(7月12日のブログの中の「大沢の雪渓を登り、山頂から2人は岳へ、2人は私と赤倉登山道を降りる」(その7)」で…
『右側の沢縁の岩の窪みには「ミチノクコザクラ」の蕾も見える。私は同行の4人に「足場が狭いですから気をつけて下さい。すぐ、雪渓です」と言ったが、「ミチノクコザクラ」の蕾については言わなかった。それに気をとられていては「危険」だからである。』…と紹介したが、今日の写真は、その「蕾」だ。
いや、その蕾が4日後の7月1日にはすっかり「開花」していたのである。これは相棒のTさんが撮影したものである。非常に貴重なものなのでTさんからメールで送ってもらい「紹介」することにしたのである。
何が貴重なのか。ただ何の変哲もない、この時季だったら大沢の至る所で出会える「ミチノクコザクラ」である。
だが、生えている場所とその花や茎長、花柄などに注目すると、「何の変哲」もないということで片付けられない「一途さ」と「健気さ」が見えないだろうか。
大きな岩の裂け目の、わずかな土溜まり。この花が枯れた後に、裂け目に溜まっている土や砂の総量を測ってみたいものだ。
岩の裂け目と言うには遙かに狭い「岩上の切り傷」といえる狭い場所に生えるものは、総じて背丈は短い。花の数も少なく僅かに2輪だ。
花の直径は1.5cmほど、花柄は0.5cmで、茎の長さは花の直径とほぼ同じだ。背丈は僅かに2cmだ。葉も小さい。何という頭でっかちな花姿だろう。これだと決して「八頭身美人」とはとてもいえない。身体の割に「頭」が大きいの幼児である。花を咲かせることは人でいうと「成人」である。だが、この「ミチノクコザクラ」は幼児体型のままで「花」をつけているのだ。
この場所の直ぐ上が「雪渓」だ。つい1週間前までは、ここも「雪渓」の縁に覆われていた。雪消え間もない場所のものは「葉」と「茎」「花」「花柄」が同時展開する。だが、「花の成長」が一番早いのだ。
崖の底面や貧栄養の土石溜まりでひっそりと咲くものほど…小さくて可憐で、健気で、一途なのである。本ものの美しさはここにあるのではないだろうか。健気さと一途さを秘めた美しさは「孤高」につながる。「化粧ずるもの」との違いはここにあるだろう。これが、貴重さの所以である。
次に私の拙い歌を一首紹介する。
「大岩の傷に紛いし土溜まり小花かざすは陸奥の小桜(三浦 奨)」)
◇◇大沢の雪渓を登り、山頂から2人は岳へ、2人は私と赤倉登山道を降りる」(その10)
(承前)
私たちは1本のザイルに連なりながら、必死になって「脇目も振らずに」登高を続けた。
だが、「雪渓」中部の急斜面で、足を止めることになってしまった。それは大沢の右岸にオオバキスミレを交えた「ミチノクコザクラ」の大群落を発見したからだ。
先頭の名古屋の人と2番手にいる青森の人が、「傍によってよく見たい」と言う。
雪渓を直登することよりも「横に移動する」ことの方が遙かに「滑落」する度合いが多く、危険なのだ。しかも、Iさん夫妻の足許は覚束(おぼつか)ない。
だが、私は、この人たちに「ミチノクコザクラを観賞してもらうこと」を優先させた。私は「ガイド」ではないし、「料金をもらってするガイド」でもない。そのようなガイドをこれまでしたことはない。この「同行登山」も「岩木山に登る人により岩木山を知って貰いたい」という思いで、ひたすら、その思いだけでしている。
その思いの中には「美しいミチノクコザクラを眼前で見る」という行為も当然入っているのである。
そして、「歩幅を狭く、谷側の足は少し谷側に向けて、山側の足は水平に置きながら、一歩一歩進んで下さい」と声をかけて、右岸の縁に向かって移動を始めた。
何とか「縁」に到着した。その縁の安定した岩に腰を下ろして、しばしの休憩である。その間に各自は、おしゃべりをしながら「撮影」をしていた。
