足の疲れがきている日曜日、色々とありますが仕事がきついので自分のエネルギーがそがれるようなことは書けず、観劇日記をぼちぼちと書ければということで、もう少しギャツビーのことを書いてみたいと思います。
「『グレート・ギャツビー』の舞台となるアメリカの1920年年代は第一次世界大戦後の社会で、「狂騒の20年代」と称され、また「ジャズ・エイジ」とも呼ばれた「光と影」を持つ時代。
当時のアメリカでは物価が上昇し、株価も急上昇。またニューヨークなどの大都市や開発ブームで沸くフロリダなどへ投機目的で金がつぎ込まれ、土地価格も上がった。だからニューヨーク・ウォール街の株ビジネスはこの時代を担う重要な仕事。作品の語り手ニック・キャラウエイが証券会社で働いているのも、時代を反映させた設定と言えるのだ。
アメリカのこの10年間は「アメリカ的生活が出来上がった時代」と言われる。フォード社が「組み立てライン」を導入しT型フォード」を開発したことで、大量生産且つ低価格で、大衆が自家用車を購入できるようになり、アメリカは一気に車社会に突入した。だが道路整備や交通ルールは追いつかず、ストーリィにも関わる交通事故も起きる背景は理解されているとよい。
土地投機はニューヨークのビル群建設に拍車をかけ、摩天楼を代表するクライスラービル、エンパイア・ステート・ビルなどの着工が続く。通信販売制度も始まり、電力がガスや石炭にかわるエネルギーとなる。メディアはラジオ放送が始まり、レコードが作られたがレコードは出始め。LPでもEPでもなく、蓄音機で聞くSPレコードの時代、それが舞台でも登場する。
ハリウッド映画産業は傘下の映画館を次々と街に作り、一方ニューヨークではミュージカルがさかんになる。現在のミュージカルに貢献した伝説のレヴューのプロデューサー、フローレンツ・ジーグフェルドが作った大人気の「踊り子」たちのレヴュー「ジークフェルド・フォーリーズ」は、女の子たちの憧れの的だった。
そして1920年代になると、戦時中、男性に代わり職場で活躍した女性たちに参政権が与えられ、社会進出もめざましく大学進学率も上がった。ここで登場した新たな若い女性たちが「フラッパー」で、「女性はかくあるべき」という古い慣習を排除しファッションから行動まで、自由にふるまった。断髪、口紅、スカート丈も袖丈も短くして肌の露出を増やし、煙草や酒も飲み、自由恋愛を楽しんだ。古い世代は眉をひそめたが、そんなことはおかまいなし。この女の子たちを世に知らしめたのが、何を隠そう『グレート・ギャッツビー』の作者フィッツジェラルドで、数々の短編を書き、言うまでもなくこの作品にも登場する。」
公演プログラムより引用しました。アメリカが生み出した大量生産による均一化・効率化の波は、日本の高度経済成長期に押し寄せ労働の在り方を変えていきました。これがどうだったのかということを今さら考えても仕方ありませんが、さらに技術が進んできた現在、人間にかわってコンピューターとロボットが仕事をする時代はもうすぐそこまで来ています。それでもなおかつ生身の人間にしかできない仕事だけが生き残っていくのでしょうか。アメリカン・ドリームという言葉がありました。お金とモノをたくさん手に入れることが豊かなことだと考えれていたころのお話。ほんの一部のお金持ちとそのほか大勢の貧困層を生み出したころのお話。そんな中でギャツビーという男性は、歯がゆくなるぐらい不器用な生き方しかできなかったピュアな奴だなあと思います。すべてはデイジーのため、生まれもった身分格差を乗り越えてデイジーに似合う男になるため、裏社会で富と名声を手に入れながら、最後はデイジーの罪をかぶったまま、事実を告げることなく死んでいく。毒にまみれていそうで芯はまみれていなかった、いちばんかっこいい生き様と言えるのかもしれません。エピローグで少年時代のギャッツビーが登場し、毎日真面目に勉強する姿が描かれる場面、ギャツビーがピュアすぎて涙が出そうでした。演じていた石川新太さん、きれいな少年姿が似合い過ぎていて目を引きました。秋の『レディ・ベス』ではロビンの仲間達の一人を演じていました。今後に期待大。しがない証券マンなのに、デイジーのいとこで、たまたまギャツビーの隣に住んだことが縁となりギャツビーに惹かれ、共感していくニック・キャラウエイ。この舞台では語り手ではありませんでしたが、ギャツビーの言葉にしないところを客席に伝えていくような役割を担っていて、等身大の田代さんが素敵でした。あとエリザベートでトート・ダンサーのリーダーだった乾直樹さんが、クラブでギャツビーと張り合ったり、お鬚つけたり、牧師さんやったりしているのがなんだか不思議な感じでした。いずれもよくお似合い。
