「わたしは時々思うのだが、この学校教育をつづけて受けていたら、わたしはどういうことになっていたろうかと考える。わたしは段々進歩していったに違いないと思われるし、またすっかり算数のとりこになっていたろうとも思える・・・いつもわたしを魅了していた科目だったから。とすると、わたしの人生は確実に全く違ったものになっていただろう。きっとわたしは三流か四流ぐらいの数学者になって、まことに幸せな暮らしをしていたかもしれない。おそらく本など一つも書くことはなかったであろう。数学と音楽さえあればわたしは十分に満足だった。この二つにわたしはすっかり専心して、空想の世界などは閉めだしてしまっていただろう。
もっとも、よく考えてみると、人はなろうとしているものになっていると思う。人は幻想にふけって、「もしこれこれのことがあったら、自分はこれこれのことをしただろう」とか、「もし自分が誰それと結婚していたら、自分の一生は全く違ったものとなっていたと思う」などという。だが、人は常に何とかして、自分の道を自分の型に当てはめてみつけだすものである。というのは、ある型、自分の人生の自分の型に従っていることは確かなのだから。人は自分の型を飾りたてることもできれば、ぞんざいにすることもできるが、それは自分の型であって、それに従っている限り調和というものがわかり、心の安らぎが自然に得られるものである。」
第三部成長するより
(『アガサ・クリスティー自伝(上)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)
もっとも、よく考えてみると、人はなろうとしているものになっていると思う。人は幻想にふけって、「もしこれこれのことがあったら、自分はこれこれのことをしただろう」とか、「もし自分が誰それと結婚していたら、自分の一生は全く違ったものとなっていたと思う」などという。だが、人は常に何とかして、自分の道を自分の型に当てはめてみつけだすものである。というのは、ある型、自分の人生の自分の型に従っていることは確かなのだから。人は自分の型を飾りたてることもできれば、ぞんざいにすることもできるが、それは自分の型であって、それに従っている限り調和というものがわかり、心の安らぎが自然に得られるものである。」
第三部成長するより
(『アガサ・クリスティー自伝(上)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)