あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

"La Ragazza Del Lago"

2007-09-16 18:41:49 | 映画

北イタリアUdineの近くにある小さな町で、ある朝一人の小さな女の子マルタが道で会ったトラックに乗り消えてしまう。マルタは湖の近くに足の悪い父親と二人で暮らす知能障害を持つマリオのところにいっていたわけだが、マルタの事件のためにやってきた刑事サンチオはマルタが湖で見たものを調査しにいくことになる。そこには美しい若い女性の全裸の死体が。殺人事件なのか?この女性アンナの恋人、死体を発見したマリオとその厳しい父親、アンナがベビーシッターをしていて、少し前に事故で亡くなったというアンジェロの両親、所属していたホッケーチームのコーチ(多分)、容疑者が次々に現れる。
映画の中で気になったのは、係わる人々たちの共通の問題。知能障害を持つマリオとその父親。落ち着きがなく手のつけられない子供であったアンジェロ(障害があったのかどうかはよくわからず)とその両親。サンチオとその病気の妻(アルツハイマーのような病気のよう)と娘。殺されたアンナと娘を溺愛しているその父親と父親の関心を得られない後妻の娘。悲しいけれど確かにストレスの日常が、ある日突然犯罪に結びついてしまう可能性をもっているということでしょう。
この映画では北イタリアの自然の風景がとにかく美しくて撮られていて、これもまた見どころです。 旅行に行きたい!


"Il dolce e l'amaro"

2007-09-16 08:53:33 | 映画

ベネチア映画祭のイタリアからの出品作品であるIl dolce e l'amaroを見てきました。
80年代のシチリア、マフィアの父親を刑務所内でなくし主人公が父親の親友であり、その地区のマフィアのボスによって、マフィアの世界へと入っていくことになる。小さな犯罪から大きな犯罪へと手を染めていく中で、ある女性に恋するが、マフィアの世界からは足を洗うことできない。恋人は去り、やがて、自分の友人を殺さなければいけないという使命をあたれられるあたりから、心の中の葛藤が膨らみ始める。そして父を殺したのは実はその親友だったことを知り、全てが変わっていく。
映画の初めに主人公が刑務所で暴動を起こした父親に会う場面があるのですが、そこで父が息子に"Nella vita c'è il dolce e c'è l'amaro"(人生には甘い部分と苦い部分がある)という言葉を贈ります。タイトルにもなっているこの言葉が、主人公の人生を通して、この映画の伝えたいところなわけでしょうが、途中で殺すことを命じられた親友が同じ言葉を言うのです。この親友が主人公の父親を知っていたということなのか、どこからこの言葉が出てきたのか、それは別に重要ではなかったのか、そこがはっきりしませんでした。(後でダニィに聞こう。)
よくあるマフィア映画といえばそうですが、ところどころにほろっと笑顔がこぼれてしまうユーモア感覚が表れ、後味も悪くなくイタリア映画だなあと感じさせられます。特に素晴らしいという映画ではありませんが、悪くはないですよ。


Flamenco a Roma

2007-09-15 08:04:13 | ローマの休日

9月12日から22日までローマ・AuditoriumではFestival Flamencoを催しています。毎日日替わりでフラメンコの音楽やダンスを楽しめるというものです。私達はTrova Roma(新聞La Repubblicaについてくる週刊情報誌)による招待券をゲットし、13日のArcangelという歌手のショーを見てきました。(普通は20ユーロの席)
ギターとパーカッションに歌とダンスのショーでした。フラメンコというものをまとものは見たことがなかったので、テレビや写真でちらっと見ただけのイメージにとどまっている私には、このショーが伝統的なものなのか、現代風にアレンジしたものなのか、とにかく私のイメージしていたものとは違っていたことは確か。男性歌手の方は声量のある高い声で迫力はあったものの、スペイン語でわからない上に、どの曲も同じ様に聞こえて、恥ずかしながらだんだんと眠気が襲ってきてしまいました。隣を見るとダニィもどうやら同様のよう。ダンスはステキでしたけれど。観客の反応は半々という印象。どうもスペイン人も大勢見に来ていたようで、彼等は一緒になってリズムをとってたり、大拍手をおくってもいたので、きっと素晴らしいものではあったのでしょう。私はあまり理解できなくて残念でした。
ところでTrova Romaでは、こうして時折招待券のオファーをしています。電話をして予約するだけなのですが、一斉に電話がいくのでしょう。当然通話中トーンが続くことになります。そこを根気よくかけなおし続けるわけです。今回はダニィがかけていたときにはつながらなかったたのに、私がかけたら一度でつながったという満足もありました。
Festivalは毎日22日まで続くので、日によってはイメージしているフラメンコのショーもあるのかもしれませんね。


