たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「フォロー・ミー」-2004年5月カウンセリング総論②資料より

2024年05月29日 13時16分19秒 | グリーフケア

2004年5月21日(金)-カウンセリング総論②資料-「フォロー・ミー」

 

「フォロー・ミー」

 

上嶋洋一(京都保健衛生専門学校非常勤講師)

 

 キャロル・リード監督の「フォロー・ミー」という映画があった。

 

 結婚後間もない夫が、妻の行動に不審を抱く。“妻とはこうあるべきはずだ”という期待通りに、妻が生きてくれないからだった。他に好きな男ができたのではないかと疑った夫は、一人の探偵を雇う。その日から、その探偵が妻の後をついて歩く。常に一定の距離を置いて。決して口はきかずに。ただひたすら彼女の後を。しかし、彼女のあとをついて歩いていたその探偵が皮肉なことに、その彼女にひかれていく。自分の人生の中に一生懸命意味を見つけようとしている彼女の姿にひかれていくのである。調査の報告をする日、夫が問う。「どうだ、やっぱり男がいただろう」。その問いに答える代わりに探偵は言う。「今日からはあんなが、あんたの奥さんの後をついて歩いてご覧なさい。常に一定の距離を置いて。決して口はきかずに。ただひたすら彼女の後を。(そうすればあんたも、もう少しましな男になるかも知れない)さあ、お行きなさい」と。

 

 私は今、京都にある定時制の看護学校の非常勤講師をしている。定時制の学生たちのことを想う時、いつもこの映画が私の心に浮んでくる。もっと早く、彼らの後をついて歩くことができていたら、そしてその世界の少しでもいいから、自分の目で見、自分の心と身体で

味わい、自分のものとして感じることができていたら、自分ももう少しマシな男になっていたような気がするのだ。

 

「朝8時30分~12時30分、夜5時30分~9時まで、看護助手として働き、そして昼1時20分~4時30分まで、この学校で勉強している。毎日毎日、仕事と学校に追われて、時間が超特急で過ぎていく。しんどくて、イヤで仕方がない日もあるけれど、「頑張らないとなあ」と思いながら毎日を生きている。「なんでこんな生活しなあかんの!もう辞めたい」と思いながら、辞めないのは何でかなあと、時々ボーと考える。私は中学校に入るか入らないかの頃に看護婦になりたいと思った。でもその頃は、ただ白衣に憧れていただけかも知れない。現実は仕事はきついし、人間関係は複雑だし、毎日、身も心もボロボロ。「辞めたら楽なんだろうなあ」と思うのにやめられない。なぜかなあ・・・。たぶん、辞めても、できること、したいことがわからないし、途中で放り出すということに対する自分のプライドもあるし。それと、何回か、仕事で、「看護婦やってて良かったなあ」って思えたことがあったが、それも関係しているのかなあとも思う。」

「手術室看護にたずさわって4年目を迎える。夜に緊急のOpeの呼び出しで飛び起き、雨でも雪でも病院に駆けつけたり、デートの途中であっても、彼氏をおいてけぼりにして走りだしたり、大手術の前は、何時間も手術の勉強をしたり。夜中に血だらけのOpe室に入り、青白い顔でうなっていた患者さんと、2週間もたてばエレベーターなんかでバッタリ会ったりする。その時、胸がいっぱいになる。きっと、苦痛と不安の中、患者さんは私なんか覚えていないし、存在すら知らないと思う。「あなたの手術のために、私は一週間も前からずっと勉強し続けていました。あなたの手術のためにあの日彼を怒らせてしまいましたよ。私はあなたのために頑張ったんですよ。病棟のNsみたいに、いつもそばにはいなかったけど」・・・そんなふうに、元気になった患者さんに言えればいいけど、でも、「ああ無事に終わって良かったな」「出血が、思ったより少なくて良かったな」と心の中でつぶやいている看護も、まあいいかなと思ったりしている。」

 

 寝てばかりいる学生の向うに、こんな世界があることを、しばらくの間全く想像できず、彼らを(口にこそ出さないが)責めてばかりいたころの自分を思い出す。彼らを好きになれなくて・・・好きになれない自分をまた責めて・・・。「いっぺん見に来い!」といってくれた学生に感謝したい。

 

(『筑波大学臨床心理学会会報』1996年No.11,2頁)


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