岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「今年の大沢の雪渓、4人連れで登る。その前に、昨日相棒と登ったこと」(3)

2009-07-02 05:15:04 | Weblog
 (今日の写真は1998年11月15日に写した大沢の上部だ。この日は登り初めから深い霧に覆われていた。高度が上がるに従い、それは雪に変わったが、吹雪になることはなかった。視界は100m程度だろうか。大沢を登山道を辿りながら登って来たが、いつの間にか道は雪に覆われて見えなくなっていた。しかし、この程度の視界であれば山頂へ行くことはたやすい。間もなく種蒔苗代だ。胸にぶら下げているカメラで「後ろ」を向いて撮ったものだ。写真中央下部の雪には私の靴跡がはっきりと見える。もちろん、ワカンもアイゼンも着けてはいない。)

  「今年の大沢の雪渓、4人連れで登る。その前に昨日相棒と登ったこと」(3)

 続きを書く前に昨日のことを書こう。27日には「4人連れ」だったので「雪渓」を詳しく調査することが出来なかった。そこで、今年の「異常」な雪渓を調べ、ついでに、「アイゼン」登高の妙味を味わってこようと、昨日相棒と一緒に百沢登山道を登った。
 自宅を7時に出た。焼け止り小屋には9時30分頃着いた。だが、どうも「ひたすら脇目もふらずに登る」というわけにはいかない。
 後続する相棒は、足下や道ばた、それに目の高さや頭上の「花々」に目がいってしまうらしく、盛んに「これは何ですか」などという「問いかけ」をする。私が見過ごして、または「気にとめない」で通り過ぎた「花」などは、少し戻って確認をするということが続いた。
 その最初が「ウメガサソウ(梅笠草)」だった。次いで「クモキリソウ(雲切草)」だ。そのような調子で焼け止り小屋の手前までの「エゾノヨツバムグラ(蝦夷の四つ葉葎)」まで、10数種の花に出会い、その都度名前を確認しては立ち止まっているものだから、百沢スキー場の登山口を出てから2時間ほどかかって焼け止まり小屋に着いた。
 その時点で、私は山頂到着を11時過ぎ、遅くても11時30分と見込んだ。
    
 大沢雪渓の末端は27日に比べて殆ど「後退(山側に向かっては前進ということ)」していなかった。小屋から大沢に入り、右折して、左折をして右岸の縁を滝を高巻くように登りきったところが雪渓の末端だ。
 「アイゼン」を着ける。私の「アイゼン」はイタリヤのカンプ製「アルミ打ち抜き」で安価で軽量、ワンタッチで着脱が出来るというものだ。
 相棒のものは、カドタ製の「鍛造アイゼン」だ。「鍛造」だから「国定忠治の刀」ではないが「鍛えし業物」である。ちょっとのことでは曲がることもないし、折れることもない。絶対の安全を保障する業物なのだが、何しろ重い。その上、ベルトで固定する仕様であるから「着脱」に時間がかかる。
 これは、私がヒマラヤの7500m峰に行った時に使用したものだ。相棒と春夏秋冬、岩木山登山を始めてから、残雪期と厳冬期にはずっと、この「アイゼン」を使っているのだ。私のものとは「雲泥」の違いがある。私のものには「命の保障」はないのだ。
 だが、これまで、この「アイゼン」の出番は殆どなかった。「残雪期と厳冬期」には必ず、「ザック」の中に入っているのだが、登高は「ワカン」の「爪」を効かすことで十分だった。残雪期にほんの数回「試行」の類程度に使ったことはあったが、数百mに渡って「アイゼン」装着で「登下行」したことはなかったのである。
 その上、特に今季の3月から4月にかけての積雪期に実施した「烏帽子岳」ルートや「扇ノ金目山」ルートでは、私は相棒にピッケルワークと「キックステップ」の習得と習熟を強いた。相棒はほぼトップに立って「キックステップ」を続けた。そこで、痛いほど長距離と長時間続く「キックステップ」の疲れと辛さを体験した。
 相棒の体験は、その度に私に「楽な登山」を与えてくれたのである。相棒がいなければ出来ない登山だった。だが、「楽をすること」だけが私の狙いではない。
 「キックステップ」は「残雪期と厳冬期」の技術的な原点である。これが出来なかったり、「する体力に欠ける者」は「残雪期と厳冬期」に登山をするべきではない。相棒は確実に「キックステップ」のテクニックを習得し習熟した。
 そこで、次の段階である。相棒はこれまで、数度試し程度に「アイゼン」を着けて登高と下行をしたことがある。その体験は「キックステップ」に比べると、遙かに「楽」なものだったに違いない。しかも、安定性があり、「滑落」や「転倒」という恐怖から解放されるものでもあっただろう。
 しかし、10本や12本の爪が硬い雪面をしっかりと噛んでいるからといって「転倒」などがないかというと、そうではない。爪を引っかけたり、爪が靴を雪面に固定させるから、その都度、その都度バランスをうまくとらないと、下降する場合は頭から転倒することもある。重い荷物を背負っている場合は特にそうなる。
 「アイゼン」使用時の転倒や滑落を防ぐ基本には「キックステップ」技術があるのだ。そして、「アイゼン」での登下行には「キックステップ」という技術が連動的に絡み合っているのだ。「キックステップ」技術をマスターしないまま「アイゼン」を着けることは、言ってみれば、それは「自爆行為」に等しい。
 その上、相棒は「ピッケルワーク」にも馴れていた。ピッケルでバランスをとりながら、12本爪のつま先部分を差し込むようにしながら、残りの10本爪を雪面全体に差し込むようにして登る。下りは踵から、アイゼンの後部の2本の爪を蹴り込むようにしながら、全体を雪面に付置していく。
 相棒は「長距離のアイゼン登下行」を渇望していた。幸いにも今季は大沢の雪渓は長い。チャンス到来である。これまでの地道な基本訓練を経ているので、本番は大丈夫だ。
 …ということで、この「アイゼン」を主体にした百沢登山道利用の「登山」が行われたのである。
 もちろん、「ザイル」の出番はなかった。「アンザイレン」することも、ザイルを張ることも、相棒にはまったく不要だったからである。27日の登山とは「この部分」が違うのである。(この稿、明日に続く)