たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『アガサ・クリスティー自伝』(下)_「第八部二度目の春」より

2021年09月22日 17時05分46秒 | 本あれこれ


「わたしの人生を振り返ってみる時、最も鮮やかに、最も生き生きと心に残っているものは、そこへわたしが行ったことのある場所である。突然楽しいスリルが心中に起る・・・一本の木、一つの丘、どこかに隠れている白い家、運河のわき、遠い山の形。時には、あれはいつだったか、どこだったかとちょっと考えることがある。すると、情景がはっきりしてきて、それがわかる。

 人のことはあまりよく覚えられない。友人たちはわたしを大切にしてくれるが、単に会っただけで好きになった人たちのことは、ほとんどすぐに心から消えてしまうようである。「わたしは人の顔は決して忘れない」などとはとてもいえたものではない。実をいえば、「わたしは人の顔が、決して覚えられない」といった方がいい。だが、場所のことはしっかりと心に残っている。前にたった一度しか行ったことがない所でも、それから五、六年後に再び訪れると、どの道を歩いたらいいかちゃんとわかるのがしばしばである。」


(『アガサ・クリスティー自伝(下)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)

『アガサ・クリスティー自伝』(上)_第三部成長するより
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/bc891c226a4da4d371fe5a4f51a80de8

2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(1)

2021年09月22日 01時06分37秒 | 美術館めぐり
特別出展作品
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》
1670年頃 
アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵、
アルフレッド・ペイト卿及びペイト夫人より寄贈(ペイト・コレクション)、
油彩、カンヴァス
72.2× 59.7㎝

(公式カタログより)

「左側の壁に設置された背の高い窓、その窓からの光に照らされた部屋、その一隅に、黄金色のドレスに身を包み、白い頭巾をかぶり、白い袖を出し、真珠のイヤリングをつけ、東洋の絨毯の掛かったテーブルに向かって座り、手紙を書く女。彼女の左後ろには、物静かで、円柱のような姿の彼女は、腕組みをして、脇の窓の外をじっと見詰めながら、待っている。女主人の方は、彼女とは対照的に、熱心に自分の仕事に専念する。洗練された室内には、左側にオリーブ色がかった緑のカーテン、タイルで縁を飾った黒と白の大理石の床、後ろの壁には、黒檀の額に入った≪モーセの発見≫が見える。鉛の桟で仕切ったガラス窓の前には薄いレースの白いカーテンが下がる。光の照射と反射は、一番奥の下の鎧戸を閉めることで、注意深く配分され、絵画の幾何学的特性は、他のフェルメール作品と同様に、空間を明確に支え、位置づけるため、綿密に考え抜かれている。たとえば、テーブルの上端から絵の下端までの距離は、画中画の黒檀の額の下側から絵の上端までの距離に等しい。透視図法に関しても、テーブルの上面より僅かに高めの、比較的低い視点が選ばれている。その結果、人物には堂々たる雰囲気が加わり、空間の高さも強調されることになった。

 情景を活気づけ、情景の潜在的な意味に関連する小さな細部が一つある。右下隅の床の上の手紙と、棒状の封蠟と、明るい赤の封印と、小型の本(blankert)とも「カヴァーのくしゃくしゃになった手紙」(Vergara)ともとれる物など、小さな静物のことだ。(くしゃくしゃになった手紙」という解釈には、それが女性の受け取った手紙か、あるいは彼女がいま夢中になってペンを走らせている手紙の最初の草稿だという含みがある、手紙は、17世紀には布あるいは紙の封筒に入れられることもあったが、たいていは単に折りたたみ、封蝋を押し、送信された。時には縒(よ)り合わされたりもした。いずれにせよ、手紙と書簡に関わる小物が床に打ち捨てられているという事実は、描かれた室内の静穏な雰囲気を乱すような何かを示唆する。」

                                       →続く