たんぽぽの心の旅のアルバム

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第四章OLという存在-⑦専門職と比較して

2024年05月23日 02時06分07秒 | 卒業論文

 ここで先の「恵まれている」順では①年齢を通じてわりあい等質な専門・技術職に位置するグループAの女性労働者のジェンダーへの順応と反応について熊沢誠の記述に沿って概観したい。先ず、1997年のJJL(日本労働研究機構)の、平均年齢29.7歳、未婚率56%の女性正社員に「将来の仕事のあり方の希望」をたずねる調査結果によれば、「出産・結婚・介護などで退職」(退職志向)は33%、「仕事の内容は問わずずっと続けて勤めたい」(勤続志向)は18%、「専門的な能力、・・・高度な知識や技術を身につけて、それを生かしてずっと勤めたい」(スペシャリスト志向)が40%となっている。この回答者のうち、事務職は44%、専門・技術職(「看護」「教育」を含む)は30%、営業・販売職は9%である。これら異なる階層の中で、専門職の女性たちが選ぶのは圧倒的にスペシャリスト志向であろう。女性専門職の働く組織は普通一般の職場よりはるかにフラットな構造であり、彼女らは事務職の一般職よりははるかに、自分の仕事の進め方に関する裁量権に恵まれている。いわゆるOLとは異なり、仕事の内容を自己のアイデンティティとできる余地も大きいだろう。自分の労働の社会的な意義をしばしば確認できもする。要するに総じて仕事にやりがいがあるのである。もちろん私たちは専門職の女性であるからこそ係ってくる特別の心労に無関心であってはならない、と熊沢は注意を促している。例えば今日、中学校の教員であり続けるにはとても心の力業を求められるはずだ。仕事本来の社会的意義に照らして、ときに組織全体の業務の方向性が疑問に感じられる場合もあるだろう。それにこの種の職場でも官・民を問わず確実に進んでいる人員の合理化が、労働の過重を通して、一方では「自分でも納得の行く丁寧な仕事」を放棄させ、他方では、労働時間を長くして既婚女性の「仕事と家庭の両立」を難しくもしている。例えば97年9月、ナース(看護士)の残業時間は、助成労働者全体の平均5時間を大きく上回り12時間42分。彼女らは「納得のいく看護」と「私生活の両立」の矛盾に追い込まれている。しかしそれでも、ナースたちの中で「できれば離職したい」「看護職以外の仕事に従事したい」と考える人はあわせて5.7%にすぎない(日本看護協会1999)。それは多くの専門職に共通する気持ちであろう、と推察できる。女性労働者のなかで、これら専門職の人々の就業継続志向の強いことは、第一章の表1-6「女性労働者分布」に見るとおり、20代から60歳になるまでどの年齢階層でも正社員比率が73%にのぼる例外的なグループとなっていることでわかる。その基本的な要因はすでにみた日々の裁量権であって、それが管理職にならなくてもがんばってやってゆけると言う感覚を女性専門職に与えている。専門職の組織でも管理職のポストはまず男性に占有されているのに、彼女らにあまり管理者への昇進志向がみられないのはそのためである。(略)これら専門職の「恵まれている」人々は、職場のジェンダーのしがらみを日々さほど噛みしめなくても良いだけに能力主義を完全に内面化している。これらの人々は相対的に高学歴である。[i]

