たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

リュウゼツランの花の名残り

2024年08月11日 17時32分29秒 | 日記

Xユーザーの都立日比谷公園(Hibiya Park, Tokyo) 園長の採れたて情報さん: 「園長です。 本日のリュウゼツランです。 最上部まで花が咲き、そろそろ花はおしまいです。 まだ黄色い花の名残はご覧いただけますので、お近くにお越しの際はぜひご覧ください。 #日比谷公園 #リュウゼツラン https://t.co/ctaXrVGANS」 / X

 

2024年8月9日(金)日比谷公園、

黄色い花の名残りに間に合いました。何十年に一度しか咲かないそうなので、人生最初で最後の機会でした。

 

 

 

2024年5月28日フライデーデジタル、

「現状で苦情がある訳じゃないのに…」神宮外苑の再開発保留の影でひっそりと進む「日比谷公園」再整備 | FRIDAYデジタル (kodansha.co.jp)

 

灼熱地獄の一日の終り、公園内には涼しい風が吹いていました。都心のど真ん中にある広大なオアシス。

写真を載せきれませんが、6月21日(金)に訪れたとき工事中で囲いがされていた第二歌壇は芝生広場になっていました。

東京都職員の三井不動産への天下りが指摘されています。歴史が利権の餌食になっていくのはみていられません。

 

明治36年(1903年)6月1日、日本初の西洋風公園として開園した歴史ある公園。伊達政宗の江戸屋敷が現在の公園内にあったとされ参勤交代で江戸に来ていた時亡くなったということを今回の散策であらためて知りました。


ガザ市のタビーン学校への夜明け前のイスラエルの爆撃でこれまでに93人の殺害が確認

2024年08月11日 13時12分18秒 | 気になるニュースあれこれ

パレスチナのガザ地区にイスラエルが爆弾を落とし100人近い方が亡くなったというツィートがいくつかあがってきますが辛くてまともに読めません。犠牲者のほとんどが子供と女性とのこと。

 

世界の指導者たちよ、なぜこれを止めないの?

 

国連は?

 

なにもせんの?

 

この欺瞞に満ちた世界、なんなん?

 

Xユーザーの胡瓜と桃のサラダaka Tiger.Shark.さん: 「2000ポンド爆弾が近距離に落ちるとその衝撃波が幼い子供の肋骨を破り胃や肺を物凄い速さで圧迫する。 そこから空気が高速に出口を求めて頭に上がり、目から口から鼻から飛び出すことによって頭が割れる。 頭を失った赤ん坊、皆見たと思う。 今でも人口密集地に落としている。米国の支援で。」 / X

 

XユーザーのMidori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店さん: 「ガザ市のタビーン学校への夜明け前のイスラエルの爆撃でこれまでに93人の殺害が確認。まだ捜索は続いている。多くが肉片になるか焼け焦げており、身元も、人数さえも確認することは困難。ミサイルは殺傷力を高める為に釘や金属片が多数詰め込まれている。」 / X

 


南海トラフ地震注意報の裏側で進められる緊急事態条項に断固反対です!

2024年08月11日 00時46分22秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年8月10日則武謙太郎さんチャンネル、

(59) 南海トラフ地震注意報の裏側で進められる緊急事態条項に断固反対です!【心理カウンセラー則武謙太郎】 - YouTube

 

Xユーザーの森田洋之@医師・コミュニティードクター/医療経済ジャーナリスト/「医療」から暮らしを守る医師/音楽家さん: 「#不要不急 がトレンド入り   コロナ禍を経て、全体が過度の安全・安心指向に振れ、他人の生活や私見を制限することが普通になった。   この流れを無批判に受け入れるその先には「緊急事態条項」(政府が法律も作らず国会も通さずに国民の生活や私権を制限できると言う決まり)があるのです。」 / X

「コロナ禍を経て、全体が過度の安全・安心指向に振れ、他人の生活や私見を制限することが普通になった。

  この流れを無批判に受け入れるその先には「緊急事態条項」(政府が法律も作らず国会も通さずに国民の生活や私権を制限できると言う決まり)があるのです。」

 

Xユーザーのしゅん(高木俊介)さん: 「今の日本を統治するエリート層は《不安》が社会を駆動させるのに最も効果的であることを学んでしまった。 本来日常生活の中でそれぞれが解決を工夫できる「心配事」「憂慮」としてではなく、《不安》として広めることで国民を権威に縋らせることができる。すべてが「有事」となる。」 / X

「今の日本を統治するエリート層は《不安》が社会を駆動させるのに最も効果的であることを学んでしまった。 本来日常生活の中でそれぞれが解決を工夫できる「心配事」「憂慮」としてではなく、《不安》として広めることで国民を権威に縋らせることができる。すべてが「有事」となる。」

 

Xユーザーの田中希生さん: 「さて、いまだにコロナの脅威を語る言説が出てくるのをみると、コロナ禍とは対策禍だったと言わざるをえなくなる。未知の危機に対して対策の過不足は理解するが、なくならないものをなくせると考える行き過ぎた科学主義と、人間存在につきまとう《不安》についての洞察の浅さが、これをもたらしている。」 / X

「さて、いまだにコロナの脅威を語る言説が出てくるのをみると、コロナ禍とは対策禍だったと言わざるをえなくなる。未知の危機に対して対策の過不足は理解するが、なくならないものをなくせると考える行き過ぎた科学主義と、人間存在につきまとう《不安》についての洞察の浅さが、これをもたらしている。

そこに加えるべきは、今日の日本人の事大主義であり、この三つはべつにコロナ禍にかかわらず機能しているから、危機のたびに対策禍が起動する。たとえばテレビで繰り返し流れているらしい大地震言説である。特急が止まり、花火がなくなり、海水浴場が閉鎖される。被害を受けるのは若者ばかりである。

「なにかあったらどうするのか」という言葉を、ひとは、行動力を奪う魔法の言葉——すなわち「なにもするな」という命令として聞く。だからほんとうになにかあったら、その人間は、日本では命令を無視した者として見捨てられる。だが、われわれはむしろ、この言葉を行動のために用いなければならない。

「なにかあったらどうするのか」——津波が来たら逃げる、である。風邪を引いたら休む、である。困っている人がいたら助ける、である。夏が来たら海で泳ぐ、である。しかし、今日の日本人はこの言葉を非-行動のために用いる。なにかあってからでは遅いのであり、したがってなにかあってもなにもしない。
 
5年経っても医療崩壊と言っている。予防には人一倍気を遣いながら、罹った人間を救う準備はついにしてこなかった。震災も同じ。これから起こるらしい南海トラフは気にかけるが、能登や宮崎は気にしない。日本人の「思いやり」は、苦しむひとに向けられているというより、社会的視線を気にすることだ。
 
「なにかあったらどうするのか」という言葉は、「行動のために備えよ」という命令か、「なにもするな」という命令か(オースティンの言語論では不十分だね)。現代日本人はこれをかならず後者に聞く。恐れて行動しないか、行動せずに恐れる。備えるのは国家であり、あるいは行動は国家に委ねる。
 
備えるときでさえ、備えるために備えているのである。こうした心理状態が、現代日本人の精神を文字通りマスクのように覆っている。「なにかあったらどうするのか」。この言葉をどのように聞くのか。そこに、これからの日本人の未来を定める分水嶺がある。」