たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』より-「絵画芸術」(3)

2021年09月02日 00時39分11秒 | 美術館めぐり
2008年『フェルメール展』より-「絵画芸術」(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/11effaddb89f73955d8d35d0079e11a9

ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》
1666-1668年頃 
ウィーン、美術館史美術館、油彩、カンヴァス
120× 100㎝

(公式カタログより)

「しかし、デ・ホーホ、デ・ウィッテ、ハブリエル・メッツーのような、他の多くの風俗画家や他の領域を専門とする画家と同様に、フェルメールは若い時期には物語画を描いていたが、本作品が制作された円熟期には、風俗画に力を注いでいた。そこでスライテルは、果たして歴史がこの絵画の中心的な主題であるかどうか、疑問を提示し、代わって本作品は主にクリオの他の属性、すなわち絵画芸術に関連する名声や栄光や栄誉に言及していると主張した。カレル・ファン・マンデルは、クリオは栄誉への熱望、あるいは野心や名声を象徴すると主張し、それゆえ彼女は「学問へのいざない」であると結論づける。リーバの『イコノロギア』の1664年のオランダ語版において、ディルク・ピーテルスゾーン・ペルスは、クリオの名前を「栄誉ー名声」と翻訳した。つまり、画中の画家は女神に触発され、自らの芸術の名声と栄誉を明らかにする図像を創造し、自らの名声を不朽のものにしようとしているのだ。フィリップス・アンゲルの「絵画芸術礼賛」は次のように言明する。「芸術を介して、われわれは死すべき運命の暴食から自らを救い出し、すべてを抑圧するもの・死に立ち向かって勝利を勝ち取るべきである。さすれば、われわれは一つの世紀から次の世紀へと、衰退することなく繁栄するだろう」。そして彼は最後に、芸術は死すべき運命を克服するという古典的考え、あるいは錯視を誘うような静物画にしばしば明記されてきたように、「芸術は永く、人生は短い」という昔ながらの格言を提示するのである。

研究者の中には、本作品はデルフトの聖ルカ組合の新しい建物のために描かれたのかもしれないと主張する者もいる。しかしフェルメールは本作品が制作される以前にも以後にも同組合の理事を務めていたのだから、彼が組合と仲たがいして、生涯の最後まで本作品を所有し続けるはめになったというのはありそうもない。一方、本作品は特別なパトロンや組合の仲間のために描かれたのではなく、自分自身のために描いだのだろう、アトリエにとどめおいて、「自らの芸術の際立った手本」あるいは「実物見本」として訪れる好事家に見せたのだろうと推論する研究者もいる。フランス人外交官バルタザール・ド・モンコニーが1663年8月に訪れた際、フェルメールは見せられる絵画を全く持ち合わせていなかったが、ド・モンコニーによれば、彼の芸術作品はすでに600ギルダーという高値をとっていた。」

                                          →続く