ミュージカル Peter Pan @Teatro Il Sistina

2007-09-13 00:34:18 | ローマの休日

ローマ・システィーナ劇場で10月7日まで公演中のミュージカル”Peter Pan”を観て来ました。ミュージカルそれ自体よりも、まだ入ったことのなかったシスティーナ劇場に興味があったというのが正直なところです。ローマの主要劇場は一通り目にしたような感じなのですが、ローマの重要な劇場の一つであるこの劇場には行く機会が得られずいて、行くべきところリストに残っていたわけです。
外観も内部もモダンな劇場でした。1949年に完成したのですから、アンティーク劇場でないのは当然ですね。モダンな作りながらも、古めかしさがありました。ステージはどこからもよく見えるように作られていて、音響設備がすぐれているのでミュージカルに適した劇場だとどこかで読みました。こういうことには詳しくないため、実際違いはよくわかりませんが・・・。(素人の私の場合カラカラ浴場などのダイナミックなロケーションだったりすると、たとえ音響効果がいまいちだったりしても、むしろよく聞こえるような気がしてしまうわけです。)
ミュージカル自体は、おなじみピーターパン。時間が遅いのにもかかわらず、子供たちも大勢観にきていて、予想はしていたのですが全くディズニーランドのショーのようでした。歌にダンスがない場面では、眠気が・・・。中性的なピーターパンがなじみの私には、今回のピーターパンはしっかり男の子、少々イメージが違いました。イタリア人は”ピーテル パン”のように発音するらしいのですが、日本語の「ピーターパン」は全然わかってもらえませんでしたよ。
電気で光る星のおみやげつきで、子供たちは大満足のようでした。


ノッテビアンカ(2)

2007-09-12 20:31:43 | ローマの休日

ノッテビアンカは10:00pmまでアルバイトをしたので、その後ダニィの選択で見に行ったのは、通称La Farnesinaと呼ばれているイタリア外務省の中にある美術品の見学とチルコ・マッシモでの大型芸術作品。
外務省の方は普段は入れないところを見に行ったという満足感はあったものの、所蔵作品には少々がっかり、もちろんデ・キリコやカーポロッシ、デペーロなど有名な巨匠たちの作品はあるのですが、どうも私はコンテンポラリーアートはあまり理解できないらしい。普段は見られないと書きましたが、二ヶ月に1度ぐらいの割合で一般公開日というのはあるらしいです(外務省のサイトに詳細あり)。
外務省の方はそんなわけでしたが、チルコマッシモは満足感大でした。普段なにもなくただ広だけのチルコマッシモの敷地いっぱいに風船のような色とりどりの大きな電球が設置されていて、まるで光の花畑。こういうのは初めて見ました。
後日見に行った友達が、時間で色別に点滅させたりなど動きもあったらしい。電球の間を歩くこともできたとのこと。私はそんなことには気がつかずに遠くから眺めただけでしたが、周りにはパラティーノの丘とアヴェンティーノの丘があるだけの普段から暗いところなので、そこにぼーっと浮かびあがった光の花畑はなかなかミステリアスでもあって、大満足でした。