貸切公演の挨拶、5月13日(土)のイープラスのイーってなに?で、『エリザベート』の時はエリザベートのイー(E)って言ってたんだよ、っていう井上さんと田代さんのやりとり。同じ大学の出身で共演が続いたお二人の信頼関係は、井上芳雄ByMySelfのライブビューイングの画面からも伝わってきたあったかい気持ちになりました。27日(土)は半館貸切だったかな。挨拶の時井上さん、どこで半分に分かれているんだろうって不思議そうな発言があったと思います。イープラスの宴会用の垂れ幕を借りてきたのだったかな、舞台上で広げてなにかキャッチコピーを考えましょうと。どういう流れだったか忘れてしまいましたが、井上さんが客席には大人しかいないよね、って言っていたら一階席の先方にお母さんと来ていた女の子がいたみたいで泣き出しちゃって、井上さんが「おじさんが泣かせちゃったの、ごめんね」みたいな感じで謝る場面もあって劇場は笑いの渦。井上さんのトークに、作品の余韻がいい意味でぶっ飛んだ楽しいひとときでした。エリザベートの観劇日記でも書いていますが、井上さんをルドルフデビューから拝見しているので、ここまで成長されたことに時の流れをしみじみと感じました。
11月にはクリエであしながおじさんの舞台を拝見。同じ、スーツを着こなす背中が全く違っていて、ギャツビーもあしながおじさんも、どちらも役柄そのものでちゃんと井上芳雄。すごいミュージカル役者になんたもんだとあらためて思いました。ずっと舞台が続いていていつ休んでいるんだろうと心配になるぐらい忙しい井上さん。今度はどんな舞台で出会えるかな。あしながおじさんの観劇日記もいつか書けるといいなと思います。
明日からまた厳しい一週間。金曜日はタカラヅカスペシャルライブビューイングのために休みを取ります。水曜日が定例のシステムの締日、事務処理を間に合わせなければならないのにエビデンスを揃えるのがすごく大変。木曜日は冷たい風が吹く中を迷いながらまた訪問に行かなければなりません。きついね。一日一日でなんとかやっていくしかありません。4日稼働と5日稼働は全く違うので少しだけ気持ち楽。タカラヅカスペシャルライブビューイングまであと4日だよ、なんとか、なんとかね。
そろそろまた帰りたいけど帰りたくない、ちっそくしそうな部屋に帰らなければなりません。引きこもりって、外に出た時さらされるストレスと付き合える力がなく、それを理由に最低生活の保障があるから可能なんだろうなあって思うとなんとも微妙な気持ちになったりするこの頃、というのは余談。普通が一番なんだから、普通がむずかしいんだから、普通がいちばんとうといんだから、蘭ちゃんの笑顔と素敵なダンスを思い出しながら、ちっそくしそうな一週間をなんとか乗り切っていくべし!!
「『グレート・ギャツビー』の舞台となるアメリカの1920年年代は第一次世界大戦後の社会で、「狂騒の20年代」と称され、また「ジャズ・エイジ」とも呼ばれた「光と影」を持つ時代。
当時のアメリカでは物価が上昇し、株価も急上昇。またニューヨークなどの大都市や開発ブームで沸くフロリダなどへ投機目的で金がつぎ込まれ、土地価格も上がった。だからニューヨーク・ウォール街の株ビジネスはこの時代を担う重要な仕事。作品の語り手ニック・キャラウエイが証券会社で働いているのも、時代を反映させた設定と言えるのだ。
アメリカのこの10年間は「アメリカ的生活が出来上がった時代」と言われる。フォード社が「組み立てライン」を導入しT型フォード」を開発したことで、大量生産且つ低価格で、大衆が自家用車を購入できるようになり、アメリカは一気に車社会に突入した。だが道路整備や交通ルールは追いつかず、ストーリィにも関わる交通事故も起きる背景は理解されているとよい。
土地投機はニューヨークのビル群建設に拍車をかけ、摩天楼を代表するクライスラービル、エンパイア・ステート・ビルなどの着工が続く。通信販売制度も始まり、電力がガスや石炭にかわるエネルギーとなる。メディアはラジオ放送が始まり、レコードが作られたがレコードは出始め。LPでもEPでもなく、蓄音機で聞くSPレコードの時代、それが舞台でも登場する。
ハリウッド映画産業は傘下の映画館を次々と街に作り、一方ニューヨークではミュージカルがさかんになる。現在のミュージカルに貢献した伝説のレヴューのプロデューサー、フローレンツ・ジーグフェルドが作った大人気の「踊り子」たちのレヴュー「ジークフェルド・フォーリーズ」は、女の子たちの憧れの的だった。
そして1920年代になると、戦時中、男性に代わり職場で活躍した女性たちに参政権が与えられ、社会進出もめざましく大学進学率も上がった。ここで登場した新たな若い女性たちが「フラッパー」で、「女性はかくあるべき」という古い慣習を排除しファッションから行動まで、自由にふるまった。断髪、口紅、スカート丈も袖丈も短くして肌の露出を増やし、煙草や酒も飲み、自由恋愛を楽しんだ。古い世代は眉をひそめたが、そんなことはおかまいなし。この女の子たちを世に知らしめたのが、何を隠そう『グレート・ギャッツビー』の作者フィッツジェラルドで、数々の短編を書き、言うまでもなくこの作品にも登場する。」