上記に記した専門・技術職に比べると、多数派ノンエリートの一般職OLは、仕事の内容を自己のアイデンティティとできる余地は少ない。OLの仕事の性質として、職務分担の多少の広い狭いにかかわらず労働者がその判断によって遂行の望ましい方法やペースを選ぶことができない「単純労働」、繰り返し性(ジョブサイクルの短さ)、必要経験年数の僅かさなどが挙げられる[ii]。こうした性質の労働にやりがいを求めるのは困難である。単純労働に耐えうる労働者と日本型企業社会に見なされているOLはもともと労働の対価として報酬を受け取るという職業人としての意識が男性社員に比べて希薄な場合が多い。その理由としては、「女の子」として十把ひとからげに扱われ、仕事の正当な評価がなされているのかいないのか、あやふやな状況ではそのような意識は醸成されにくい、ということが考えられる。また、単純で補助アシスタント的なその仕事内容はあまりにも切れ切れで細々しているために、「自分の仕事」をしているという自覚を持つことは難しいのである。お茶を運んだり、書類のコピーをとったり、原稿をタイプしたりといった仕事は、OLにとって報酬を得るための労働というよりは、仕事を依頼した男性のためのサービスとみなしがちになる。OLの職業意識が希薄なことと、会社の中で期待されていないということは表裏一体であると考えられる。OLはいつまでたっても「仕事をする人」としてではなく「面倒をみてくれる女の子」としてしか見られていないようなところがあり、『おじさん改造講座』の著者清水ちなみは、自分自身の経験から、おじさんとOLの関係はどこを見渡しても「上司と部下」というよりは、「上司と女の子」と言うのが適当であり、会社に入った女性社員は、部下というよりもどちらかというと「舅の面倒を見る嫁」に近い感じだったと述べている。[iii] OLが上司の私事の手配をすることもあり、公私のグレーゾーンは曖昧である。このような状況下では、男性社員がOLに仕事を依頼するときは、職務を命ずるというよりは、ついつい「お願い」ベースになりがちであるし、OLの方も「頼みごとをきいてあげる」という感覚に陥りやすい。多くのOLにとって仕事とは単に「する」ものではなく、常に誰かのために「やってあげる」ものであり、男性もOLの仕事に対しては、「ありがとう」と礼を言う。男性の部下に対して使われる「ご苦労さん」とOLに対して使われる「ありがとう」の違いに小笠原祐子は注目している。「ご苦労さん」というねぎらいの言葉に比べ、「ありがとう」は相手の骨折り損に対しての感謝、報恩の気持ちをより直接的に伝える表現である。女性に「ご苦労さん」という言葉が使われないわけではないが、男性の部下に対してよりも、「ありがとう」が多用されているようだ。もし、女性にも男性と同じ職業意識を期待していたら、このような言葉の使い分けは無用のはずである。小笠原のインタビューの結果によれば、OLの希薄な職業意識を心得て部下の男性と女性を区別して扱い、例えばアシスタントの女の子はなだめなければいけない対象と考えている営業マンもいたが、逆に、女性を男性と区別せず、きわめてビジネスライクに扱った結果、女性の反発を招いた男性もいた。OLにとって、女性を待遇の面で差別する一方で女性にも男性同様の職業意識を期待するのは、矛盾する考え方なのである。つまり、男性と同様の権利が保証されない現状では、男性と同様の義務を負うことをも放棄する。職業人として男性と全く同じように扱われることを拒否するOLは、企業の差別的な待遇に直面して、OLの権利と義務に関し、独自の考えを持つに至った女性だと解釈することができるのである。[iv] 両性が平等でない以上、OLの仕事の最終的な責任は男性が負うべきであるし、男性はOLが仕事や職場に満足しているかどうかを常に気遣い、不満がある時は、何らかの対処をすべきだとOLは考えている。OLは、職場での当事者意識を失ったお客様化した存在であるといえるだろう。そうさせたのはOL自身ではなく、男性中心の日本型企業社会である。

