岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

草花や樹木の花の遅咲きは自然が鳴らすひそやかな警鐘か(その2)

2007-10-18 04:33:52 | Weblog
(今日の写真は「雪のない時に見るスキー場ゲレンデ」だ。地球の温暖化に拍車をかけている熱帯雨林の皆抜は、規模的には比較にならないほど広大で多量だが「目に見える形状」はこれと同じである。その範囲が広いから悪くて、狭いからよくて「許される」というものではない。スケールメリットの追求から生じる「自然破壊」という根は同じである。)

   ☆ 草花や樹木の花の遅咲きは自然が鳴らすひそやかな警鐘か(その2)☆
(承前)

 今年の異変は何も「藤」や「テッセン」だけではない。岩木山では「ミヤマキンバイ」が今月の10日にも14日にも咲いていた。
 「ミヤマキンバイ」は例年、5月に雪解けとともに咲き出す。いわゆる岩木山の春告げ花の1つでもある。そして、5月中に一度咲き終わったものが9月の中旬ごろにまた咲き出すことはある。
 大体、「ミヤマキンバイ」の咲く場所近くの積雪は6月中に消えてしまうから、9月に咲き出すものは「遅い雪解け」による「遅咲き」のものではない。専門家でないのでその理由は分からないが、漠然と「温暖化による異常」だろうとは思っている。
 特に注目したいのは、今年の場合は「咲く時季」が10月中旬であり、おそらく、下旬に及ぶであろうと考えられることである。これら「遅咲き」のものは、いずれも「花」としての役目、つまり、「受粉して子孫を残す」という重大事をしないで、「寒冷と凍結」のために死滅するのだ。
 何という「無駄花」ではないか。自然の異変は、地上の生物に、このような無駄で無情で「惨い」仕打ちを与えるのである。もちろん、「自然の異変」とは「地球の自然発生的な異変」ではなく、人間の手による「人工的な異変」なのである。
 この「遅咲き」を風変わりな奴がいて、「秋を春と勘違いした」と考えれば楽しくはなるが、気持ちは複雑であるし、よくは解らない。
 ただ、春も秋もいずれも必死に咲いていたことは否めない。しかし、秋のものはちょっとだけ哀れさと恥じらいを纏っていたように見えた。

 8月19日には、ミチノクコザクラやエゾノツガザクラ、それにナガバツガザクラなどが、岩木山のある場所で、まだ咲いていた。
 ミチノクコザクラは一般的には、6月中旬が盛りとされている。案内パンフレットでも、開花時期は6月中旬と紹介されている。
 ただし、ミチノクコザクラも雪解けを待って、それに従い順次開花していくので、風衝地など雪の少ない場所では、5月上旬に咲き出すし、遅く雪渓や雪田が消える場所では7月の下旬頃に開花するのである。エゾノツガザクラやナガバツガザクラも大体同じ開花時期である。
 ところが、今年は「8月19日」にまだ咲いていたのである。あの咲き方だから、おそらく、19日以降も5日間ほどは開花していたであろう。何と、例年よりも20日以上遅い時期まで花をつけていたことになるのだ。これは、もうはっきりと「異常」なことである。 温暖化のなせる業であることは、もう間違いがない。

 最後に「ツルツゲ」だが、これは開花時期が6~7月である。それが10月14日に、まだ咲いていたのである。健気な所業に頭の下がる思いだが、この花も、自分の使命を果たせないで一生を終えてしまう。
 16日の朝、外気温は4℃であった。標高100m上昇するにつれて気温は0.6℃下がる。花をつけた「ツルツゲ」のあった場所は標高1200mを越えている。計算すると4℃-7.2℃で、氷点下3.2℃となる。あの白い小さな花は凍結し、生命を絶ったはずである。
 生まれて、そして、正常な形と歴史で死というゴールに至ることが出来なかった無念さが哀れでならない。
 「遅咲き」や「遅れて開花」しているのは、何も花だけではない。今年は「キノコ」も「遅い」そうである。知人で茸採りの名人であるKさんが3日ほど前に、ビニール袋いっぱいの「サモダシ(ならたけ)」を持ってきてくれた。そして、「今年はキノコの出が遅いのか、すごく少ない。これで今年は終わりかも知れないよ。」と言ったのである。
 また、昨日、本会の阿部会長が打ち合わせにやって来て、それが終わった後で「今年はキノコが遅い。サモダシもまだのところがあるようだ。近々一緒に採りに行かないか。」と言う。
 私は「キノコ」のみならず、その他の「山菜」といわれるものの「採取」は不得手である上に、あまり好まないので、「やんわり」と、その誘いを断った。
 そういえば、去年も、一昨年も「キノコの出が遅い」「キノコが少ない」「見られない」などという台詞をこのお2人から聞いたような気がする。
 やはり、これも「温暖化」のシグナルなのだろう。(この稿は明日に続く。)