(今日の花はムラサキ科ハナイバナ属の一年草または越年草の「葉内花(ハナイバナ)」である。花期は4~10月ととても長い。同じ個体が、この期間ずっと咲き続けるというよりは、春先など、早めに咲いた個体にできた果実が、発芽してまた夏や秋には花をつけ、全体として花期が長くなっているようだ。つまり年数回、順次発生しているということだろう。だから、「田圃の道、田圃へ通ずる道」を歩くといつでも雪が降るまでは出会える花である。ただし、今日の写真ほどには目立たないので、気づかない人は多いだろう。
北海道から九州の日本全土の畑や道端などにごく普通に生える。国内だけでなく、東アジアに広く分布している。
茎は細く上向きの伏毛があり10~15cmになる。はじめは、やや地面に伏したように斜めに伸びるが、次第に立ち上がって伸びる茎が、増えてくる。
葉は長楕円形又は楕円形で、長さ2~3cm、幅1~2cmあり、表面にしわがある。葉の形は、あまりしっかり決まった形があるようではなく、縁は波打つことが多い。葉や茎、ガク片などにやや長めの毛が多く生えているが、これが白くて茎にはりついたように上向きについている。
枝の上部の葉の脇に淡い青紫色の花をつける。花冠は直径は3mm程度のごく小さい花で花冠の先は5つにさけている。
萼は5枚で、花後に4つ出来る果実(分果)がその萼の間に包まれたような状態になり、楕円形でいぼ状の突起がある。
春、暖かくなってから伸びはじめる根生葉は、花の咲き始めた四月上旬、とても明るくて瑞々しい色をしてる。秋に芽生えた個体の越冬中の根生葉は褐色を帯びていて、葉の縁の毛がやたらと目立つ。花はキュウリグサに非常に似ている。
名前の由来は、茎の上部の葉と葉の間に花をつけるので「葉内花(ハナイバナ)」ということによる。カタカナ表記だけでは、この由来にたどり着くことは難しいだろう。)
☆☆「岩木山・花の山旅」を8月上旬ねぷたのころに出版します。その案内です(3)☆☆
●これについてのおおまかなことは、本ホームページ左欄の「・新着更新Blog(RSS版):管理人葛西さん担当」をクリックして、あとは表記されてあるところをクリックしていくと見ることが出来ます。写真の大きさや枚数に制約があるので私のブログでは紹介出来ません。
7月5日に葛西さんに掲載してある花438種の「総索引を送ってあるので、近々、それも掲載してくれるはずである。●
(承前)「はしがき」の続き…
標高千五百メートルの場所で五月上旬に咲くものでも、岩場に咲くもの、雪田脇の水場に咲くもの、コメバツガザクラの咲く下部に咲くものでは、その背丈はみな違う。
花が葉にくっつくように短いものは風衝地に多く見られるし、花の色、葉の付き方などもみな違っている。
六月中旬、雪消えの始まった種蒔苗代の縁で薫風に揺れる姿を水面に映して、且つ、天上を我がものとして佇立している数輪は命そのものである。御倉岩の細い破れ目に溜まったわずかの土だまりに咲く一株は、二輪の花をつけながらも孤高を保って屹然としている。
真夏の七月中旬、西法寺森下部の残雪の傍に咲くものは、稲科の草と競って伸び、茎丈を長くし、風に靡いて「花」の波を見せてくれる。そして、その中には数本のまるで「ツマトリソウ」のように白の花びらに淡い桃色の縁取りをしたものがあったりする。
八月上旬、南の空には、むくむくと鉄床雲(かなとこぐも)が湧き上がり盛夏を装う。だが、山頂直下にある沢の源頭部では既に秋の気配だ。アキアカネが岩肌に止まり、体を温めて里に降りるためのエネルギーを蓄えている。その傍には秋の花、シラネニンジンが花を咲かせている。そして、雪渓の雪が溶けて間もない沢の傾斜には、ウコンウツギの黄色い花、ナガバツガザクラの白い花、エゾノツガザクラの淡いピンクの花に混じってミチノクコザクラが咲いている。
この、標高千五百メートルの世界は、八月上旬から中旬という短期間に一気に「春、夏、秋」という季節に彩られる。
だから、これらの花も一気に三つの季節を生きるのである。 同じ場所、同じ短い時を共有しても、そこには「受粉」のためのムシの奪い合いはない。光合成に必要な「日射し」の奪い合いもない。
彼女たちは必死になって生きるけれども、互いに、競ったり争ったりはしない。彼女たちは、「それぞれの自分」をとにかく、ひたすら生きる。そして、全体として共存している。
これは、みんなお互いの違いを認めていることだ。違いが認められているからこそ、それぞれが「個性的」でいられるのである。これは私たち人間も学びたいものだ。ミチノクコザクラには百の顔、いや咲いている分だけの顔がある。
ミチノクコザクラや多くの花々は、私に「金子みすゞ」の言う「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」を教えてくれた。私は、この「みんなの違い」を写真に撮り、文章に書きたいと思ったのだ。
私は単なる岩木山という山に登ることが好きなだけの人間である。だから、春夏秋冬と岩木山に通ってきた。これまでの岩木山詣では、ある時までは記録しておいたのだが、いつの間にかそんなことは別に大したことではないように思えてきて止めてしまった。だが、私に対して「何回岩木山に登りましたか」と訊く人は結構多い。
