たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(3)

2023年04月24日 17時15分10秒 | グリーフケア
日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b49b8add13ed3825678d8d023c2c5db3



(乳幼児精神保健学会誌 Vol.4 2011より)

10.学童期になると寺子屋教育-

 寺子屋は全国に数万はあったと推測されている。学童期になると多くの庶民の子どもたちは寺子屋で学ぶ。

 母親が子どもの手を引いて寺子屋に入門すると、読み書き算盤と、日常に役立つことが教えられた。教え方は、それぞれの子どもの環境、個性に合わされていた。

 寺子屋は城下町のみならず農村部にも普及していったため識字率は欧州諸国に比べてはるかに進んでいた。従って文字文化が広く普及して育児書、教育書も民衆の中でかなり読まれていた。

 子屋で秩序を乱す行動があった時に寺子屋特有の体罰があったが、西欧のようなムチを使う体罰は決してなかった。

 まず寺子とコソコソ話しが始まると、師匠が矢の根で畳を二、三度たたいて一喝する。おしゃべりが再三にわたると師匠はしゃべられないように筆を口にくわえさせる。それでも言うことを聞かないと、厳罰として、皆がいる部屋の中央に机を置き、本人をその上に正座させ、左手に水をいっぱい入れた湯飲みをもたせ静かにさせ、右手に火のついた線香一本をもたせて罰の時間の目安にした。このようにして師匠の許しがあるまで身動きできないようにさせられていた(廣田星橋:手習師匠追記)。

 最後の厳罰は「破門」を言い渡される。寺子屋で使う机は自分の家から持ち込むことになっているので、その机を背負って家に帰される。そこで「あやまり役」が登場し、子どもと一緒に謝罪する。「あやまり役」は親・仮親・師匠の妻・近所の老人などがあたり、真の反省に役立ったという。

 寺子屋は女子にも門戸が開かれていた。基本的には男女共学だが、中には女子寺子屋もあった。当時は、男女7歳にして席を同じうせずという時代だから当然男女は衝立で分けられていた。町人の間では、女の子に読み書き算盤の手習いや、三味線、踊り、琴などを習わせ奥女中方向(江戸城大奥には1,000人から3,000人の奥女中と藩邸にもいた)をさせるのが念願の母親、今で言う教育ママもかなりいたようである。女子に学問はいらないと世間で言われだしたのは明治になってからである。

(今野信雄『江戸子育て事情』筑地書館)
(中谷彪『子育て文化のフロンティア』晃洋書房)


11.乳幼児期における大人と子どもの関係、欧米と日本の文化的違いについて-

 日本と欧米では歴史的にみて「子ども観に大きな違いがある。欧米では、元来、子どもは生まれながらに罪深い存在と考えられてきた。一種の性悪説で、子どもを放置しておけば野生のままの問題児になってしまうので、乳幼児から親中心に厳しく育てることを教えられてきた。しつけとして、ムチによる体罰が一般的であった。このようなしつけの背景には、プロテスタントのカルバン主義(人間はすべて神の命令に背いて罪を犯した最初の人間アダムの子孫であり、生まれながらにして罪の中にあると強調)。もう一つの厳しい体罰の背景には典型的な牧畜肉食民族である欧米人は家畜の飼育をモデルに子育て様式ができていったことも考えられる。

 日本では、子どもは元来「善」なるものとしてとらえられてきた(一種の性善説)。乳幼児を子ども中心に大切に育てれば、どの子も健やかに育つと考え、信頼関係、特に母子関係を非常に大切にし、甘え関係を土台にして子育てされたと思われる。「朱に交わって、赤くなる」ことがあれば、それは悪い関係性(環境)からであるとみなすのである。

 その背景を西欧と比較すると、自然に寄り添う、自然を崇拝する宗教と、稲作農耕民族のため稲作が子育てモデルになっている。すなわち過度の肥料を与えて時間をかけてゆっくりと子どもを育てる。また、古来子どもを「宝物」と考え、大切に育てる。子どもは神からの授かりものだから親の思うままにはならないという伝統的子育て観が根付いていたことなども考えられる。

(ルイス・フロイス、岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波書店)


12.日本と米国の生活曲線の違い
  (括弧内は筆者の私見)

 米国の文化人類学者で日本文化研究者であるルース・ベネディクト女史が顕した「菊と刀:日本文化の型」に興味深い日本と米国の生活曲線の違いを記している。

 それによると、日本では幼児期と老人とに最大の自由と我儘とが許されている(この間、基本的信頼感と自律心(E・H・エリクソン)が醸成され、社会性の基礎はかなり出来ていたと考えられる)。幼児期を過ぎるとともに徐々に束縛が増してゆき、ちょうど結婚前後の時期に、自分のしたい放題のことをなしうる自由は最低限に達する(この時期が絶好の精神的修養になると考えられている)この最低線は壮年期を通じて何十年もの間継続する(この生活の中では言語コミュニケーションの発達はあまり進まなかったと推測される)が、曲線はその後再び次第に上昇してゆき、60歳を過ぎると、幼児とほとんど同じように恥や外聞に惑わされないようになる。

 一方、米国では、この曲線を日本と全く逆にしている。幼児には厳しいしつけが加えられる(現在の虐待子育てに相当し、基本的信頼感はできていなかったであろう)。このしつけは子どもが体力を増すに従って次第にゆるめられていく(この親子関係の転換のなかで言語コミュニケーションが磨かれ、ハグ、キスをしながら人と人の心をつなぐようになっていくと考えられる)、よい自活するに足る仕事を得、世帯をもって、立派に自力で生活を営む年ごろに達すると、ほとんど他人の助けを受けないようになる。壮年期が自由と自発性の頂点になっている。年とってもうろくしたり、元気が衰えたり、他人の厄介者になったりするとともに、再び拘束が姿を現わし始める。

 ところが、現在の日本の生活曲線は幼児期から高等学校を卒業するまでの生活は拘束され自由がなく、子ども体験ができなくなっているように思えてならない。」




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