器は広島・長崎原爆よりさらに桁違いに非人道的です。
人類が100年前より人道でも発展しているとするならば、一日も早く核兵器禁止条約を成立すべきなのは当然です。(引用ここまで)