そのような人のために、敢えて「千回は越えているだろう」と答えておくことにしている。花にも惹かれるが、自然そのものの岩木山が、そのすべてが好きなのである。その中でも「厳冬期の岩木山の山頂部から山麓」までには特に惹かれる。
花々は「厳冬期の岩木山」の対極にあるものであり、山の命そのものなのだ。
山というものは、そこに行かなければ真実の姿には絶対出会えないものなのだ。
(明日に続く)
北海道から九州の日本全土の畑や道端などにごく普通に生える。国内だけでなく、東アジアに広く分布している。
茎は細く上向きの伏毛があり10~15cmになる。はじめは、やや地面に伏したように斜めに伸びるが、次第に立ち上がって伸びる茎が、増えてくる。
葉は長楕円形又は楕円形で、長さ2~3cm、幅1~2cmあり、表面にしわがある。葉の形は、あまりしっかり決まった形があるようではなく、縁は波打つことが多い。葉や茎、ガク片などにやや長めの毛が多く生えているが、これが白くて茎にはりついたように上向きについている。
枝の上部の葉の脇に淡い青紫色の花をつける。花冠は直径は3mm程度のごく小さい花で花冠の先は5つにさけている。
萼は5枚で、花後に4つ出来る果実(分果)がその萼の間に包まれたような状態になり、楕円形でいぼ状の突起がある。
春、暖かくなってから伸びはじめる根生葉は、花の咲き始めた四月上旬、とても明るくて瑞々しい色をしてる。秋に芽生えた個体の越冬中の根生葉は褐色を帯びていて、葉の縁の毛がやたらと目立つ。花はキュウリグサに非常に似ている。
名前の由来は、茎の上部の葉と葉の間に花をつけるので「葉内花(ハナイバナ)」ということによる。カタカナ表記だけでは、この由来にたどり着くことは難しいだろう。)
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7月5日に葛西さんに掲載してある花438種の「総索引を送ってあるので、近々、それも掲載してくれるはずである。●
(承前)「はしがき」の続き…
標高千五百メートルの場所で五月上旬に咲くものでも、岩場に咲くもの、雪田脇の水場に咲くもの、コメバツガザクラの咲く下部に咲くものでは、その背丈はみな違う。
花が葉にくっつくように短いものは風衝地に多く見られるし、花の色、葉の付き方などもみな違っている。
六月中旬、雪消えの始まった種蒔苗代の縁で薫風に揺れる姿を水面に映して、且つ、天上を我がものとして佇立している数輪は命そのものである。御倉岩の細い破れ目に溜まったわずかの土だまりに咲く一株は、二輪の花をつけながらも孤高を保って屹然としている。
真夏の七月中旬、西法寺森下部の残雪の傍に咲くものは、稲科の草と競って伸び、茎丈を長くし、風に靡いて「花」の波を見せてくれる。そして、その中には数本のまるで「ツマトリソウ」のように白の花びらに淡い桃色の縁取りをしたものがあったりする。
八月上旬、南の空には、むくむくと鉄床雲(かなとこぐも)が湧き上がり盛夏を装う。だが、山頂直下にある沢の源頭部では既に秋の気配だ。アキアカネが岩肌に止まり、体を温めて里に降りるためのエネルギーを蓄えている。その傍には秋の花、シラネニンジンが花を咲かせている。そして、雪渓の雪が溶けて間もない沢の傾斜には、ウコンウツギの黄色い花、ナガバツガザクラの白い花、エゾノツガザクラの淡いピンクの花に混じってミチノクコザクラが咲いている。
この、標高千五百メートルの世界は、八月上旬から中旬という短期間に一気に「春、夏、秋」という季節に彩られる。
だから、これらの花も一気に三つの季節を生きるのである。 同じ場所、同じ短い時を共有しても、そこには「受粉」のためのムシの奪い合いはない。光合成に必要な「日射し」の奪い合いもない。
彼女たちは必死になって生きるけれども、互いに、競ったり争ったりはしない。彼女たちは、「それぞれの自分」をとにかく、ひたすら生きる。そして、全体として共存している。
これは、みんなお互いの違いを認めていることだ。違いが認められているからこそ、それぞれが「個性的」でいられるのである。これは私たち人間も学びたいものだ。ミチノクコザクラには百の顔、いや咲いている分だけの顔がある。
ミチノクコザクラや多くの花々は、私に「金子みすゞ」の言う「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」を教えてくれた。私は、この「みんなの違い」を写真に撮り、文章に書きたいと思ったのだ。
私は単なる岩木山という山に登ることが好きなだけの人間である。だから、春夏秋冬と岩木山に通ってきた。これまでの岩木山詣では、ある時までは記録しておいたのだが、いつの間にかそんなことは別に大したことではないように思えてきて止めてしまった。だが、私に対して「何回岩木山に登りましたか」と訊く人は結構多い。
そのような人のために、敢えて「千回は越えているだろう」と答えておくことにしている。花にも惹かれるが、自然そのものの岩木山が、そのすべてが好きなのである。その中でも「厳冬期の岩木山の山頂部から山麓」までには特に惹かれる。
花々は「厳冬期の岩木山」の対極にあるものであり、山の命そのものなのだ。
山というものは、そこに行かなければ真実の姿には絶対出会えないものなのだ。
(明日に続く)