岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

7月6日、弥生登山道から登り百沢に降りた / 小鹿社中メンバーとの出会い(4)

2008-07-18 04:48:51 | Weblog
(今日の写真も鳳鳴小屋の前で「岩木山山頂」に向かって登山囃子を演奏「奉納」している小鹿社中のメンバーである。撮影者は相棒のTさんだ。山頂への登山道を駆け上がり高いところから、メンバー全員を納めようとあれこれと工夫しながら写したものだ。霧に包まれて「薄暗い」中で、よくこれだけ明るく写っているものだと感心している。今日の写真は昨日の写真とは違う。)

(承前)
 「昨日の続きはここから始まる」…小鹿社中メンバーとの出会い (4)

 私は、その日疲れてしまい早く就寝したので21時過ぎに着信していた小鹿君からのメールを読んでいなかった。翌朝、5時頃起床して、小鹿君からのメールを読んで直ぐに返事を書いた。
 そして、7時近くに、小鹿君に対して次のメールを送信した…。

『 小鹿拓海さんへ
 メール返信が遅れましたことお詫びいたします。あなたからのメールを開いたのが今朝だったもので、遅くなってしまいました。申し訳ありません。

 おなた方の心意気に深く、しかも熱く感動しております。登山囃子がひととおり終わったところで、私たちが下山を始めた時、私たちに「送り」の演奏をしてくれましたよね。それを背中でじっと聞きながら、有り難い想いで全身がじ~んと熱くなりました。
 霧がかかって山頂は見えませんでしたが、間違いなく「山頂方向」に向かって演奏しておりましたから、きっと、岩木山へのお囃子奉納はなされたものと思います。
 それだけではありません。自分たちの足で百沢から「太鼓」など背負って登ってきたわけですから、十分「奉納」登山はなされたと思います。
 山々の神に対する参詣は「自力」ですることに意味があります。スカイラインとかリフトとか他のことに頼って登っていては真の意味で「奉納」や「参詣」にはならないはずです。
 登山が苦しくきついものであればあるほど、それは「山の神」への願いが「成就」されると言われています。
 あなた方が昨日登った百沢登山道は、岩木山に5つある登山道の中でもっとも厳しくきつい登山道です。そのような登山道ですから、昔から「お山参詣」の道として使われています。
 しかも、今年は4月に発生した全層雪崩の剥離物が登山道沿いのあちこちに残っていて、「登山道」を塞いでいますから、異常な状態です。
 正常な状態でも大変いきつい登山道なのに、異常な状態ですから、登る人への負荷はもちろん大きいのです。
 さらに、あの大きな「太鼓」を持って登った訳ですから、その苦労は想像を絶します。山登りの基本は「背中にリュックサック、手には何も持たない」です。その手に大きな太鼓をもって、しかも太鼓は円形で持ちどころが不安定です。喩え肩に掛けて来たにしても、それは難行であり、苦行だったでしょう。
 そのような「登り」のなかで、足下は雪と土でどろどろになったところあり、岩が今にも崩れて来るようなところあり、剥がされた竹の根があり、固くしまった雪がありという状態ですから、とても困難です。
 加えて、非常に危険な場所を登っていたのです。危険な場所を登ることは心理的にも肉体的にもストレスになります。これが体の疲れに付加され、ますます疲れは貯まります。
 小鹿さんのメールに「実は太鼓叩いている時、立っているのがやっとの状況でした。」とありましたが、本当にそうだろうと思います。疲労困憊の状況だったと思います。

 あなた方は十分、自分たちの力と意志で「登山囃子」奉納という「満願成就」をしました。
 「岩木山を知らないで、本当の登山囃子が出来る訳が無い!」という真面目で若い情熱は本物です。これは岩木山を理解し、愛してくれることにもつながります。
 若いあなた方が、このような真摯な情熱を持って「自力と自助努力」で岩木山に来て下さったことに対して深く感謝しています。私は40数年岩木山に夏冬通じて登っていますが、あなた方のような人たちと出会ったのは初めての経験でした。
 ああ、長いこと岩木山登りをしていて本当によかった、このような「出会い」もあるのだと、しみじみとその幸福をかみしめています。
 もう一度言います。あなた方の「岩木山登山囃子奉納登山」は心意気として真実成就されています。是非、来年は「お山参詣の登山囃子大会」に登録して、もう一度岩木山に来て下さい。
 それからもう1つ、「伝統芸能」を継承していく者がいないとよく言われます。しかし、よく考えてみるとこれは「自治体や世の大人たち」の継承していくことへの怠慢だと思います。
 このような社会の中で、あなた方は自主的に「伝統芸能」を愛し、仲間を作って、それを伝えていこうとしている。本当にこれはすばらしいことです。
 何だか、嬉しくなってこのメールを書きながら、涙がこぼれてきました。5人の仲間はみんないい人たちですね。

 私は現在67歳です。昨日は弥生登山道を登り、山頂を経て百沢に降りました。一緒にいた人は私よりも10歳若い友達(名前はTさん)です。慣れているとはいえ、百沢登山道の大沢では苦労をしました。あの荒れている沢を大沢といいます。
 一緒にいた友達Tさんも、あなた方との出会いにすごく感激していました。降りながら何回も何回もあなた方のことを話していました。

 その友達が写したあなた方の「演奏」写真を送ります。もし小鹿さんがプリントして仲間の人にあげることが出来るのならばそうして下さい。それが出来なければ、私がプリントして5人分を小鹿さんに郵便で送ります。
 もっと書きたいのですが、今朝はこのくらいにしておきます。元気で頑張って下さい。写真が小さければ連絡下さい。大きくして送ります。』(この稿は明日に続く)