岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

金子みすゞの詩「あかい椿がさいていた、郵便局がなつかしい」などとは思いたくない。(その4)

2007-10-13 07:41:39 | Weblog
(花や紅葉など、言ってみれば「美しい」ものと称される写真をこれまで掲示してきた。ところで、今日からは「人工的」に壊されて「美しい自然」が見るも無惨な姿になってしまった「岩木山の中に見られる」写真を、少し継続して掲載していこうと思う。
 今日から数日間は「鰺ヶ沢スキー場」拡張部分である。積雪のない時の「スキー場ゲレンデ」の実相を「堪能」?してほしい。明日からは写真に「説明」をつけるが、今日はそれを省く。写真に見える様子なりの解釈を各自していただきたい。)

   ☆ 金子みすゞの詩/あかい椿がさいていた、郵便局がなつかしい(その4)☆
(承前)
 今日で「郵政民営」化から13日目、数年後に『あかい椿がさいていた、郵便局がなつかしい』などとは、決して思いたくないのである。これまでどおりの「郵便局」であっていてほしいということだ。

 …民営化後も全国的な「ネットワークの維持」は義務づけられているという。
 しかし、最初からコンビニに頼っているだけでは「地方と大都会」における「格差」を是認しているのと同然だろう。
 まさに「小泉の時代」は「規制緩和」という美名の下での、強い者だけが生き残れるという競争社会の構築と格差拡大や弱者の造成と増大の時代だった。
 それをさらに実質化していこうとするのが「安倍」や「福田」の時代である。その中で「安倍」は自己責任を放棄した。本来であれば「安倍」の所属する自民党から「自己責任」論が起こってしかるべきなのだが、それはない。自民党とは「自己責任」とは所詮、縁のない「政党」なのだろうか。
 そのせいではないのか。今、イランで誘拐拘束されている横浜国立大4年生、中村聡志さん(23歳)に関する「自己責任」論は官房長官や外務大臣、ひいては総理大臣からも一言も出てこない。
 かつて、イラクでフリーライターの今井紀明さん、ボランティア活動家の高遠菜穂子さん、フォトジャーナリストの郡山総一郎さんが、「サラヤ・ムジャヒディン」(聖戦士旅団、戦士隊)と名乗る犯人グループに誘拐され、犯人が「自衛隊のイラクからの撤退を日本政府に求める」ための人質にされた「イラク日本人人質事件」の時の「自己責任」論はすさまじかった。
 あのことを思い出してほしい。まさに、「自己責任」という嵐だ。「誘拐され人質」にされた彼女たちがまさに「悪者」であると言わんばかりであっただろう。それなのに、この様変わりは一体何なのだ。この不定見にも、この政党や政府の本質が見え隠れする。

 わき道に逸れた。本題に戻す。
 郵政民営化の理由は…郵便事業の信頼の上に築かれた「郵便貯金」と「簡易保険」は政府保証ということを背景にして、これまで民間の「銀行」や「保険会社」の業務を圧迫してきたので、それを改めることにあるというのだ。
 別の理由としては、この「郵便貯金」と「簡易保険」で集めた資金が特殊法人などに流入することは「無駄遣い」だということもあった。
 これらの理由の下に「小泉」が「改革」民営化(?)を決めたのである。
なぜ「改革」というのに、民営化の前に「無駄遣い」をさせないシステムを構築するということをしなかったのか。おそらく、これは「民営化」を進めるための方便であったのだろう。
 そのうちに、国民から集めた「郵貯」や「簡保」は、ひょっとすると、みな海外の投資会社に吸収されてしまうかも知れない。「郵貯」や「簡保」の契約金は何と、243兆円だという。これが「外国」に流れないという保証もない。
 社会保険庁のこともある。老後の生活を考え、真面目に納めた「年金」の原資を、納付した国民の了解を得ることもせず、まるで「自分のカネ」ように、あっちこっち無駄な箱物を建設して、それがすべて大赤字、バンザイをして投げ売りだ。
 挙げ句の果てに「納めたのが誰だか分からない」加えて「着服」だ。いや、自分の「金」だったらこんなことはしないだろう。
 国民の「郵貯」や「簡保」で集めたお金だってこのような「感覚」で無駄遣いされたり、「着服」されたりする可能性は否めない。
 「郵便」以外の会社にはすべて、そのような危うさが付きまとっているように思えてならない。まもなく、総元締めである「日本郵政」への日本政府の出資比率はこれまでの100%から、3分の1になるのである。
 そのうちに「元本保証」もままならないということになるかも知れない。あり得る話しだ。
 私の場合は、「送金」ならば、「貯金」ならば、「保険」ならばあまり頼りにならない従前からの「銀行や保険会社」でこと足りる。
 私のように「お金」に縁のない人間にとっては元々、必要度が希薄なのである。だから、「不便」は感じない。
 私は、世界に誇れる日本の「郵便」だけはしっかりと守りたいと考えている。数年後に、金子みすゞが詠ったように、これまでの「郵便や郵便局」がすっかり「様変わり」して、かつての「郵便局がなつかしい」とは思いたくないのである。
(この稿は今日で終了)