(今日の写真はスミレ科スミレ属の多年草「ミヤマツボスミレだ(深山坪菫)」だ。ツボスミレ(またはニョイスミレ)の高山型で、亜高山帯~高山帯の湿原や林縁の草地にも生える。
岩木山ではまさに、名前の通り、標高1000m近くになると登場する。だから、他の平地やそれよりも低い場所で咲くものよりは開花は遅い。今季も7月1日、百沢登山道の雪渓の近くで咲いていた。花名の由来は「深山や高山に咲くツボスミレということ」による。
「ツボスミレ(坪菫)」は山麓に咲く。弘前市内の神社林下にも生育している。
白花のスミレは多い。シロバナタチツボスミレ、マルバスミレ、ウスバスミレ、シロバナミヤマスミレなどだが、これは、花が淡紫色を帯びたりするものもあるが、唇弁の奥に紫色の淡い縦縞模様があるので、見分け安い花だ。
距は長さが2-3㎜と小さい。地上の茎は匍匐し途中から発根する。葉は円形となり、先が尖らない。托葉はツボスミレより小さい。
なお、花弁が淡紫色を帯びる以外ツボスミレと変わらないものを「ムラサキコマノツメ」と呼ぶようだが、私はまだ出会ったことがない。花期は6-8月と幅がある。本州の中部以北に分布している。
数年前に焼け止り小屋の前で出会ったものは、群生していた。遠目に見た時は「あれ、残雪か」と思ったものだ。それほどに「白い」が映える花だ。
近づいて花々をよく見たら「唇弁」の奥に濃い青紫の縦縞がある。「白い気品と青紫の縦縞」、それはまさに、「群青を仄かに匂わせて群れ咲く白き気品」であった。…これには6月27日にも、7月1日にも出会っている。)
◇◇大沢の雪渓を登り、山頂から2人は岳へ、2人は私と赤倉登山道を降りる」(その5)
(承前)
「カタクリ」の話しが中心になってしまい、「スミレ」のことがおろそかになっていた。少し、そのことに触れたい。
「スミレ」の仲間は、種子を弾き飛ばす仕組みを持っているものが多いのだが、「アオイスミレ」はそのような仕組みを持たなくて、果実が地表面すれすれのところで熟し、親株の根元に種子をこぼすだけである。従って、分布を広げるためにはアリの助けがぜひとも必要なので、前述した「カタクリの種分散」のところに登場した「エライオソーム」も非常に大きいのである。
言いたいことは、「アオイスミレ」がすでに、「閉鎖花」を咲かせて(?)いたということだ。花びらがあって「雄蘂」や「雌蘂」があって、きれいな色で…というのが、普通の花、つまり「開放花」だ。「アオイスミレ」の花「開放花」はすでに咲き終えている。標高700m辺りまで、雪消えと同時に咲き出すのだから当然である。
だが、花を開かない「閉鎖花」と呼ばれる花を、「開放花」が咲き終えた後につけるのである。それが今を盛りと「咲いて」いるのだ。つぼみの形のままで、いつの間にか実になり種子を作っている花だから、なかなか分かりづらい。間もなく「花も咲かない」のに次々に実がはじけ、種を分散させるのだ。
「アオイスミレ」の株を注意して見ると、うつむいた、細くとがった感じの、緑色をした「つぼみ状」のものがついている。それが「閉鎖花」だ。
申し訳ないが、詳しく観察をするために折り採って、中を覗くことにする。「雌蘂」が「雄蘂」の花粉に首を突っ込んでいる。雄蘂は2本だけだ。
「閉鎖花」をつける植物には、この「アオイスミレ」の仲間やフタリシズカ、ツリフネソウ、ミヤマカタバミなどがある。
「狭くて細長いお花畑」を過ぎると、しばらく、足下の「色彩」は褪せてくる。見えるものは白くて小さな花をつけた「エゾノヨツバムグラ」くらいだ。その中に混じって「エゾシオガマ」が瑞々しい葉を見せてあちこちの立っている。これは秋咲きの花だ。8月の半ばになると、「クリーム」色の清楚な花をつけるのである。「マユミ」や「ダケカンバ」、「カエデ」などの樹葉に陽光を遮られた薄暗い空間で見る「エゾシオガマ」の風姿は異様なほどに美しいものだ。
だが、目の高さには、「ツリバナ」や「マユミ」の花が目立つようになる。間もなく頭上が明るくなる。そろそろ、ずっと登り続けてきた「急勾配」の道から解放されるのだ。
百沢登山道には、短いが平坦な道は、僅かに「2カ所」しかない。その1つが「焼け止り小屋」手前の道である。もう1つは「二の御坂」を登り詰めて「一の御坂」に続くところだ。
ようやく、その1つ目の「平坦」な道にさしかかったのである。道は根曲がり竹に覆われている。それでも、これまでの登り道からの開放感はすばらしいものだ。私の耳には後続する4人の「感嘆」ともつかない「歓喜」の声が聞こえていた。標高1060mに位置する「焼け止り小屋」は直ぐそこである。
そこまで登って来る間に、何人に追い越されたであろうか。6月下旬の土曜日だ。登山者が多い。さすが、岩木山では一番の「メインルート」、「百沢登山道」である。それに引き替え「弥生登山道」や「赤倉登山道」、「長平登山道」を登る登山者は少ない。最近では、その中の「弥生と長平登山道」はすっかり、「マニアック」な者たちの登山道になり、夏場だというのに、月に数人しか利用しないという状態にある。
「スカイライン」自動車道路が出来るまでは、それぞれ、地元民が中心になり、登り、整備して登山道を守ってきた。それが、現在は、「刈り払い」もされず、ほぼ「整備」は無いに等しいのだ。
