ドイツ・ロマンティック街道とスイスアルプス・パリ9日間の旅。
順路通りに書けていないのでわかりづらいですが、日程としては下記の続き。
2015年5月24日の記事。
旅の思い出写真_ロマンティック街道・ヴュルツブルク。
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/365106718453207fc025f76bef4211c2
旅の三日目。ライン川クルーズを楽しみ古城ホテルに宿泊した翌日。2007年10月22日。ロマンティック街道の出発点・ヴュルツブルク市内のマリエンベルク要塞と世界遺産のレジデンツを見学しました。
なんだか本当にようやくこうして少し落ち着いて振り返ることができるようになってきたのかなあという感じです。でもまだまだぐちゃぐちゃですけどね・・・。
この頃はデジカメを持っていなかったので写真少ないし、あっても使い捨てカメラで撮ったものなので全くたいしたことありませんが、振り返りながらふとフランクフルトの空港からバスで最初の宿泊地バート・クロイツナハというホテルに着くまでの道のり。高速道路沿いの黄葉がキラキラと輝くように美しかったことを思い出しました。空は晴れ渡っていました。こんなにきれいに色づいた黄葉にタイミングよく出会えるのは珍しいことだという添乗員さんの説明があったと思います。ホテルに到着したあと、近くをひとりでぶらぶらとしていたら公園がありました。夕暮れの公園もまた黄葉で美しく輝いていました。公園中に黄色い絨毯が広がっていて、歩くとカサコソと深い秋の音。10月下旬でしたが、ヨーロッパなので日本の12月半ばぐらいの気温。ぐっと寒くって震えながらもわたしの心は静かに浮き立っていました。ようやくこうして旅に来ることができた喜びに満たされていました。ここまでの長かった道のりを思うと、鮮やかな黄葉に包まれながら涙が出るような心持ちでした。写真はありませんが、わたしの心のアルバムに、公園を一人で歩いた幸せな時間は刻まされています。ほんとうに幸せでした。最初の夜はツアーに食事が組み込まれていませんでした。ホテル周辺の店でもホテルでも食事に入るだけの勇気がなく、レトルトなども持って行かなかったので空腹のまま眠ることになったのが失敗。その後旅に出るときは湯沸かし器とレトルト食品は必ず持参するようになりました。
マリエンベルク要塞。入口の門。見張り番の顔にぎょっとします。

世界遺産のレジデンツ。

お仲間が映っちゃってますが、顔が出ていないから大丈夫かな。
「ロマンティック街道の北の起点ヴュルツブルクは、マイン川の両岸に開けた教会の多い古都である。8世紀から司教座がおかれ、権勢をふるった歴代の司教領主のもとで町は発展した。
おいしいフランケンワインのふるさととしても知られ、ヴュルツブルク中央駅の手前の線路ぎわにまでぶどう畑がひろがっている様子が見られる。
日本とのつながりも古い。長崎の出島で活躍した医師シーボルトは、この町に1796年に生まれ、医学を学んだ後、鎖国中の日本に赴任した。
1582年創立のヴュルツブルク大学は、過去に5人のノーベル賞受賞者を出している。なかでも1895年にエックス線を発見し、第1回ノーベル物理学賞を受けたレントゲンの名は世界中に知れ渡っている。」
(『地球の歩き方―南ドイツ―’07-’08』より)。
ヴュルツブルクの街並みの写真を一枚ウィキペディアよりお借りしました。

ドイツ名には「ブルク」がよく出てきます。
モーツァルト生誕の地はザルツブルク。
ザルツ=塩 ブルク=砦・城、という意味だそうです。
現在『エリザベート』でフランツを演じている田代さんがブログで書かれています。
田代万里生オフィシャルブログ、「フランツ₌ヨーゼフ紀行④日目」より。
http://ameblo.jp/mario-capriccio/page-8.html
順路通りに書けていないのでわかりづらいですが、日程としては下記の続き。
2015年5月24日の記事。
旅の思い出写真_ロマンティック街道・ヴュルツブルク。
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/365106718453207fc025f76bef4211c2
旅の三日目。ライン川クルーズを楽しみ古城ホテルに宿泊した翌日。2007年10月22日。ロマンティック街道の出発点・ヴュルツブルク市内のマリエンベルク要塞と世界遺産のレジデンツを見学しました。
なんだか本当にようやくこうして少し落ち着いて振り返ることができるようになってきたのかなあという感じです。でもまだまだぐちゃぐちゃですけどね・・・。
この頃はデジカメを持っていなかったので写真少ないし、あっても使い捨てカメラで撮ったものなので全くたいしたことありませんが、振り返りながらふとフランクフルトの空港からバスで最初の宿泊地バート・クロイツナハというホテルに着くまでの道のり。高速道路沿いの黄葉がキラキラと輝くように美しかったことを思い出しました。空は晴れ渡っていました。こんなにきれいに色づいた黄葉にタイミングよく出会えるのは珍しいことだという添乗員さんの説明があったと思います。ホテルに到着したあと、近くをひとりでぶらぶらとしていたら公園がありました。夕暮れの公園もまた黄葉で美しく輝いていました。公園中に黄色い絨毯が広がっていて、歩くとカサコソと深い秋の音。10月下旬でしたが、ヨーロッパなので日本の12月半ばぐらいの気温。ぐっと寒くって震えながらもわたしの心は静かに浮き立っていました。ようやくこうして旅に来ることができた喜びに満たされていました。ここまでの長かった道のりを思うと、鮮やかな黄葉に包まれながら涙が出るような心持ちでした。写真はありませんが、わたしの心のアルバムに、公園を一人で歩いた幸せな時間は刻まされています。ほんとうに幸せでした。最初の夜はツアーに食事が組み込まれていませんでした。ホテル周辺の店でもホテルでも食事に入るだけの勇気がなく、レトルトなども持って行かなかったので空腹のまま眠ることになったのが失敗。その後旅に出るときは湯沸かし器とレトルト食品は必ず持参するようになりました。
マリエンベルク要塞。入口の門。見張り番の顔にぎょっとします。

世界遺産のレジデンツ。

お仲間が映っちゃってますが、顔が出ていないから大丈夫かな。
「ロマンティック街道の北の起点ヴュルツブルクは、マイン川の両岸に開けた教会の多い古都である。8世紀から司教座がおかれ、権勢をふるった歴代の司教領主のもとで町は発展した。
おいしいフランケンワインのふるさととしても知られ、ヴュルツブルク中央駅の手前の線路ぎわにまでぶどう畑がひろがっている様子が見られる。
日本とのつながりも古い。長崎の出島で活躍した医師シーボルトは、この町に1796年に生まれ、医学を学んだ後、鎖国中の日本に赴任した。
1582年創立のヴュルツブルク大学は、過去に5人のノーベル賞受賞者を出している。なかでも1895年にエックス線を発見し、第1回ノーベル物理学賞を受けたレントゲンの名は世界中に知れ渡っている。」
(『地球の歩き方―南ドイツ―’07-’08』より)。
ヴュルツブルクの街並みの写真を一枚ウィキペディアよりお借りしました。

ドイツ名には「ブルク」がよく出てきます。
モーツァルト生誕の地はザルツブルク。
ザルツ=塩 ブルク=砦・城、という意味だそうです。
現在『エリザベート』でフランツを演じている田代さんがブログで書かれています。
田代万里生オフィシャルブログ、「フランツ₌ヨーゼフ紀行④日目」より。
http://ameblo.jp/mario-capriccio/page-8.html