岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「岩木山登山マップ」 / 久しぶりの踏み跡探し…曲がりなりにも岳まで行った(その8)

2009-07-30 05:24:55 | Weblog
(今日は写真でなく昨日に続いて、「図版」だ。これは最近、弘前市観光物産課が発行した「岩木山登山マップ」である。旧岩木町が弘前市と合併する前に「本会」に作成を依頼した「岩木山ものしりマップ」の一部であり、「マップ」は私が、岩木町が所有していた原板に手を加え、修正して新しく作り直したものである。版権は弘前市(?)にあるかも知れないが「著作権」(?)は私にあるのだろうか。
 この度、弘前市から「掲載」の許可を貰ったので、本会ホームページに掲載してある。
ただし、掲載してあるものは、「今日の図版」のマップではない。
 本会ホームページの「岩木山登山マップをご利用下さい」をクリックするとページが開くので、そのPDFファイルから印刷が可能だ。これはA4版で印刷して使える。ただし、A4 版3枚ということになる。
 私は管理人に、最初この「今日の図版」の表と裏2枚を送付した。本音はこちらを「ホームページ」に張り付けて欲しかったのだ。これは元図版がB4版である。私のスキャナーはA4 の大きさまでしか取り込めないので、これを4分割して取り込んでから、2枚ずつ貼り合わせたものである。これには苦労した。
 何故、こちらを推奨したかというと「ホームページ掲載」のものがA4版3枚になるのに比べると、こちらはB4版であり、B4サイズで裏と表に印刷すると、ポケットに入るくらいコンパクトに折りたたむことが出来るからだった。
 コンパクトに折りたたむには、「津軽国定公園岩木山登山マップ」面を上にして、横向きで、内側に2つ折りにする。すると細い横長となる。
 次に「岩木山登山マップ」という写真部分が右はじになるようにして、内側に2つ折りにする。そして、両端のページを左右の下側に折り込むと、大体「ポケット」に入るくらいの長方形になるのだ。使用者はこれをビニール製の袋に入れて携帯すればいいわけだ。
 だが、B4サイズで印刷出来ない人もいるだろうと考えた。そこで、管理人に、A4版3枚セットの図版も送った。こちらも、公開すること、印刷して利用することの了解を得ているので、自由に使用していいものだ。管理人は、この2種類の「図版」を受け取って「B4サイズで印刷出来ない人もいる」という事実を勘案して、「A4版3枚セット」の方を「ホームページ」に掲載したのであろう。誠実な対応である。
 「今日の図版」や「ホームページ」に掲載したものには共通したことがある。つまり、図版はあくまでも、「デフォルメ」であるということだ。だから、正確性は保障出来ない。
 例えば、赤倉登山道と弥生登山道は山頂近くで「一緒」になっているが、事実は山頂までは別の道である。特に、「今日の図版」の方は、元の図がB4版なので、それをA4版2枚にして取り込み、B4版に貼り合わせているので、線や図形にずれがある。よって、正確な距離などはこの図からは測れない。
この「コンパクトになるマップ」が欲しい人は「差出人」だけの「空メール」を「本会代表のメールアドレス」宛に送ってくれると約1.0MBの画像として送付することが可能である。ご利用下さい。
 また、A4版3枚セットの方は開いた後で、そのまま印刷することも可能だ。どうぞ、「岩木山登山マップ」を利用して下さい。印刷をして、登山の際に利用していただけると幸いである。
 最後にもう一度…「記載されている図や記号はかなりデフォルメされているので鵜呑みにしないこと」をお忘れなく…。
 なお、「岩木山ものしりマップ」は来年度には発行される予定だという。)

 ◇◇ 久しぶりの踏み跡探し…曲がりなりにも岳まで行った(その8) ◇◇
(承前)

 …「林道」から踏み跡に入った途端、そこは「踏み跡」には見えなかった。林道敷設のために樹木が伐られているからだ。樹木がないから「下草」や「オオバクロモジ」、「タムシバ」などの小木低木が、いくらでも、陽光を浴びて繁茂しているのである。
 林道からの取り付きや「スキー場ゲレンデ」からの取り付き部分は、どこも、「厚い下草の繁茂や枝」に覆われて分からないものだ。
 このような場所では「足許」に注意しても「踏み跡」は分からない。先ずは「周囲の樹木の幹や枝」に付けられた赤ペンキなどの印探しだ。見つかったら、その「側」の下を探る。
 それもない場合は、横に2mほどの間隔を開けて、数カ所、枝葉をかき分けて覗いて見る。「微かでも踏み跡らしかったり、獣道」のようなものが見えたらそこへと入って行く。その場合、注意しなければいけないのは「自分たちがこれから進もうとしている方角」である。私たちの場合は「西」である。
 幸い、「赤ペンキ」跡があったので、それを追いながら、「西」に向かって動き出した。しかし、直ぐにその「赤ペンキ」跡は北西に向きが変わった。尾根を横切ることから、斜めに「登り」ながら移動しているのであった。今度はまた、「西」へと進む。林内を大きくジグザグを繰り返しながら、確実に私たちは水平移動でなく、「斜登」移動をしていた。
 私には、この薄れた「赤ペンキ」跡に従って行くべき先の見当がついていた。そこはかなり標高の高い場所であった。だから、「登る」必要があるのだ。
 ジグザグを繰り返しながら、小さな「枯れた沢」を渡る。そこからはほぼ真っ直ぐに水平移動で尾根を横切って行く。私たちは、平沢左岸尾根の中央部に達していたのだ。
 歩みは今までとは違ってスピードが増した。「目的」地が近いこと、「目」で探しながら移動するということがなくなったからである。つまり、微かではあるが、明らかに「踏み跡」が確実に「西」に向かって付いていたからである。
 本当に「林の中」に付けられた「踏み跡」はなかなか消えないものだ。それには条件がある。それは「木が伐られたり植林されない」ということだ。
 ブナ林の中に造られた「踏み跡」道は、そのブナ林が昔のまま保たれると40年や50年経っても消えることはない。だが、一旦、伐採されると「踏み跡」は1年で消えてしまう。
 平沢の尾根は広い。だが、ずいぶんと距離は稼いだ。左岸尾根の縁も間もなくだ。(明日に続く)