花との出会いは多かった。雪渓が切れた辺りの右岸には1000株に1本ぐらいしか見られない「シロバナミチノクコザクラ」が咲いていた。
この4人にとって、「シロバナミチノクコザクラ」は初めての「出会い」となった。女性2人組にとっては普通の「ミチノクコザクラ」でさえ、その出会いは初体験なのであった。この4人はチャンスに恵まれている。その意味では幸福者だ。
ある人にとっては「初めての岩木山」、ある人にとっては「初めての百沢登山道登り」、そして、4人で歩調をとりながら必死になって、長い大沢の「雪渓」を登り終えた果てに、出会った「白花」のミチノクコザクラ…これは、いつまでも、この4人の心を捉えて離さないだろう。
茎が長く、すらりとした風姿の「ミチノクコザクラ」は「花簪(かんざし)」に見えないこともない。だが、私はこの美しい「花簪」を頭に飾ってあげたいと思える女性には、若い時から、この「岩木山」で会ったことはないのだ。それはそのような女性がいなかったという訳ではなく、「出会い」がなかったということだ。
だから…、
「若き日を通いし山に出会いなく桜かんざし挿するかの女(ひと)(三浦 奨)」
…などとつまらない歌を詠んでは、その「悔い」をいまだに懐かしんでいるのだ。
間もなく種蒔苗代だという登りにさしかかった時、2人の男性登山者が降りて来た。先導する人は年配者であり、後続は40代ほどに見えた。
そして、その年配者と私の視線が「会った」。私の歩みは一瞬、止まった。その人の歩みも止まっている。私は立ち止まって「見覚えのあるその人が誰なのか」を思い出そうとしていた。
その人も私に対して「同じ思い」で見ているようだった。どこからか、風の音に混じって「カヤクグリ」の鳴き声が聞こえていた。
「2人」と「5人」のパーティは無言の中で、じっと凝視が続いた。
注:「カヤクグリ(茅潜、萱潜)」…イワヒバリ科の野鳥。高山帯や森林限界よりも高いハイマツの林や岩場に生息している。(明日に続く)
『右側の沢縁の岩の窪みには「ミチノクコザクラ」の蕾も見える。私は同行の4人に「足場が狭いですから気をつけて下さい。すぐ、雪渓です」と言ったが、「ミチノクコザクラ」の蕾については言わなかった。それに気をとられていては「危険」だからである。』…と紹介したが、今日の写真は、その「蕾」だ。
いや、その蕾が4日後の7月1日にはすっかり「開花」していたのである。これは相棒のTさんが撮影したものである。非常に貴重なものなのでTさんからメールで送ってもらい「紹介」することにしたのである。
何が貴重なのか。ただ何の変哲もない、この時季だったら大沢の至る所で出会える「ミチノクコザクラ」である。
だが、生えている場所とその花や茎長、花柄などに注目すると、「何の変哲」もないということで片付けられない「一途さ」と「健気さ」が見えないだろうか。
大きな岩の裂け目の、わずかな土溜まり。この花が枯れた後に、裂け目に溜まっている土や砂の総量を測ってみたいものだ。
岩の裂け目と言うには遙かに狭い「岩上の切り傷」といえる狭い場所に生えるものは、総じて背丈は短い。花の数も少なく僅かに2輪だ。
花の直径は1.5cmほど、花柄は0.5cmで、茎の長さは花の直径とほぼ同じだ。背丈は僅かに2cmだ。葉も小さい。何という頭でっかちな花姿だろう。これだと決して「八頭身美人」とはとてもいえない。身体の割に「頭」が大きいの幼児である。花を咲かせることは人でいうと「成人」である。だが、この「ミチノクコザクラ」は幼児体型のままで「花」をつけているのだ。
この場所の直ぐ上が「雪渓」だ。つい1週間前までは、ここも「雪渓」の縁に覆われていた。雪消え間もない場所のものは「葉」と「茎」「花」「花柄」が同時展開する。だが、「花の成長」が一番早いのだ。
