(今日の写真は7月12日、錫杖清水付近で見かけたシロバナミチノクコザクラと普通種のミチノクコザクラである。シロバナミチノクコザクラの出現率は普通種1.000本に対して1本という確率であるとされるが、よくもまあ、数えたものである。大体その程度だとは思うが、場所によって偏在していて、ある場所ではまったくシロバナミチノクコザクラが見られないこともある。
錫杖清水付近と書いたが清水はまだ雪渓の下、つまり、積雪の下に埋まっているのである。
岩木山のミチノクコザクラは、ハクサンコザクラの亜種として扱われていることが多い。ハクサンコザクラは飯豊山、越後駒ヶ岳、朝日岳、白馬岳、それに白山に生えるグループである。
ところが、ミチノクコザクラは葉緑体に含まれる遺伝子(DNA)の分析から、むしろ、北海道に分布するエゾコザクラの亜種との近縁度の方が大きいという報告がある。
エゾコザクラは羅臼岳に咲くものが基本種であり、その他に大雪山、上ホロカメットク山、幌尻岳に生えるグループがある。この報告からは「ミチノクコザクラはハクサンコザクラよりも、むしろエゾコザクラに近く、独立してミチノクコザクラという種がある」ともとれるのである。
つまり、…コザクラと呼ばれる植物は、「羅臼岳のもの」、「その他の北海道と岩木山のグループ」、そして「ハクサンコザクラのグループ」と三つの系統があることを示している。ミチノクコザクラはエゾコザクラの仲間であると考えたほうがよさそうである。
★★このシロバナミチノクコザクラと普通種のミチノクコザクラが咲いている場所とその近くでの出来事…。(その1)★★
お天気は昨日のブログに書いたとおり「晴天」、雲一つない青空が山頂をくっきりと見せながら広がっている。錫杖清水と推定されるところも晴れていて爽やかな風が吹き渡っていた。ところが、そこから30mも下ると濃い「霧」が大沢を覆っている。恐らく視界は5mぐらいだろう。これも私の予想どおりである。
出来事の1つである…。
鳳鳴小屋から種蒔苗代に降りて、大沢に入り「錫杖清水」と雪渓に向かっていた。右側鳥海山斜面には1975年8月5日に発生した大土石流の崩落地が見える。
その日に降った希有の豪雨は種蒔苗代(古い噴火口)からあふれ出て大沢を下った。さらに鳥海山斜面の堆積火山灰を「地滑り」的に「崩落・剥離」させて、この土石流となり、大沢を下り、蔵助沢に流れ込んで、伐採されて樹木のないスキー場の雨を集めて、その勢いを増して、百沢のに流れ込んだ。
この土石流で22名の方が亡くなったのである。詳しくは本ホームページの「・自然破壊や災害について」の「百沢土石流災害」をクリックし、開いて読んでいただきたい。さらに詳しく知りたい方は拙著「おお悲し、泣くはみちのく岩木山」・第三話 土石流災害とスキー場を読んでいただきたい。
その崩落地には何段かに渡って「土留め」の丸太杭と丸太の横木が設置されている。そこは植生の回復を促すために「侵入・登山禁止」になっている場所でもあった。
何と、そこを登っていく者がいるのだ。注意をして登山道まで降りてもらはなければいけないと思い「なんかの調査のためにそこに入っているのですか。」と声をかけた。
「…」返答はないものの、その人は登ることを止めて、私の方を見ている。
「申し訳ありません。そこは1975年8月5日に発生した大土石流の崩落地で植生の回復を図っている場所で、入ってはいけないところです。植生の調査などでなければ出ていただけませんか。」
「…」その人は一言も発しないまま私の方に降りてきた。それと、ほぼ同時に下の雪渓の方から4人の登山者が登って来た。
「土留めのある崩落地」を登っていたのはこのグループの一員で、トップでルートファインデングをしていたらしい。そして、北西に向かう登山道を外れて、南の鳥海山に向かって登っていたのである。単純な「道迷い」である。
私は、その4人に「土石流のことと崩落地、それから山頂への登山道」について話して、最後に「環境省関係者」であることを話した。彼らは岩木山に初めて登ったという意味のことを言った。
4人は1人を待つことなく「ありがとうございました。」と言って登って行った。1人はようやく登山道まで降りて来て、私とすれ違った。
「楽しく登っているところを降ろしてしまい申し訳ありませんね。」
「…」怪訝そうな顔をしていたが、やはり、言葉はなかった。だが、その表情にはほっとした安堵感が読み取れたのである。
彼は「崩落地」に、ただ、単純に「迷い込んだ」だけなのである。「調査」でもなく「盗掘」でもなく、初めての岩木山登山で「濃霧」に巻かれて、登っているうちに、そこを登る羽目になっていたのだ。彼は先行する4人を追いかけるようにして去っていった。
ところで、植物を「盗掘」する者の中には「調査」を装う者もいるので注意が必要なのだ。
