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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

なんとか無事に・・・

2016年09月12日 22時01分38秒 | 日記
 なんとか無事にせまい我が部屋へ到着。荷物をすべて元あった場所へ。今回も不安神経症との闘いをなんとかクリア。お昼寝で睡眠不足を解消したあとようやくタクシー呼んで駅へと向かいました。(徒歩だと30分ぐらいかかってしまうので・・・)。ローカル線の駅から新幹線へ乗り換え。ローカル線の駅にはエレベーターもエスカレーターもありませんでした。あちゃ。長い階段をスーツケース、一段ずつおろしてたら高校生の男の子が、「持ちましょうか」と声かけてくれました。喜んで言葉に甘えました。二輛しかない電車の、同じ車輛のの、向かい側のシートに座っていた男の子ような気がします。こういう若者がいる日本、まだ大丈夫なのかな。少しすがすがしい気持ちになりました。ありがとさん、おばちゃんは助かりました。とにかくムシムシ。郷里はお昼近くに一瞬土砂降り。こちらに戻ってきたら薄雲りのムシムシ。もう少し家にいたかったような、でも自分の部屋も心配なような。なにも今のとってもいやな仕事を無理してやらずとも、このまま家にいたいなあ、っていう想いがよぎりました。年末までがんばれたらまた年末に。そこまでがんばれなくても仕方ない。家に帰って遺品整理と自分自身の断捨離を進めたいです。ほんと、まだまだお別れすべきものがたくさん。孤独死予備軍とかまだ考えない。いつどこで何があるのかわからないのだから考えても仕方ない。

 明日から四日間か。就労場所に、お土産買ってこなかったので最寄りのデパートであられの小袋。人数分買いました。遊びにいったわけじゃないけど、他の人たちは遊びに行くために休んだらお土産買ってくるのでとりあえずもっていかないわけにはいかなさそうな・・・。どうなんでしょうかね。頭ボケて最初はやれないだろうなあ。シフト表まだないのでわかりませんがどのみち接遇。パソコンは一度クリックしてしまうと戻ることはできずどこでどうなるのかわからないので恐ろしいですがいきなりパソコン+接遇かもしれません。大きな声をはりあげなければならないポジションかもしれません。大草原の小さな家への旅でアメリカから帰国した翌日吐きそうになりながらも仕事できたのは慣れたカイシャと慣れた仕事だったからなんだとあらためて思い知らされているしだい。ボケた頭でメールチェックしながら取り戻していくことができました。そういうことが全くないのできついと思います。ふんばれ、わたし・・・。