崖の底面や貧栄養の土石溜まりでひっそりと咲くものほど…小さくて可憐で、健気で、一途なのである。本ものの美しさはここにあるのではないだろうか。健気さと一途さを秘めた美しさは「孤高」につながる。「化粧ずるもの」との違いはここにあるだろう。これが、貴重さの所以である。
次に私の拙い歌を一首紹介する。
「大岩の傷に紛いし土溜まり小花かざすは陸奥の小桜(三浦 奨)」)
◇◇大沢の雪渓を登り、山頂から2人は岳へ、2人は私と赤倉登山道を降りる」(その10)
(承前)
私たちは1本のザイルに連なりながら、必死になって「脇目も振らずに」登高を続けた。
だが、「雪渓」中部の急斜面で、足を止めることになってしまった。それは大沢の右岸にオオバキスミレを交えた「ミチノクコザクラ」の大群落を発見したからだ。
先頭の名古屋の人と2番手にいる青森の人が、「傍によってよく見たい」と言う。
雪渓を直登することよりも「横に移動する」ことの方が遙かに「滑落」する度合いが多く、危険なのだ。しかも、Iさん夫妻の足許は覚束(おぼつか)ない。
だが、私は、この人たちに「ミチノクコザクラを観賞してもらうこと」を優先させた。私は「ガイド」ではないし、「料金をもらってするガイド」でもない。そのようなガイドをこれまでしたことはない。この「同行登山」も「岩木山に登る人により岩木山を知って貰いたい」という思いで、ひたすら、その思いだけでしている。
その思いの中には「美しいミチノクコザクラを眼前で見る」という行為も当然入っているのである。
そして、「歩幅を狭く、谷側の足は少し谷側に向けて、山側の足は水平に置きながら、一歩一歩進んで下さい」と声をかけて、右岸の縁に向かって移動を始めた。
何とか「縁」に到着した。その縁の安定した岩に腰を下ろして、しばしの休憩である。その間に各自は、おしゃべりをしながら「撮影」をしていた。
花との出会いは多かった。雪渓が切れた辺りの右岸には1000株に1本ぐらいしか見られない「シロバナミチノクコザクラ」が咲いていた。
この4人にとって、「シロバナミチノクコザクラ」は初めての「出会い」となった。女性2人組にとっては普通の「ミチノクコザクラ」でさえ、その出会いは初体験なのであった。この4人はチャンスに恵まれている。その意味では幸福者だ。
ある人にとっては「初めての岩木山」、ある人にとっては「初めての百沢登山道登り」、そして、4人で歩調をとりながら必死になって、長い大沢の「雪渓」を登り終えた果てに、出会った「白花」のミチノクコザクラ…これは、いつまでも、この4人の心を捉えて離さないだろう。
茎が長く、すらりとした風姿の「ミチノクコザクラ」は「花簪(かんざし)」に見えないこともない。だが、私はこの美しい「花簪」を頭に飾ってあげたいと思える女性には、若い時から、この「岩木山」で会ったことはないのだ。それはそのような女性がいなかったという訳ではなく、「出会い」がなかったということだ。
だから…、
「若き日を通いし山に出会いなく桜かんざし挿するかの女(ひと)(三浦 奨)」
…などとつまらない歌を詠んでは、その「悔い」をいまだに懐かしんでいるのだ。
間もなく種蒔苗代だという登りにさしかかった時、2人の男性登山者が降りて来た。先導する人は年配者であり、後続は40代ほどに見えた。
そして、その年配者と私の視線が「会った」。私の歩みは一瞬、止まった。その人の歩みも止まっている。私は立ち止まって「見覚えのあるその人が誰なのか」を思い出そうとしていた。
その人も私に対して「同じ思い」で見ているようだった。どこからか、風の音に混じって「カヤクグリ」の鳴き声が聞こえていた。
「2人」と「5人」のパーティは無言の中で、じっと凝視が続いた。
注:「カヤクグリ(茅潜、萱潜)」…イワヒバリ科の野鳥。高山帯や森林限界よりも高いハイマツの林や岩場に生息している。(明日に続く)