(今日の写真は滝ノ沢右岸尾根の縁から見えた「滝ノ沢の滝」だ。私は昨日『時期的には下草や枝葉が伸びて、「踏み跡探し」には不向きなことは知っていた』と書いた。今日の写真は、そのことを証明するものだろう。
この写真では「滝の全景」は写ってはいない。上部と下部が枝葉に遮られて、見えないのである。だから、少し補足をしよう。
上部の葉に遮られて見えない部分には、その下に見えるほどの垂直の岩が連なっていると思えばいい。下に見える岩はその半分の姿しか見せていない。だからその半分の高さの下が沢本流となっている。写真中央の下端に広がっている「焦げ茶色」の部分がそれだ。
この滝の全長は大体25~30m程度だろう。前々日、前日と降り続いた雨の所為で「水量」が増しているから、「垂水(たるみ)」(注)としての景観を保持しているが、そうでない場合は「滝」というよりは「二段からなるただの岩崖」である。
それにしても、この木々の葉の緑の濃いこと、まさに「夏緑」、季節はすっかりと「真夏」なのだ。
この辺りの樹木は「ミズナラ」が多い。それに「ハウチワカエデ」などが混じる。総じて岩木山の、この尾根を含んだ「南面」では、結構標高の高いところまで「ミズナラ」が生えている。この日もかなり、上部まで登ったが、それでも「ブナ帯」までは行かなかったのだ。
この写真の「滝」は「沢登り」をしない人には、決して見ることが出来ないものだ。そのような人も、この「写真」を見て、「行った気」になってもらえると嬉しい。)
注:「垂水」…滝のこと。広辞苑によると、滝とは、古くは「タギ」と呼んでいた。「河の瀬の傾斜の急な所を勢いよく流れる水。激流。奔流のこと」また、「高い崖から流れ落ちる水。瀑布。たるみ(垂水)のこと」とある。
今日の写真にマッチしているようなので、水原秋櫻子の俳句を一句紹介しよう。
・滝落ちて群青(ぐんじょう)世界とどろけり・
◇◇ 久しぶりの踏み跡探し…曲がりなりにも岳まで行った(その2) ◇◇
(承前)
私たちは「沢」から「尾根への取り付き地点」を探すことを諦めたわけではなかった。僅かに「旧営林署」時代の痕跡のある「ペンキ跡」の残る立木を発見はしたものの、そこから「沢」に降りる踏み跡も、また、そこから「尾根」を横切る「踏み跡」も見つけることは出来なかった。
そこで、「よじ登ってきた崩落地の現状」から「沢に降りる・沢から登ってくる」踏み跡は、幅100m、高さ30mにわたって生じた「崩落(地滑りと言ってもいいかも知れない)」によって「消滅」してしまったのだろうと結論づけたのだ。
そして、…とすると、もっと上部に「別の取り付き地点」があるかも知れない。そこからの「尾根横断の踏み跡」もあるのではないだろうか…と考えたのである。
私たちは右岸尾根の縁に沿って、「上部にあるであろう取り付き地点」を探しながら、さらには、尾根を「横切る」踏み跡を探しながら登って行ったのだ。もちろん、ただがむしゃらに登るのではない。「鉈」を手にして、枝葉や竹を払いながら進むのだ。これは、「戻ることを余儀なくさせられた時に辿る目印」を作るためであり、前進を阻む「藪」を刈り払いしている訳ではない。
かなり登った。だが、尾根左岸には「取り付き地点」を示す「踏み跡」らしきものは出てこない。ところで、滝ノ沢右岸尾根はそれほど広くはないのだ。だから、登って行くと次第に「尾根を縦に走る中央ライン」に近づくことになる。
尾根の中央ラインには、よく、「小さな沢」状の通水跡があるものだ。「藪に捲かれて方向を失った人」が、それを踏み跡や「道」と思い込んで、それを辿ることがある。だがこの「通水跡」は大概、大きな「沢」に「流れ込んで」いるものだから、谷に落ちたり、谷に迷い込んでしまい、にっちもさっちもいかなくなるのが落ちなのだ。
さっきから、登って行く右側に、この「通水跡」のようなものが見え隠れするようになってきた。