公演プログラムより引用しました。アメリカが生み出した大量生産による均一化・効率化の波は、日本の高度経済成長期に押し寄せ労働の在り方を変えていきました。これがどうだったのかということを今さら考えても仕方ありませんが、さらに技術が進んできた現在、人間にかわってコンピューターとロボットが仕事をする時代はもうすぐそこまで来ています。それでもなおかつ生身の人間にしかできない仕事だけが生き残っていくのでしょうか。アメリカン・ドリームという言葉がありました。お金とモノをたくさん手に入れることが豊かなことだと考えれていたころのお話。ほんの一部のお金持ちとそのほか大勢の貧困層を生み出したころのお話。そんな中でギャツビーという男性は、歯がゆくなるぐらい不器用な生き方しかできなかったピュアな奴だなあと思います。すべてはデイジーのため、生まれもった身分格差を乗り越えてデイジーに似合う男になるため、裏社会で富と名声を手に入れながら、最後はデイジーの罪をかぶったまま、事実を告げることなく死んでいく。毒にまみれていそうで芯はまみれていなかった、いちばんかっこいい生き様と言えるのかもしれません。エピローグで少年時代のギャッツビーが登場し、毎日真面目に勉強する姿が描かれる場面、ギャツビーがピュアすぎて涙が出そうでした。演じていた石川新太さん、きれいな少年姿が似合い過ぎていて目を引きました。秋の『レディ・ベス』ではロビンの仲間達の一人を演じていました。今後に期待大。しがない証券マンなのに、デイジーのいとこで、たまたまギャツビーの隣に住んだことが縁となりギャツビーに惹かれ、共感していくニック・キャラウエイ。この舞台では語り手ではありませんでしたが、ギャツビーの言葉にしないところを客席に伝えていくような役割を担っていて、等身大の田代さんが素敵でした。あとエリザベートでトート・ダンサーのリーダーだった乾直樹さんが、クラブでギャツビーと張り合ったり、お鬚つけたり、牧師さんやったりしているのがなんだか不思議な感じでした。いずれもよくお似合い。
貸切公演の挨拶、5月13日(土)のイープラスのイーってなに?で、『エリザベート』の時はエリザベートのイー(E)って言ってたんだよ、っていう井上さんと田代さんのやりとり。同じ大学の出身で共演が続いたお二人の信頼関係は、井上芳雄ByMySelfのライブビューイングの画面からも伝わってきたあったかい気持ちになりました。27日(土)は半館貸切だったかな。挨拶の時井上さん、どこで半分に分かれているんだろうって不思議そうな発言があったと思います。イープラスの宴会用の垂れ幕を借りてきたのだったかな、舞台上で広げてなにかキャッチコピーを考えましょうと。どういう流れだったか忘れてしまいましたが、井上さんが客席には大人しかいないよね、って言っていたら一階席の先方にお母さんと来ていた女の子がいたみたいで泣き出しちゃって、井上さんが「おじさんが泣かせちゃったの、ごめんね」みたいな感じで謝る場面もあって劇場は笑いの渦。井上さんのトークに、作品の余韻がいい意味でぶっ飛んだ楽しいひとときでした。エリザベートの観劇日記でも書いていますが、井上さんをルドルフデビューから拝見しているので、ここまで成長されたことに時の流れをしみじみと感じました。
11月にはクリエであしながおじさんの舞台を拝見。同じ、スーツを着こなす背中が全く違っていて、ギャツビーもあしながおじさんも、どちらも役柄そのものでちゃんと井上芳雄。すごいミュージカル役者になんたもんだとあらためて思いました。ずっと舞台が続いていていつ休んでいるんだろうと心配になるぐらい忙しい井上さん。今度はどんな舞台で出会えるかな。あしながおじさんの観劇日記もいつか書けるといいなと思います。
明日からまた厳しい一週間。金曜日はタカラヅカスペシャルライブビューイングのために休みを取ります。水曜日が定例のシステムの締日、事務処理を間に合わせなければならないのにエビデンスを揃えるのがすごく大変。木曜日は冷たい風が吹く中を迷いながらまた訪問に行かなければなりません。きついね。一日一日でなんとかやっていくしかありません。4日稼働と5日稼働は全く違うので少しだけ気持ち楽。タカラヅカスペシャルライブビューイングまであと4日だよ、なんとか、なんとかね。
そろそろまた帰りたいけど帰りたくない、ちっそくしそうな部屋に帰らなければなりません。引きこもりって、外に出た時さらされるストレスと付き合える力がなく、それを理由に最低生活の保障があるから可能なんだろうなあって思うとなんとも微妙な気持ちになったりするこの頃、というのは余談。普通が一番なんだから、普通がむずかしいんだから、普通がいちばんとうといんだから、蘭ちゃんの笑顔と素敵なダンスを思い出しながら、ちっそくしそうな一週間をなんとか乗り切っていくべし!!