大した距離でもないのに、「ようやく」錫杖清水と思われる場所に着いた。腹時計ならず、本物の時計もすでに1時を回っていた。雪渓の上端の岩場で、遅い昼食にすることにした。
(この稿は明日に続く)
錫杖清水付近と書いたが清水はまだ雪渓の下、つまり、積雪の下に埋まっているのである。
岩木山のミチノクコザクラは、ハクサンコザクラの亜種として扱われていることが多い。ハクサンコザクラは飯豊山、越後駒ヶ岳、朝日岳、白馬岳、それに白山に生えるグループである。
ところが、ミチノクコザクラは葉緑体に含まれる遺伝子(DNA)の分析から、むしろ、北海道に分布するエゾコザクラの亜種との近縁度の方が大きいという報告がある。
エゾコザクラは羅臼岳に咲くものが基本種であり、その他に大雪山、上ホロカメットク山、幌尻岳に生えるグループがある。この報告からは「ミチノクコザクラはハクサンコザクラよりも、むしろエゾコザクラに近く、独立してミチノクコザクラという種がある」ともとれるのである。
つまり、…コザクラと呼ばれる植物は、「羅臼岳のもの」、「その他の北海道と岩木山のグループ」、そして「ハクサンコザクラのグループ」と三つの系統があることを示している。ミチノクコザクラはエゾコザクラの仲間であると考えたほうがよさそうである。
★★このシロバナミチノクコザクラと普通種のミチノクコザクラが咲いている場所とその近くでの出来事…。(その1)★★
お天気は昨日のブログに書いたとおり「晴天」、雲一つない青空が山頂をくっきりと見せながら広がっている。錫杖清水と推定されるところも晴れていて爽やかな風が吹き渡っていた。ところが、そこから30mも下ると濃い「霧」が大沢を覆っている。恐らく視界は5mぐらいだろう。これも私の予想どおりである。
出来事の1つである…。
鳳鳴小屋から種蒔苗代に降りて、大沢に入り「錫杖清水」と雪渓に向かっていた。右側鳥海山斜面には1975年8月5日に発生した大土石流の崩落地が見える。
その日に降った希有の豪雨は種蒔苗代(古い噴火口)からあふれ出て大沢を下った。さらに鳥海山斜面の堆積火山灰を「地滑り」的に「崩落・剥離」させて、この土石流となり、大沢を下り、蔵助沢に流れ込んで、伐採されて樹木のないスキー場の雨を集めて、その勢いを増して、百沢のに流れ込んだ。
この土石流で22名の方が亡くなったのである。詳しくは本ホームページの「・自然破壊や災害について」の「百沢土石流災害」をクリックし、開いて読んでいただきたい。さらに詳しく知りたい方は拙著「おお悲し、泣くはみちのく岩木山」・第三話 土石流災害とスキー場を読んでいただきたい。
その崩落地には何段かに渡って「土留め」の丸太杭と丸太の横木が設置されている。そこは植生の回復を促すために「侵入・登山禁止」になっている場所でもあった。
何と、そこを登っていく者がいるのだ。注意をして登山道まで降りてもらはなければいけないと思い「なんかの調査のためにそこに入っているのですか。」と声をかけた。
「…」返答はないものの、その人は登ることを止めて、私の方を見ている。
「申し訳ありません。そこは1975年8月5日に発生した大土石流の崩落地で植生の回復を図っている場所で、入ってはいけないところです。植生の調査などでなければ出ていただけませんか。」
「…」その人は一言も発しないまま私の方に降りてきた。それと、ほぼ同時に下の雪渓の方から4人の登山者が登って来た。
「土留めのある崩落地」を登っていたのはこのグループの一員で、トップでルートファインデングをしていたらしい。そして、北西に向かう登山道を外れて、南の鳥海山に向かって登っていたのである。単純な「道迷い」である。
私は、その4人に「土石流のことと崩落地、それから山頂への登山道」について話して、最後に「環境省関係者」であることを話した。彼らは岩木山に初めて登ったという意味のことを言った。
4人は1人を待つことなく「ありがとうございました。」と言って登って行った。1人はようやく登山道まで降りて来て、私とすれ違った。
「楽しく登っているところを降ろしてしまい申し訳ありませんね。」
「…」怪訝そうな顔をしていたが、やはり、言葉はなかった。だが、その表情にはほっとした安堵感が読み取れたのである。
彼は「崩落地」に、ただ、単純に「迷い込んだ」だけなのである。「調査」でもなく「盗掘」でもなく、初めての岩木山登山で「濃霧」に巻かれて、登っているうちに、そこを登る羽目になっていたのだ。彼は先行する4人を追いかけるようにして去っていった。
ところで、植物を「盗掘」する者の中には「調査」を装う者もいるので注意が必要なのだ。
大した距離でもないのに、「ようやく」錫杖清水と思われる場所に着いた。腹時計ならず、本物の時計もすでに1時を回っていた。雪渓の上端の岩場で、遅い昼食にすることにした。
(この稿は明日に続く)