一般職OLに要求されるのは、正確な計算とマニュアルへの忠実さであり、総合的な判断力などは求められていないので、専門・技術職に必要な高学歴は必要ない。むしろマイナスに働く。例えば都市銀行の融資部門では、多様な融資案件の資料分析と審査、そして上司のチェックを経た融資の決定はもっぱら男性総合職の仕事である。女性一般職は「顧客から預かった書類を格納・保管し、融資金額や融資期間、日数、顧客の振込口座等のデータを端末機に打ち込み、伝票を記載するといった事務作業を行う。一つ一つの仕事に高度な判断力は必要とされず、職務はルーティン化している。[v] 大手都市銀行の営業店の海外為替を扱う部署で伝票処理などを扱う28歳の女性(1994年時点)は、「一般職でイヤだと思ったことはないですね。むしろ、後輩として入社してくる総合職を見ていると気の毒な感じがします」とベテランOLの自信を覗かせている。彼女の後輩としてブランド大学を卒業し、入社してきた4人の総合職の女性はいずれも事務作業が極端に遅い、理屈でモノを考えるなどして2、3年で退職していった。[vi] 第一章で記した信託銀行の支店長の言葉にあるように、「営業店で頼りになるのは一般大学卒、短大卒の、規則に対する順応性が高く、あえていえば定型的作業に適した一般職の女性」ということになる。しかし、同じ仕事をし、能率や生産性では優っているはずの先輩一般職よりも給料は後輩の総合職の方がはるかに高いという矛盾がある。均等法が施行された86年に、「総合職コースは、長時間労働で全てを会社に縛られるとの印象があり、結局は疲れ果て使い捨てられるのでは」と不安に思い、一般職を選んだ26歳(1994年時点)の女性は、2年目から総合職採用の男性との差がつき始めたことに、これは合わないぞ、との思いを抱いた。先輩の一般職女性は、30過ぎのベテランなのに新入社員の男性の補助業務ばかり。一方彼女の同期の男性たちは次々に昇進していく。上司の中には有能で尊敬できる人もいないではなかった。しかし多くは生活面の自立ができておらず、中には銀行のキャッシュカードすら使ったことがない上司もいた。「会社の仕事ばかりで、他のことは全て奥さんに頼んでいるようなんです。会社では、奥さん代わりに、雑用をみんな一般職女性に押し付けてくる。そのために一般職が必要なんじゃないか、と思えるくらいです」。一般職OLの会社における「女房的役割」がよくわかる話である。総合職への転換を申し出たこの女性の同僚は、上司に露骨に不快な顔をされ、断念した。一般職の仕事はいくらやっても補助の域をでない。面白くなくて当たり前。しかし、責任はないから、楽といえば楽、なのである。[vii] 

さらに、大手商社の23歳(1994年時点)の女性は、一般職に留まっていることについて、「雑用の多さに嫌気がさすこともあります。でも、やめようか、と思うことにボーナスがどっさりくるので、ま、もう少しやろうか、という気になって・・・」と明るく答えている。「でも、あまり会社からの注文が多いと、一般職の女に仕事への生きがいだの会社への貢献だの要求するほうがおかしい、という気になります。一生懸命やったって同じですから、女は」。ここに記した女性にインタビューした竹信三恵子は、「将来」が存在しない一般職の女性に、明るい絶望とでもいえる軽やかさを見て取っている。彼女らはみな、今を陽気に生きている。「一生懸命やっても同じかどうか、やってみなければわからないんじゃないの」という竹信の問いに、23歳の商社勤務の女性は答えた。「有能で素晴らしい先輩女性もいるんです。その人、子会社で常務になって、新聞にも出たんです。でも、待遇は『事務職』つまり一般職のまま。給料は本社の同年輩の総合職男性の半分程度なんですよ」。

 

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参考文献

[i] 熊沢誠『女性労働と企業社会』146-149頁、岩波新書、2000年。

[ii] 熊沢誠『企業社会と女性労働』日本労働社会学界年報第6号、8頁、1995年。

[iii] 清水ちなみ「OLからみた会社」内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』113頁、130頁、岩波書店、1995年。

[iv] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』66-72頁、中公新書、1998年。

[v] 熊沢、前掲書、106頁、駒川智子「銀行における事務職の性別職務分離」『日本労働社会学会年報』9号、1998年、より引用。

[vi] 竹信三恵子『日本株式会社の女たち』33-35頁、朝日新聞社、1994年。

[vii] 竹信、前掲書、36-37頁。

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