たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(2)

2021年09月28日 15時24分27秒 | 美術館めぐり
2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0f9d395f23a784ea3f7bc649509156c1


特別出展作品
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》
1670年頃 
アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵、
アルフレッド・ペイト卿及びペイト夫人より寄贈(ペイト・コレクション)、
油彩、カンヴァス
72.2× 59.7㎝

(公式カタログより)

「ブランケルトは、落ちているのは本で、手紙の書き手が文案を練るときにしばしば参考にした流行の小型文案集の一つかもしれないとする。この場合には、女性は、いま書いている手紙の手本を見つけられず、自分の言葉で、自分の感情の赴くままに書くことを選んだことになろう(さまざまな程度の上品さと熱意を込めた恋文の手本が掲載されていたものの、手紙のマニュアル文はしだいに恋文の理想的な形あるいはスタイルと見なされなくなっていった。書く人にも、受け手にとっても、恋文は稀にみる個人的なものと考えられたのだ)。

 同じく注意を払っておくべきは、テーブルのこちら側の空いた椅子がいましがたまで誰かがそこに座っていたことを暗示する点だろう(背もたれの後ろ側に布を張っていない)この種の椅子は、この時代には、部屋のどこかに好きに置いていたわけではなく、使用しないときは壁際に寄せておくものだったからだ。いかにも気の利きそうな召使いだから、小物類が床に投げ捨てられたのでなかったら、椅子が使われたばかりでなかったなら、さっさと片付けていたことだろう。かくして想定された鑑賞者はこのちょっとした私的なドラマの共犯者となる。まさしく書簡文学の核となる考え方である。

 画中画の≪モーセの発見≫も間違いなく本作品の主題に関連する。その正確な意味は、多くの議論が交わされてきたものの、なお定かではない。同じ絵がフェルメールの≪天文学者≫(1668年、パリ、ルーヴル美術館)の背景により小さなサイズで描き込まれている。他のフェルメール作品の画中画と同様に、彼の家族が所有していたのだろう。旧約聖書に語られたモーセの生涯からとった多くのエピソードが取り上げられたが、最も頻繁に主題にされたのはモーセの発見だった。この物語(出エジプト記2;1-10)には、いかにモーセの母が息子をかごに隠し、すべてのヘブライ人の男の乳幼児を皆殺しにせよというファラオの布告から彼を守ろうとしたかが語られている。その子どもを見つけて、育て、モーセと名づけたのはファラオの娘-ヨセフスがテルムティスと呼んだこの娘は、17世紀のオランダ文学では美と哀れみの模範として賞賛されていたーであった。このよく知られた物語は、ウィーロックが最初に指摘したように、17世紀には、対立する諸派を一つにまとめる聖なる摂理と神の力のあかしと解された。つまり、画中画の意味するところは、諸派がともに追求する救済(想定されている作者の保護と健康を望む気持ち)と和解(それによって、神の聖なる企てに従えば、平穏さー本作品では家庭という設定のなかに例示されているーがもたらされる)という意味において、手紙の書き手に結びつく可能性があるのだ。」

                                     →続く










一応予約日が決定

2021年09月28日 00時23分47秒 | 日記
 インターネットから予約した総合病院の整形外科初診、10月の三連休明けの火曜日ということで返信がきました。朝早い、直通バスを時々みかけて今日の夕方も乗りましたが調べてみると平日の昼間数本走っているだけで、たまたまだったようです。通常は一回乗り換え。部屋を出るところから病院の入口まで全行程1時間弱でしょうか。朝のラッシュの時間帯の方がスムーズだし優先席空いていれば平気で坐れますが朝まで眠れない身としてはかなりきついです。変更を依頼しようか、でもまだ10月上旬になると言われた紹介状が9日までに出るかどうかわからない、9日までに出なかったら変更しなければならないので紹介状が確定してからの方がいいのかな、タイミングがむずかしいです。上旬っていつまでか、ググってみると自分の認識どおり1日から10日までの期間のことをいうとあります。三連休の場合、営業日で考えると1日前倒しになるとかあとになるのか、どちらなんでしょうね。医師の胸ひとつでしょうか。

 行きたいわけではありません。HPで担当医師の名前と簡単な経歴をみていたらそれだけで緊張してきました。これ以上知らない医者の顔をみるのはいやだし、ましてや手術などしたくないです。その先になんの希望もないのに、その間無収入になるのに、どうして手術などできるでしょうか。役所に保証人の相談いったり、整形外科の医師にしたらたいしたことではないでしょうがわたしには大変なことです。こんな険しい山を越えるだけの心のエネルギーはとうていもちません。無理なのでもう終わりなんです、わたし。

 手術、手術ということばだけで具体的な説明はなにも受けていませんがやっぱり手術しかないと言われたらどうすればいいのか。変形性股関節症、末期、手術、といったワードでググると民間のナントカ治療院の広告もたくさん出てきます。手術しかないと言われた人に最適ですとか書いてあるけれど何千円も払って悪くなることもあり得るしわからないのでこわいです。保険診療の対象範囲で定期的に施術を受けながら生き長らえていく道は全く閉ざされているのか。病院の広告もたくさん表示されて80歳、90歳になっても可能な手術ですと書いてあったりするのですが、体力と同時にそこまで心のエネルギーが持続するものなのか、わたしには無理です。役所に高額療養費の限度額証の申請にいって一般席的な話として保証人のことをきいてみようかとも思いますがそれだけの気力が今のところ湧いてきません。今週中にまたかかりつけ医と相談窓口に行かなければ。

 股関節もですが膝が痛みます。軟骨がなくなっていることでお皿がすべっていないと言われました。いつから摩耗は始まっていたのか。振り返れば小学生の頃から右膝が痛かった、走るのめちゃくちゃおそくて鉄棒の逆上がりもマット運動もハードルも全部できなかったのは股関節脱臼のせいだったのか。20歳の頃就業先の上司に斜めにお辞儀をしていると言われたことがありました。姿勢が悪いとか歩き方がおかしいとか、それは根性なしだから精神的にたるんでるからだ言われたことが20代の頃からたびたびありました。隔世遺伝により子宮の中ですでに脱臼していたと思われる股関節は精神論で正常になるものではなかったし、なくなった軟骨は精神論、根性論では戻りません。わからないよ、自分の乳幼児の時のことなんて自分では知りえない。親がおしえてくれなかったのだからどうすることもできない。今さらこの世にいない親を恨んでもどうしようもありません。

 土曜日はパートタイムの出勤予定なので眠れなくても眠剤のんで横にならなくてはいけません。10時半からでもいいとの話。明日時間を調べなくては、一応履歴書も用意しますと言ったので用意しなければなりません。こんな苦しい日々の終わりはいつどうやってくるのか。おせち料理とか年賀状の広告をみかけるようになりましたが、来年の自分を全く思い描くことができません。果たして生きているのか。次回の宙組公演、大劇場が2月-3月、東京は4月-5月、その前に東京に雪組、星組、花組、月組がくるから、だから死ぬわけにはいかないのだと。10月は久しぶりにミュージカルの舞台に立つ清史郎君にも会える。だから生きなければ・・・。