たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第四章OLという存在-⑫OLだってやりがい、わりきってばかりもいられない

2024年07月02日 01時14分08秒 | 卒業論文

 日本型企業社会において周縁労働力に押し込められてきた一般職のOLで、現状の仕事を続けることが生きがいだと思っている人は少ない。「被差別者の自由」を享受したOLたちの楽しみの多くは、消費や趣味、友人や恋人との人間関係など、仕事以外のところにある。性差別を受け入れ、仕事以外に充実を求め、労働における内容面での充実ということは生きがいから外しているのである。男性のように出世できるわけではないから、仕事に少しぐらい手を抜いたところで、「よほどのこと」をしない限り評価に差はなかった。しかし、さらに、「どうせ一般職なのだから」仕事はお金を得るための手段と割り切って「そこそこに」働き、仕事以外に打ち込めるものをさがせばいい、と考えても、来る日も来る日も長い時間を過ごさなければならない職場で、そう簡単に割り切って働き続けられるものではない。現状の仕事のどこかに自分なりの価値観を見出していなければ、私生活にばかり充実感を求めても、満たされないものを感じ、やりきれない思いに襲われるのではないだろうか。ヒルティは次のように述べている。多くの人たち、ことに女性たちは、その天職を見失っている。今日ではそれを見失うこともやむをえないとさえ思われる。なぜなら、現在の与えられた状況の中では、彼女たちの活動する余地がまだないからである。この場合、天職にかわるどんな代用物、たとえば、ある種の享楽、芸術や芸術家に対するむやみな熱狂、クラブ生活、そのほか現代的教養のどんな種類も、この欠陥を補うことに役立たない、[1]と。私生活充実の方向へ走った結果ますます元気がなくなってしまう例として、『日経ウーマン』はこんな読者を紹介している。ある30歳の女性は、結婚を機に仕事は「そこそこに」働くことにした。残業はせずに帰宅。ガーデニングに精を出し、おいしいご飯を作り、家の中はいつもきれいにしている。週に一度はネイルサロンに通い、雑誌に載っている海外高級リゾートにも、毎年一度は出掛けている。なのにどこか満たされない。[2]「OLに求められる役割」の項で記したように、一日の大半を過ごす職場生活にやりがいを見出すことができなければ退職へと促されるOLも多い。そうそう、わりきってばかりもいられないのだ。

 さらに、近年OLを取り巻く職場環境は大きく変化してきている。平成不況の長期化によるリストラや雇用調整のターゲットに真っ先になったのは、ホワイトカラーの中高年管理職と女性労働者であることはすでに記したが、ジェネラリストという名の「管理職」も、いってみればOLという名の「一般事務職」も、特定の分野に限らないジェネラリティ(一般性)を何やら怪しいものにしてきている。[3] 一般事務職の新規採用と中途採用は激減した。バブル景気が終わり、採用の中味が「量から質へ」と転換した。「今すぐ10人欲しい」から、「いい人いたら5人ぐらい欲しい」に変わり、さらに「こんな職務ができる、こんな人が欲しい」へと変化した。派遣社員の要請にも、かつては「OA操作のできる人」だったのが、「エクセルを使って営業事務ができる人」など求められることがより具体的になり、そのレベルは高くなってきた。事務の仕事にスペシャリティが求められるようになったのである。就労形態の非正社員化が進む今日、すでに在籍している一般職OLも「いてくれるとありがたい人」から「この人がいなければ仕事が進まない」に変えていかなければ安穏としてはいられない。筆者が2003年7月に東京都の女性と仕事の未来館においてキャリアカウンセラーと対面した際にカウンセラーから「いい加減に仕事してきて泣いている30代の女性が今いっぱい、いますよ」という話がきかれた。「被差別者の自由」を享受するばかりではいられないのだ。こうした中で、成果主義の導入は仕事に前向きな女性も輩出していると考えられる。

 先にも記したが、近年、成果主義という言葉が聞かれるようになった。従来の日本的能力主義に基づいた年功賃金制度に代わって実績主義が台頭してきたのだ。成果主義については、『日経ウーマン』2002年7月号には、次のような説明がある。成果主義を「仕事をしたら、その分だけ給料がほしい」という人は、成果主義的な考え方をしていると言えるだろう。ただし、「その分だけ」と言うからには、「仕事で成果を出しているか」が問われることになる。成果主義では、個人にどんな能力、知識、経験、技術があっても、それらが仕事の場で発揮されなければ、評価はされない。能力主義との大きな違いは「仕事の価値」に対して賃金を払うことだ。どんな仕事をし、どんな責任を負っているか、そしてどこまで目標を達成できたかにより、昇給や賞与に差がつく。「仕事の価値」に支払われるため、諸手当も、基本給に組み込む形で廃止する方向に向かっている。最近は、「仕事で、どのようなプロセスを踏んだのか」も評価がなされるようになってきている。潜在能力ではなく、仕事でどんな成果を生み出すかが問われているのは同じだが、成果を生み出せる実力をつけていくためには、結果ばかり見ていてはダメだという認識が広がりつつある。そのため、若いうちはこれまでのように「能力」を評価し、管理職以降に「成果」が問われる方向に進んでいるようだ。日本型雇用慣行の特徴であったこれまでの右肩上がりの年功型賃金は、「若い頃は低く抑えられる代わりに、年をとってからその分もらえる終身決済型」だと言われてきた。この「右肩上がり」が、今、モデルではなくなろうとしている。定昇(定期昇給・ベア(ベースアップ)だけでなく、昇格・昇進による昇給がこのモデルを支えていたが、運用が「年功的」になっていたという反省から、成果主義導入に伴い、納得性の高い昇給・昇進を実現していこうと企業は努力している。[4] 成果を生み出せる人が、高い評価を得ていくのが成果主義なのである。

