たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

船瀬俊介氏ワ〇チンの罠

2023年04月12日 16時40分32秒 | 気になるニュースあれこれ
https://www.instagram.com/p/Cq6sHZsRKRo/

スイスがコロナワクチンの推奨を取り下げ、責任は接種した医師に

2023年04月12日 15時37分52秒 | 気になるニュースあれこれ
https://twitter.com/j_sato/status/1644574970180427781

「スイス当局が、コロナワクチンはリスク-ベネフィットがマイナスと判定し、全面的に推奨を取り下げ。特定条件での個別接種は可能だが、薬害が発生した場合には接種した医師が責任を負うことに。」






倉庫には期限切れのワクチンが山積みになっているそうです。

「-スイスの新型コロナワクチン、期限切れで大量廃棄へ-

スイスの倉庫には、未使用の新型コロナウイルスのワクチンが山積みになっている。在庫は今後も膨らみ続ける様相だ。需要の低迷に加え、発展途上国への寄付は複雑な手続きが必要なため、期限切れワクチンが大量に廃棄されている。

スイスの人権NGO「パブリック・アイ」の医療政策専門家パトリック・ドゥリッシュ氏は「スイス人は最初からワクチンを発注し過ぎた。ピーク時には人口の4倍もの量を注文していたほどだ。そして、その後も発注し続けた」と swissinfo.chに語る。

新型コロナワクチンは、世界中で133億回分接種された。スイスでは国民の約7割が少なくとも1回はワクチンを接種しており、この数字はここ1年間ほとんど変わっていない。過去6カ月間に3回目以降の追加接種を受けた人は11.5%にとどまった。」

https://www.swissinfo.ch/jpn/sci-tech/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3-%E6%9C%9F%E9%99%90%E5%88%87%E3%82%8C%E3%81%A7%E5%A4%A7%E9%87%8F%E5%BB%83%E6%A3%84%E3%81%B8-48421510?utm_content=o&utm_medium=socialflow&utm_source=twitter&utm_campaign=own-posts





日本を代表する江戸の子育ては、子どもを世界一大切にしていたといわれている(1)

2023年04月12日 01時04分41秒 | グリーフケア
(乳幼児精神保健学会誌 Vol.4 2011より)

「子育ては時代とともに何故、どのように変わってきたのか(1)江戸時代のこと


1.江戸時代の社会の様子

 徳川将軍家によって日本が統治されていた時代が江戸時代で、1603年から1868年までの265年間を指し、それまで長く続いた混乱社会を終らせ、戦争のない安定期が続いた時代である。

 外国との交流は長崎出島での中国・オランダと、津島藩を介する朝鮮とのみで、その他の国との交流を禁止する鎖国政策をとった。しがたって、島国で鎖国をしたことで異民族の侵略を受けず、国内では宗教が神仏共存したために大きな争いはなく世界に類をみない平和が長く続いた。

 社会構造は、城下町の他は基本的には農村であった。文化は西欧大陸からの影響をほとんど受けず、四季の変化に富んだ自然豊かな気候・風土とゆっくりと流れる時間の中で穏やかな農民町人民族文化を発展熟成させてきた。多様な学問が開花し、世界に誇る数々の文化・芸術・風俗が生まれていった。

 ちなみに米国が独立したのは1776年で、江戸時代になってからおよそ170年目にあたる。明治の始まりから差し引くと100年に満たない新しい国である。従って、本文での文化比較は明治が近くなるに従って西欧から欧米に変わっていく。


2.欧米人がみた日本の子育て-

 16世紀頃から来日した宣教師や、幕末から明治初期に来日した多くの欧米人が江戸から地方の子育てについてほぼ同じようなことを書き残している。欧米人からみえた日本の子育ては、子どもが優しく親切に扱われ、自由とわがままが許されており、「しつけ」の罰はわれわれの国欧米のようおな野蛮な体罰はなく言葉で戒め穏やかであると絶賛している。

 その見聞録を残した人だけでも、年代順に、ポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・フロイス(1585年)、フランスのイエズス会宣教師ジャン・クラッセ(1689年)、スェーデンの植物学者カール・ペーテル・ツンベルグ(1775年)、長崎オランダ商館員フィッセル(1833年)、イギリス初代駐日公使オールコック(1860年頃の幕末)、イギリスの女性旅行家イザベラ・バード(1880年)、イギリスの日本研究家バジル・ホール・チェンバレン(1890年)、イギリス人G・ピーター(1895年)など実に多く、立場も多様である。」

                                        ⇒続く