岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

登山道沿いにつけられた赤いビニール製のテープのこと(登山用語では「送り」という)

2007-10-28 07:07:59 | Weblog
(今日の写真は晩秋の赤倉登山道である。登山道沿いの木々の枝に注目してほしい。どこにも「赤い布」や「赤いテープ」の「送り」はまったく見えない。これが正常な登山道である。
 この「送り」は道に迷わないための「めじるし」である。あくまでも「迷いそうな場所」に付けるものだ。しかも、その「数」は最少であり、形も最小でなければいけない。
 だが、「迷いそうな場所」かそうでないかは、その登山者の力量と経験に大きく左右される。つまり、「力量と経験」のない登山者ほど「どこに」でも「数限りなく」付けるのである。
 また、それを付けた登山者の「めじるし」としての役割を終えたら、取り外して持ち帰ることが原則なのである。
 つまりこうだ。パーティ行動で、ルート探しのトップがルートファインデイングをして「送り」を付ける。こういう場合はメンバーの間には距離が出来るものだ。この場合は最後尾の人がとりはずしていくことが原則だ。
 さらに、これが出来ない場合は、下山時に「すべて」取り外すことが、これまでの登山者にとっては「暗黙」の了解事項であった。)

☆ 登山道沿いにつけられた赤いビニール製のテープ(登山用語の「送り」)は責任を持って取り外すべきだ… ☆

 10月15日のブログで「朝6時に相棒のTさんと登り始めて、山頂には9時過ぎに着いた。」と書いた。実は「到着時間」はもっと早くなるなるはずだったが「あること」に阻まれて「遅く」なったのである。つまり、もっと早いペースで登ることが出来たはずであったのだ。
 私の登りを阻み、登りのペースをダウンさせたものが、赤い「ビニール製のテープ」の「送り」であった。私も「送り」を付けることはある。しかし、その材質は「木綿の赤布」であって「ビニール製のテープ」ではない。なぜ、「木綿」の赤布に拘るのかといえば、仮に「取り外し」を忘れたとしても経年のうちに「腐食」して「自然に帰り、自然の中の異物」にはならないことによる。
 ところが、「ビニール製のテープ」は「腐食」もせず、いつまでも「自然の中の異物」なのだ。言い方を換えると「ゴミ」なのだ。
 …という訳で、古くなった赤いバンダナを千切ったものをいつも50本程度はザックの中に入れて持っている。

 当日、私はその「ビニール製のテープ」を取り外しながら登ったのである。なぜ、「登りながら」なのかというと、下りの時よりも、登りの時がよく見えるという事情による。
 その「ビニール製のテープ」の「送り」は、間隔の狭いところでは5m足らずのところに次のものが付けられているという状態で、少し登っては立ち止まり、それを取り外すという行為が「石神さま」辺りから山頂近くまで続いたのである。
 しっかりと結びつけられて「ビニール製のテープ」を外すことは、結構疲れる作業である。また、登りという行動は「切れ間のない連続運動」の方が「疲労感」が少ないものだ。 しかし、しょっちゅう立ち止まり、「連続運動」が「停滞」させられるこの行為は、時間を食うだけでなく、何よりも「疲労」を大きくするものであった。

 私が取り外した「ビニール製のテープ」でベストの2つポケットは大きく膨らんだ。後ろを登っているTさんには、私が見落とした「ビニール製のテープ」の取り外しを依頼した。
 下山後、その数をかぞえると約160本もあった。Tさんが取り外したものを加えると、何と200本以上になる。これは、もはや「異常」である。腐らない「ビニール製の送り・テープ」は「ゴミ」でしかない。私とTさんは、その日しっかりと「登山道のゴミ拾い」をしたのである。

 ところで、登山者が言う「なた目(木々に鉈で切れ目を付けてめじるしにすること)とテープ目印は許される」ということについて「登山」とはほぼ縁のない自然生態系を保護したいと考え、活動している人は次のような意見を持っているのだが、どうだろう。

『なた目がマタギ文化?であったのは昔のことだ。今の日本にはマタギを純粋に生業としている人はいない。観光に使っている「マタギもどき的人物」はいるだろう。登山道伐採によるなた目は新しいものだ。登山者がつけたものである。
 テープ目印も含めて各自が勝手につけたのでは、テープだらけ、なた目だらけになってしまう。それとも、少なければいいのか。自分がつけたなら、他人がつけるのも否定できないはずだ。今もあると思うが、奥入瀬遊歩道にたくさんつけられているテープは私から見ると、景観破壊でしかない。
 テープであろうと勝手につけるのはルール違反だ。たとえば、私が写真撮影の目印を国立公園特別保護区内に付けておいても認めるのか。登山者の目印がいいのなら撮影なり、調査の目印もいいだろう。
 目印といえども野放しでなく、監督行政の許可を得てからやってほしい。なた目はマタギがやっていたことだからとの理由付けは、それこそ笑止千万、時代錯誤と言わざるを得ない。私が動物の調査地点の目印になた目をつけてもいいのか。登山者には超法規的特権でもあるというのか』