私は「降りる時に利用すると迷い込む」が登りに利用するには、その心配もない。これを辿って行く分には「目印」をあまり付ける必要もないなどと考えて、「それ」を辿ることにした。
十数分後、私の「目の高さの樹木の枝」に、紅い「ビニールテープ」が巻き付けられているのを発見したのだ。電気工事用のテープである。「紅い」と書いたが、それはすっかり変色して「白っぽく」なっていた。「電気工事用のテープ」には「黒、白、黄色、赤、褐色」など多色あるが、耐用年数は、結構あるもので、数年で変色することはない。
私はアマチュア無線を趣味にしていたこともあるので、タワーや屋外配線(ケーブル)の補修によく、このテープを使った。その経験からすると「目の前に見えている」白く変色したテープは、少なくとも20数年前に巻き付けられたものと考えられた。
そして、このテープは「これは通水跡ではなく、踏み跡」であることを教えてくれたのであった。
私たちは、その踏み跡を辿ることにした。数分後にまた、「巻き付けられたテープ」を発見した。もう確定的であった。これは「古い踏み跡」なのだ。そして、さらに、数分後また「テープ」である。
ところが、それ以降「テープ」は消えた。忽然と消えてしまった。だが、踏み跡は続いていた。それをひたすら辿る。だが、「目印」のための「刈り払い」頻度が多くなってきた。そうしているうちに、この「踏み跡」も途切れてしまった。「上にも左右にも」もはや、踏み跡はない。
これ以上、先に行っても「取り付き地点」と「横切る踏み跡」はないと判断して降りることにした。
登りと降りる時では「視線」の先が違う。登りの時に見えなかったものが「降りる時」に見えることがある。降り始めて、何個目かの「巻き付けられたテープ」を確認した、その場所で、私たちは「色褪せた赤ペンキ跡」を見つけたのだ。登って行った時は、まったく気がつかなかったものだ。この「ペンキ跡」こそ「営林署」が付けたものである。
これではっきりした。これは、かつて「営林署」が使用していた「踏み跡」なのであった。(明日に続く)
この写真では「滝の全景」は写ってはいない。上部と下部が枝葉に遮られて、見えないのである。だから、少し補足をしよう。
上部の葉に遮られて見えない部分には、その下に見えるほどの垂直の岩が連なっていると思えばいい。下に見える岩はその半分の姿しか見せていない。だからその半分の高さの下が沢本流となっている。写真中央の下端に広がっている「焦げ茶色」の部分がそれだ。
この滝の全長は大体25~30m程度だろう。前々日、前日と降り続いた雨の所為で「水量」が増しているから、「垂水(たるみ)」(注)としての景観を保持しているが、そうでない場合は「滝」というよりは「二段からなるただの岩崖」である。
それにしても、この木々の葉の緑の濃いこと、まさに「夏緑」、季節はすっかりと「真夏」なのだ。
この辺りの樹木は「ミズナラ」が多い。それに「ハウチワカエデ」などが混じる。総じて岩木山の、この尾根を含んだ「南面」では、結構標高の高いところまで「ミズナラ」が生えている。この日もかなり、上部まで登ったが、それでも「ブナ帯」までは行かなかったのだ。
この写真の「滝」は「沢登り」をしない人には、決して見ることが出来ないものだ。そのような人も、この「写真」を見て、「行った気」になってもらえると嬉しい。)
注:「垂水」…滝のこと。広辞苑によると、滝とは、古くは「タギ」と呼んでいた。「河の瀬の傾斜の急な所を勢いよく流れる水。激流。奔流のこと」また、「高い崖から流れ落ちる水。瀑布。たるみ(垂水)のこと」とある。
今日の写真にマッチしているようなので、水原秋櫻子の俳句を一句紹介しよう。
・滝落ちて群青(ぐんじょう)世界とどろけり・
◇◇ 久しぶりの踏み跡探し…曲がりなりにも岳まで行った(その2) ◇◇
(承前)