Blu notte - Misteri italiani

2007-09-10 08:28:24 | ローマの平日

Blu notte というのは、毎週日曜日の午後9時からRai3でやっている番組です。以前からあったのですが、始まる時刻が遅く長時間番組なので、おもしろそうだが見られない、そういう番組でした。きっと他にもそういう声があったのでしょうか。この9月から午後9時に始まるようになりました。

どういう番組かというと、イタリアの歴史上の事件で、うやむやにされてしまったような事件の謎を解明するというものです。9月の第一回目は、ナチスドイツによるイタリアでの大殺戮の事実に迫るというもの、そして今日第二回目は、2001年に行われたジェノバG8サミット中に起きた史上最大のデモで何があったのか、が取り上げられました。2001年と言えば、ほんの数年前のこと。なのにデモ隊を抑えようとする警官が、だれかれ構わずに警棒で叩きつけたり、足で蹴り続けている様子は、まるでファシスト時代を彷彿させます。そして23歳の若者が警官のピストルによって命を失いました。また騒動にかこつけて暴動を起こす人々ではなく、平和的なデモを行っていた人々、そしてジャーナリストたちまでが、理不尽にも警官達の手によって血を流すことになってしまった、どうしてそんなことが起きなければならなかったのでしょう。たまたま居合わせた人までが警察に連れて行かれ、どんな酷い扱いを受けたかを証言していました。至るところでそんな場面がカメラに収められ、充分な証拠がありそうなのにも関わらず、裁判は難しいとのこと。やはり権力が勝ってしまうのですね。民主主義とはそういうもの?何かで間違えて逮捕でもされたら、この国では怖いぞなんて思いました。本当に悪いことをしていても、コネさえあれば無し扱い、そんなことも本当にあるんじゃないかと、日頃の話を聞いていても思います。

Blu Notte、とにかく詳細盛りだくさん、そのため番組は2時間半以上の続くわけですが、つまらない映画よりもずっとおもしろい。進行役にCarlo Lucarelli さん(作家らしい)の進行もなかなか良くて、しばしマイブームになりそうです。


ノッテ ビアンカ (1)

2007-09-10 00:19:52 | ローマの休日

昨日はローマのノッテ ビアンカの日でした。ノッテ(notte)=夜、ビアンカ(biana)=白、つまりローマの白夜祭というところでしょうか。土曜日の夕方から翌日の明け方までのオールナイトイベントで、美術館や博物館が入場無料だったり、ローマ中でさまざまなコンサートや展覧会などなど様々なイベントが開かれるのです。パリやマドリッドなど他の都市でも行われているようで、ヨーロッパはこういう無料文化イベントが多いのが嬉しいところ。
という私は今年はイベントを催す側のお手伝いの機会に恵まれました。時々アルバイトをさせていただいているローマの日本文化会館での受付係。ノッテビアンカのイベント巡りはできなかったものの、結果的にはむしろおもしろい経験でした。文化会館には日本庭園があって、特定の一般公開期間を除くと、普段は見学することはできないのですが、ノッテ ビアンカでは特別に一般公開、これに大勢の人々が集まりました。関心のあるイタリア人が結構いるものなのですね。一体彼らの目には日本庭園はどのように映るのでしょう。
海外にいると、日本好きの人々に会う機会がよくありますが、結局日本が好きな人にとっては、日本のものは全て素晴らしい、そうでない人には「ふ~ん」で終わり、基本的にはそういう気がします。もちろん日本人の私たちもきっと同じでしょうが。
ただ、イタリアには日本ファンが多いような印象、それはとても嬉しいことです。
残念ながら、私のダニィは「ふ~ん」のグループのようですが・・・。

 


