久しぶりの青空、窓を開け放って風を入れたいところですが、おそらく上階の匂いと音が入ってきてしまうし自分の音もきこえてしまうのだろうから控えます。11年前の今日は父が旅立った日でしょうか。不謹慎ですがよくわからなくなってしまいました。弔うということはありません。ただひとり思い出すだけ。夜半しいんとなると不安と絶望の波がおそいかかってきて、眠剤のんでも昨夜も眠れずまた5時半ごろまでもがき続けました。結果今まで最高に遅い、目が覚めたらお昼の1時、一度坐ったら体がなかなか動かず、ようやくお昼を食べ終わりました。
現行の社会保障制度が続けばの話ですが介護保険と年金受給開始の対象年齢までまだまだ何年もあるのにコロナ暗黒真っただ中に手術の告知。そんなんすぐ来る、年をとるのはあっという間ですむことではありません。気持ちの問題で、がんばれば、がんばれば、すでになくなってしまっていると言われた軟骨が戻ってくるわけでもありません。ほんとうに手術しかないのか、その先にどんな希望があるのか、手術しなくても治るという民間療法は当然保険診療の対象ではないので信憑性がわからないのに何万円も出せない、保証人の相談するために役所など行きたくない、生活がある、その間の部屋も心配。ほんとうに手術しかないのか、お弁当とお惣菜買いながら涙が流れてしまいます。
3か月前○○整形外科を受診したとき、「手術した方がいい、手術したらだいぶ楽になる」、それだけ言われて考えるよう言われても考えようがありませんでした。その場ですぐ紹介状を書いてくださいとは言えませんでした。結果手術するなら具体的にどうなのか、しないという道を選んだらどうなるのかを知るためにまた何週間も待たなければなりません。コロナの影響があるのか、ないのか。医師は病院というピラミッドの頂点にいるので誰も何も言えない、医師によって書類がおそかったり早かったりする、医師から無理なこと言われて事務方が困ることもあるということを思い出しました。そこにわたしが思う人の心はあるのか、わかりません。リハビリ専門のところでやれることはないとの診断なので、10月上旬までというだけでいつかわかりませんが医師が紹介状の準備できたら事務方に渡すだけなのでしょう。医師がそう言うのだから相談員ががわたしにそう言うしかないことはわかります。手術しかないにもして靴の中敷き百金のものではなくなんとかしたいと思ってもそこで相談できる余地は全くないということ。一般的には人口股関節へ置き換える手術をするのは早いとされる年齢で手術するしないの判断は医師によっても違うという話も○○整形外科でPTからききました。ほんとうに手術しかないのか、何件も病院をめぐらないとわからないものなのか、痛いままなにもできないのか、なんの治療も受けられないのか、そのうち自力歩行ができなくなってしまうのか。自分の体どうなってしまうのでしょう。
緊急性が高いことではないですが、身体的な欠損なので自分ほんとにもう終わりなんだなあと思います。こんな人生の罰ゲーム、無理です。寒暖差と夏の終わりに冷房疲れもあるのか、慢性的な疲労もあるのか、動くことが億劫になってきています。動かなくなったら本当にもう動けなくなってしまいそうです。火曜日は生活のために相談窓口、木曜日は最寄り駅からタクシー使ってくださいと言ってくれているパートタイマーの仕事の打ち合わせ。
宙組『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』、キキちゃんのカフェブレイクがYouTubeにアップされたし、明日の夜はシャーロキアンのみなさまによる宙組ホームズの魅力を語り尽くす会、雪組東京宝塚劇場も日生劇場の『ニュージーズ』も待っているから希望はありませんが、まだ死ぬわけにはいきません。動画をみている間だけでも現実を頭の中から追い出したい。なにもわからないままただ手術、手術という呪いの言葉、この状況下でわたしが手術すればよくなってまた可能性が拡がると思うことはむずかしい。手術云々の前に心がこわれてしまいそうです、内臓の方が先にやられてしまいそうです。ひとときでも忘れる、忘れる・・・。
現行の社会保障制度が続けばの話ですが介護保険と年金受給開始の対象年齢までまだまだ何年もあるのにコロナ暗黒真っただ中に手術の告知。そんなんすぐ来る、年をとるのはあっという間ですむことではありません。気持ちの問題で、がんばれば、がんばれば、すでになくなってしまっていると言われた軟骨が戻ってくるわけでもありません。ほんとうに手術しかないのか、その先にどんな希望があるのか、手術しなくても治るという民間療法は当然保険診療の対象ではないので信憑性がわからないのに何万円も出せない、保証人の相談するために役所など行きたくない、生活がある、その間の部屋も心配。ほんとうに手術しかないのか、お弁当とお惣菜買いながら涙が流れてしまいます。
3か月前○○整形外科を受診したとき、「手術した方がいい、手術したらだいぶ楽になる」、それだけ言われて考えるよう言われても考えようがありませんでした。その場ですぐ紹介状を書いてくださいとは言えませんでした。結果手術するなら具体的にどうなのか、しないという道を選んだらどうなるのかを知るためにまた何週間も待たなければなりません。コロナの影響があるのか、ないのか。医師は病院というピラミッドの頂点にいるので誰も何も言えない、医師によって書類がおそかったり早かったりする、医師から無理なこと言われて事務方が困ることもあるということを思い出しました。そこにわたしが思う人の心はあるのか、わかりません。リハビリ専門のところでやれることはないとの診断なので、10月上旬までというだけでいつかわかりませんが医師が紹介状の準備できたら事務方に渡すだけなのでしょう。医師がそう言うのだから相談員ががわたしにそう言うしかないことはわかります。手術しかないにもして靴の中敷き百金のものではなくなんとかしたいと思ってもそこで相談できる余地は全くないということ。一般的には人口股関節へ置き換える手術をするのは早いとされる年齢で手術するしないの判断は医師によっても違うという話も○○整形外科でPTからききました。ほんとうに手術しかないのか、何件も病院をめぐらないとわからないものなのか、痛いままなにもできないのか、なんの治療も受けられないのか、そのうち自力歩行ができなくなってしまうのか。自分の体どうなってしまうのでしょう。
緊急性が高いことではないですが、身体的な欠損なので自分ほんとにもう終わりなんだなあと思います。こんな人生の罰ゲーム、無理です。寒暖差と夏の終わりに冷房疲れもあるのか、慢性的な疲労もあるのか、動くことが億劫になってきています。動かなくなったら本当にもう動けなくなってしまいそうです。火曜日は生活のために相談窓口、木曜日は最寄り駅からタクシー使ってくださいと言ってくれているパートタイマーの仕事の打ち合わせ。
宙組『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』、キキちゃんのカフェブレイクがYouTubeにアップされたし、明日の夜はシャーロキアンのみなさまによる宙組ホームズの魅力を語り尽くす会、雪組東京宝塚劇場も日生劇場の『ニュージーズ』も待っているから希望はありませんが、まだ死ぬわけにはいきません。動画をみている間だけでも現実を頭の中から追い出したい。なにもわからないままただ手術、手術という呪いの言葉、この状況下でわたしが手術すればよくなってまた可能性が拡がると思うことはむずかしい。手術云々の前に心がこわれてしまいそうです、内臓の方が先にやられてしまいそうです。ひとときでも忘れる、忘れる・・・。