私たちは「沢」から「尾根への取り付き地点」を探すことを諦めたわけではなかった。僅かに「旧営林署」時代の痕跡のある「ペンキ跡」の残る立木を発見はしたものの、そこから「沢」に降りる踏み跡も、また、そこから「尾根」を横切る「踏み跡」も見つけることは出来なかった。
そこで、「よじ登ってきた崩落地の現状」から「沢に降りる・沢から登ってくる」踏み跡は、幅100m、高さ30mにわたって生じた「崩落(地滑りと言ってもいいかも知れない)」によって「消滅」してしまったのだろうと結論づけたのだ。
そして、…とすると、もっと上部に「別の取り付き地点」があるかも知れない。そこからの「尾根横断の踏み跡」もあるのではないだろうか…と考えたのである。
私たちは右岸尾根の縁に沿って、「上部にあるであろう取り付き地点」を探しながら、さらには、尾根を「横切る」踏み跡を探しながら登って行ったのだ。もちろん、ただがむしゃらに登るのではない。「鉈」を手にして、枝葉や竹を払いながら進むのだ。これは、「戻ることを余儀なくさせられた時に辿る目印」を作るためであり、前進を阻む「藪」を刈り払いしている訳ではない。
かなり登った。だが、尾根左岸には「取り付き地点」を示す「踏み跡」らしきものは出てこない。ところで、滝ノ沢右岸尾根はそれほど広くはないのだ。だから、登って行くと次第に「尾根を縦に走る中央ライン」に近づくことになる。
尾根の中央ラインには、よく、「小さな沢」状の通水跡があるものだ。「藪に捲かれて方向を失った人」が、それを踏み跡や「道」と思い込んで、それを辿ることがある。だがこの「通水跡」は大概、大きな「沢」に「流れ込んで」いるものだから、谷に落ちたり、谷に迷い込んでしまい、にっちもさっちもいかなくなるのが落ちなのだ。
さっきから、登って行く右側に、この「通水跡」のようなものが見え隠れするようになってきた。
私は「降りる時に利用すると迷い込む」が登りに利用するには、その心配もない。これを辿って行く分には「目印」をあまり付ける必要もないなどと考えて、「それ」を辿ることにした。
十数分後、私の「目の高さの樹木の枝」に、紅い「ビニールテープ」が巻き付けられているのを発見したのだ。電気工事用のテープである。「紅い」と書いたが、それはすっかり変色して「白っぽく」なっていた。「電気工事用のテープ」には「黒、白、黄色、赤、褐色」など多色あるが、耐用年数は、結構あるもので、数年で変色することはない。
私はアマチュア無線を趣味にしていたこともあるので、タワーや屋外配線(ケーブル)の補修によく、このテープを使った。その経験からすると「目の前に見えている」白く変色したテープは、少なくとも20数年前に巻き付けられたものと考えられた。
そして、このテープは「これは通水跡ではなく、踏み跡」であることを教えてくれたのであった。
私たちは、その踏み跡を辿ることにした。数分後にまた、「巻き付けられたテープ」を発見した。もう確定的であった。これは「古い踏み跡」なのだ。そして、さらに、数分後また「テープ」である。
ところが、それ以降「テープ」は消えた。忽然と消えてしまった。だが、踏み跡は続いていた。それをひたすら辿る。だが、「目印」のための「刈り払い」頻度が多くなってきた。そうしているうちに、この「踏み跡」も途切れてしまった。「上にも左右にも」もはや、踏み跡はない。
これ以上、先に行っても「取り付き地点」と「横切る踏み跡」はないと判断して降りることにした。
登りと降りる時では「視線」の先が違う。登りの時に見えなかったものが「降りる時」に見えることがある。降り始めて、何個目かの「巻き付けられたテープ」を確認した、その場所で、私たちは「色褪せた赤ペンキ跡」を見つけたのだ。登って行った時は、まったく気がつかなかったものだ。この「ペンキ跡」こそ「営林署」が付けたものである。
これではっきりした。これは、かつて「営林署」が使用していた「踏み跡」なのであった。(明日に続く)