小屋の方から、何やら話し声が聞こえる。追い越して行った登山者が休憩を取りながら談笑しているようだ。(明日に続く)
岩木山ではまさに、名前の通り、標高1000m近くになると登場する。だから、他の平地やそれよりも低い場所で咲くものよりは開花は遅い。今季も7月1日、百沢登山道の雪渓の近くで咲いていた。花名の由来は「深山や高山に咲くツボスミレということ」による。
「ツボスミレ(坪菫)」は山麓に咲く。弘前市内の神社林下にも生育している。
白花のスミレは多い。シロバナタチツボスミレ、マルバスミレ、ウスバスミレ、シロバナミヤマスミレなどだが、これは、花が淡紫色を帯びたりするものもあるが、唇弁の奥に紫色の淡い縦縞模様があるので、見分け安い花だ。
距は長さが2-3㎜と小さい。地上の茎は匍匐し途中から発根する。葉は円形となり、先が尖らない。托葉はツボスミレより小さい。
なお、花弁が淡紫色を帯びる以外ツボスミレと変わらないものを「ムラサキコマノツメ」と呼ぶようだが、私はまだ出会ったことがない。花期は6-8月と幅がある。本州の中部以北に分布している。
数年前に焼け止り小屋の前で出会ったものは、群生していた。遠目に見た時は「あれ、残雪か」と思ったものだ。それほどに「白い」が映える花だ。
近づいて花々をよく見たら「唇弁」の奥に濃い青紫の縦縞がある。「白い気品と青紫の縦縞」、それはまさに、「群青を仄かに匂わせて群れ咲く白き気品」であった。…これには6月27日にも、7月1日にも出会っている。)
◇◇大沢の雪渓を登り、山頂から2人は岳へ、2人は私と赤倉登山道を降りる」(その5)
(承前)
「カタクリ」の話しが中心になってしまい、「スミレ」のことがおろそかになっていた。少し、そのことに触れたい。
「スミレ」の仲間は、種子を弾き飛ばす仕組みを持っているものが多いのだが、「アオイスミレ」はそのような仕組みを持たなくて、果実が地表面すれすれのところで熟し、親株の根元に種子をこぼすだけである。従って、分布を広げるためにはアリの助けがぜひとも必要なので、前述した「カタクリの種分散」のところに登場した「エライオソーム」も非常に大きいのである。
言いたいことは、「アオイスミレ」がすでに、「閉鎖花」を咲かせて(?)いたということだ。花びらがあって「雄蘂」や「雌蘂」があって、きれいな色で…というのが、普通の花、つまり「開放花」だ。「アオイスミレ」の花「開放花」はすでに咲き終えている。標高700m辺りまで、雪消えと同時に咲き出すのだから当然である。
だが、花を開かない「閉鎖花」と呼ばれる花を、「開放花」が咲き終えた後につけるのである。それが今を盛りと「咲いて」いるのだ。つぼみの形のままで、いつの間にか実になり種子を作っている花だから、なかなか分かりづらい。間もなく「花も咲かない」のに次々に実がはじけ、種を分散させるのだ。
「アオイスミレ」の株を注意して見ると、うつむいた、細くとがった感じの、緑色をした「つぼみ状」のものがついている。それが「閉鎖花」だ。
申し訳ないが、詳しく観察をするために折り採って、中を覗くことにする。「雌蘂」が「雄蘂」の花粉に首を突っ込んでいる。雄蘂は2本だけだ。
「閉鎖花」をつける植物には、この「アオイスミレ」の仲間やフタリシズカ、ツリフネソウ、ミヤマカタバミなどがある。
「狭くて細長いお花畑」を過ぎると、しばらく、足下の「色彩」は褪せてくる。見えるものは白くて小さな花をつけた「エゾノヨツバムグラ」くらいだ。その中に混じって「エゾシオガマ」が瑞々しい葉を見せてあちこちの立っている。これは秋咲きの花だ。8月の半ばになると、「クリーム」色の清楚な花をつけるのである。「マユミ」や「ダケカンバ」、「カエデ」などの樹葉に陽光を遮られた薄暗い空間で見る「エゾシオガマ」の風姿は異様なほどに美しいものだ。
だが、目の高さには、「ツリバナ」や「マユミ」の花が目立つようになる。間もなく頭上が明るくなる。そろそろ、ずっと登り続けてきた「急勾配」の道から解放されるのだ。
百沢登山道には、短いが平坦な道は、僅かに「2カ所」しかない。その1つが「焼け止り小屋」手前の道である。もう1つは「二の御坂」を登り詰めて「一の御坂」に続くところだ。
ようやく、その1つ目の「平坦」な道にさしかかったのである。道は根曲がり竹に覆われている。それでも、これまでの登り道からの開放感はすばらしいものだ。私の耳には後続する4人の「感嘆」ともつかない「歓喜」の声が聞こえていた。標高1060mに位置する「焼け止り小屋」は直ぐそこである。
そこまで登って来る間に、何人に追い越されたであろうか。6月下旬の土曜日だ。登山者が多い。さすが、岩木山では一番の「メインルート」、「百沢登山道」である。それに引き替え「弥生登山道」や「赤倉登山道」、「長平登山道」を登る登山者は少ない。最近では、その中の「弥生と長平登山道」はすっかり、「マニアック」な者たちの登山道になり、夏場だというのに、月に数人しか利用しないという状態にある。
「スカイライン」自動車道路が出来るまでは、それぞれ、地元民が中心になり、登り、整備して登山道を守ってきた。それが、現在は、「刈り払い」もされず、ほぼ「整備」は無いに等しいのだ。
小屋の方から、何やら話し声が聞こえる。追い越して行った登山者が休憩を取りながら談笑しているようだ。(明日に続く)