 長引く平成不況の中で、これまでは主として男性の一定職種のみに適用を限定されていた実績・成績の査定が、女性労働者も携わる広義の営業や事務に拡大されつつある。旅行会社のカウンターセールス業務もデパートの定員も銀行のテラーも一定のノルマを持つ。また近年ではいくつかの企業が、「業務職」「総合職Ⅱ」などと呼ばれる、仕事上の要請が総合職と一般職の間にある「中間職」を設け始めている。「中間職」は昇給が急カーブになると同時に厳しいノルマ達成を求められる営業が混じってくる。女性はこの厳しいノルマのある仕事を忌避するかといえば必ずしもそうではない。従来の日本的能力主義の評価を脱却した公平で客観的な業績評価であるならば、さらにノルマが普通の生活リズムを可能にする水準に設定されているならば、意欲的な女性は実績・ノルマシステムを受け容れていくだろう、と熊沢誠は述べている。しかし、この志向の評価は簡単ではない。熊沢は、日本の実績主義は普通の女性を働きやすくさせるほどの「清朗」なものにはならないだろう、と述べている。なぜなら、日本には、実績評価の客観性を保証するような職務区分・職務記述も、そしておよそ作業量を連帯的に規制しようと試みるような労働組合機能も、さし当り見当たらないからである。OLの「すきま業務」を公平に評価するような明確な職務区分はないということである。もう少し、熊沢の記述に沿って見よう。日本型企業社会では、個人に割当てられる仕事の範囲、ノルマ、責任が総じて流動的である。「一定の職務」に誰を配置するかという管理よりは、この人にどれだけの仕事をさせるかという管理が重視される。すなわち、それぞれの職務の価値をさしあたり担当者の属性を離れて評価できるような職務概念が不明瞭なのだ。それ故人事考課も、一定の職務の要件をその人がどれほど満たしているかの評価というよりは、その人の能力、成績、態度、性格を多面的に見る、どれほどフレキシブルに働けるかを基準とした「人」への評価になりがちである。こうした日本的能力主義の下では、職務評価は門前払いされている。[5] しかし、従来の男性に有利な年功型賃金制度は崩れつつある。

 さらに、会社にいた時間ではなく、「何をどれだけしたか」という評価の仕方は、女性にとってチャンスが増えたと考えることができる。そのためには、普通のOLも普通の事務ではなく、より専門性を高めていく必要がある、経費削減の波に脅えないですむためにはより付加価値を高めていく必要があるだろう。しかし、突然、より専門性をと言われても、これまでの教育では、特別の専門教育を受ける人を除けば、ほとんどの人が専門教育らしい教育を受けてはこなかった。さらに、これまで日本の企業では、専門性はとかく「深さ」というよりも、幅の「狭さ」に結びつけられやすく、それは勢い組織人としては行き止まりを意味していたのだ。専門性を高めるといってもその方法さえつかみにくいのが現状であろう。松永真理は、専門性を高めるということについて、次のような答えを見つけている。つまり、専門性とは、ひとつひとつの専門知識や技術そのものではなく、自律性、協調性、創造性、そしてその根底にあるつねに何かを獲得できるような基礎的な力である。ある専門性を身につけようとすることを通して、そうした基礎的な能力を身につけていくこである、と。[6]

 どのような働き方を選ぶにしろ、選択は女性自身に委ねられている。女性に主体意識が求められているのだ。大切なのは自分の軸を見つけること、個の確立ではないだろうか。キャロル・カンチャーは『転職力』の冒頭でこんなメッセージを読者に送っている。「自分の人生は自分で決める。それはすなわち、自分の運命を自分で引き受けることです。人生と仕事の質を向上させ、夢を実現する知恵と勇気を見いだしてください。」[7] 女性には男性と違っていろいろな生き方の選択肢が用意されている。そのためかえって、生き方について悩む率が高い。昔のように、結婚以外に選択肢がなかった時の方が楽であったといえるかもしれない。絶えず向上することを願いながら生き方を模索する。次の章では、「自分さがし」が女性にとって大きな関心事であることを概観したい。

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引用文献

[1] ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『眠られる夜のために』(第一部)79-80頁、岩波文庫、1973年。

[2] 『日経ウーマン2002年7月号』54頁、日経ホーム出版社。

[3] 松永真理『なぜ仕事するの』142頁、角川文庫、2001年。(原著は1994年)。

[4] 『日経ウーマン2002年7月号』60-61頁、日経ホーム出版社。

[5] 熊沢誠『女性労働と企業社会』50-52、207-208頁、岩波新書、2000年。

[6] 松永真理『なぜ仕事するの?』157-158頁、角川文庫、2000年(原著は1994年刊)。

[7] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力―キャリア・クエストで成功をつかもう』13頁、光文社、2001年。

 

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