しっぽをくわえた魚さん

2007-09-04 22:12:15 | ローマの平日

うちの食事係はダニィと決まっています。というのもダニィの食習慣は複雑であいあいには準備ができないから。そんなわけで自然に買い物もダニィの役目になっています。
ダニィの食習慣についてはまた今度書くとして、実はこの間のこと、お買い得だったといって、魚(辞書で調べるとメルルーサの仲間らしい)を買ってきました。本人はちょっとでかけるので、この魚を茹でておいてという注文でした。魚を茹でる?パスタみたいにお湯をわかしてれ茹でればいいの?の疑問に、基本的にはその通りで、少しの玉ねぎとあればニンジンと一緒に魚を茹でるということでした。食べる前にオリーブオイルとレモン汁とイタリアンパセリを散らすのだそうです。それなら私にもできると、魚の入った袋を開けてみると・・・なんとそこには歯をむいて大きな口をあけた魚が、その口に自分のしっぽをくわえていたのです。食べる魚は側面から見ることに慣れているあいあいは、魚のその姿を上から見る形になり、かなりぎょっとしたわけです。
ダニィは変な顔をして、場所をとらないために魚屋さんがそのような形で袋にいれるのは普通だとのこと。「知らなかった?」と不思議そうな様子でした。「お鍋にもそのままいれればいいじゃない」という利点もあるそう。
なんだかその姿が池の鯉のように見えてきて、それをそのまま熱湯に入れるのが恐ろしくなり、一旦そうなるとどうしても触ることすらできない。結局外出を遅らせてダニィがやることに。途中こわごわ覗くと、やはり同じ状態でお鍋の中で丸くなっていました。目の色が茹ってグレーになっていて、まるで眠っているよう。最初は、はてさて魚には瞼があったかと、瞼のイタリア語がわからないあいあいは自分の瞼をひっぱってダニィに説明を求めたのでした。
できあがってお皿にのったときにはしっぽは口から離れていましたが、少し前の気持ち悪さは消えて、おいしそうな魚料理になっていました。
ワインにもあってなかなか美味美味。魚はお湯(塩もいれる)にいれて10分で出来上がり。オリーブオイルとレモン汁とイタリアンパセリをちらせて、超易しいイタリアンレシピです。


Fosse Ardeatine (ちょっと歴史探訪)

2007-09-04 20:48:47 | ローマの休日

カタコンベで有名な旧アッピア街道の近くに、ナチスドイツ占領下ローマの悲しい歴史を今も伝えているところがあります。英語のガイドブックには出ていましたが、恐らく有名なカタコンベの影に隠れて、観光客はあまり訪れることはないでしょう。以前から気になっていたので、日曜日にダニィと一緒に行ってきました。

入場料は無料。希望者にはやはりこれも無料でガイドの説明があります。目尻に涙の痕が気になるガイドのおじさんは、時々自分の説明に胸が熱くなっているようでした。ダニィの助けを借りながら、私なりに理解したのは、次のようなことです。
1944年の3月24日、反ナチス、ファシスト政権のレジスタンスの担い手であったパルチザンがしかけた爆弾で32人のドイツ兵が死亡、その報復にナチスドイツが決定したことは、死んだドイツ兵1人あたり10人のイタリア人を処刑すること。政治犯のほかに、73人のユダヤ人、そして全く関係のない普通のイタリア市民がこの洞窟に連れてこられ、最終的には335人が、縛られたまま跪かされ、銃口を頭に突きつけられて惨殺されたのです。その中には神父も14歳の少年もいました。ナチスドイツはこれを秘密にしておくために、この洞窟を爆破し、匂いを隠すためにごみを運んできたといいます。ところが処刑のあったそのときに、近くのカタコンベで遊んでいた子供たちと神父が、ピストルの音を何度も聞いていたのです。
Fosse Ardeatineには惨殺された335人のお墓があります。お墓の上には、名前と享年、職業が彫られ、写真がはめ込まれています。今も遺族がお墓参りをするのでしょう。花の飾られているお墓がたくさんありました。

ガイドのおじさんの奥さんの父親は、実は処刑された人々の一人でした。涙ながらの説明はそういうことだったのですね。小さい子供のときに父親をこのような形で失った奥さんの人生もそれに関わる人々の人生も、悲しいその歴史を背負い続けていかなければならないのですね。世界中にどれだけそういう人生を送っている人がいるのでしょう。

Fosse ArdeatineはVia Aredatine 174にあります。カタコンベへ行くバスに乗り、やはり同じバス停から近くです。