帰郷

2016年09月12日 11時44分25秒 | 祈り
一昨日(土曜)の夕方新幹線で帰郷、昨日(日曜)、父の七回忌が無事終わりました。弟と二人だけなのでこじんまりと気疲れもありませんでした。父の旅立ちが2010年9月17日、妹の旅立ちが1994年9月21日。両日ともすごく蒸し暑かったことを思い出します。9月の半ばになろうとしていますがまだまだ暑いということです。朝晩は秋の虫の音が聞こえてきて涼しいですが昼間はムシムシ。明日から出勤か、と思うとそれだけで頭の中が緊張してしまい実家でもあまり眠れませんでした。今朝も出勤日のように6時前に目がさめてしまったまま眠れませんでした。夜更かししていないのでウルトラ睡眠不足ではありませんがまた新幹線で移動するだけの気力がまだわいてきません。下痢してしまうしすごく喉が渇くのでよくないとわかりつつ、就寝前に眠れなかったらどうしようの不安から少量ですがワインを飲まずにはいられません。勝手知ったるカイシャの慣れた仕事で休み明けのボケた頭でも少しずつ立ち上げていってやれるという業務ではないので頭の片隅がずっと緊張しています。つまらないし細かいし、求人票とかい離が大きいし、外から上から横から怒られどおしの、人ってなんて勝手なんだろうっていうなかで地下室でやっていくの閉塞感と行き詰まりでおかしくなりそう。意味のないセキュリティかけられたカイシャも閉塞感でつらかったけど、逃げ場のない狭い所での業務もまた閉塞感でつらいなり。明日がもうクリスマスでいいんですが、土曜出勤がまだ七回もあるんですよねー。あー長い、ほんとに長い、うんざりな。あと三カ月半のところまできましたがもつのかな、わたし。次をどうすればいいのか全くわからないまま、今が必死になっているわたしです。今回は遺品整理を手をつけることができません。また無職になったらしばらく滞在して少しずつ片付けていこうと思います。前職のカイシャにいながらため込んだもろもろのモノもまだまだ自分自身の中で整理がついていないことを感じます。いつまでとまっているんだ、っていう感じですがほんとにまだまだあるんです。広い実家でもう少し過ごしたいなと思いながらも、荷物一杯のせまい我が部屋も心配。ひたすら断捨離は続いていきます。前の前の引っ越しの時にはまだ捨てるという感覚がなかったので捨てたものもありますが、引っ越し後に買ってしまったモノもあります。それらを今必死に捨てています。いくら分のモノを捨てているのやらら、買わなきゃよかったなーと思いますが、その時の私は必要だと思って買ったものばかり。その時の私。時は移ろい、必要なモノも変わっていきます。新陳代謝は必要。少しずつ、少しずつ・・・。父との突然の別れが訪れた頃の手帳を読み返していたら、色々なことが重なって私どうにかなりそうなぐらい、ストレスと不安にまみれています。父の入院、七年余り続いた二人分労働のオーバーワークの果てのためこみ続けた怒り、自分は派遣、ハケン、母の病気、なんだかどうにかなりそうでした。父とのお別れから半年後には3.11が起こってさらに不安とストレスまみれ。カイシャの無意味な組織変えによってさらにカイシャに振り回されることとなり、つらかったですね。今もまだ消化しきれていません。がんばらなきゃよかった。

 2010年夏、酷暑でした。連日手帳に想いを書かないではいられませんでしたが抜粋です、おはずかしいかぎり・・・。

「2010年7月30日(金)、10時近くまで働いた。電車の中で汗が出続けてすごくつらかった。更年期障害のおばさんにきつすぎる冷房はこたえる。なんだか何重もの意味でほんとに仕事がしづらいなあ。やりにくいなあ。やりにくくって、微妙さに耐え切れなくなりそうで、叫び出しそうだ。今どこに行ってもこうなんだろうなあー。カウンセラーのY先生にTELしたい。やにりくさを何年もひとりで抱え続けてきた私の気持ちは誰にもわかるまい。なんだかほんとにやりにくい!!

2010年8月7日(土)、かかりつけ医院。スパでゆっくりお風呂と食事。睡眠は5時間ほど。きつい。誰のせいでもなく、会社の矛盾なのだがやりにくい。微妙だあー!自分のペースが崩れてしまうのは辛い。ある日突然仕事を分けあおうということになっても、素直に助かるなー、楽になれるんだなあ、わあいっていう思いになれない自分に気づく。何年もずっと一人で色々と抱え込むしかなかった気持ちの行き場がないし、急にしみついたペースは変えられない。誰にもわからない。私だけの思いだ。

2010年8月8日(日)、フォーウインズセミナー、ロバートソンフィルム、ケイト編。疲れたが勉強になった。幼児期の身体記憶、トラウマが精神疾患へとつながっていくこと、負の感情も受け入れていくこと、それは今の日本では難しいが等、W先生は深いし、あったかい人だなあ。

2010年8月9日(月)、少し涼しくなったように感じる。だが新しい状況にうまく適応できていないことを言葉にした。(たしか部長にメール送りました。)疲れる。さらにストレスがかかっていて辛い。辛抱しなければならない。いっぱい辛抱してさらに辛抱か。

2010年8月11日(水)、夏休み。久しぶりにたくさん眠った。昼間は蒸し暑い。気が抜けてかえってつらいかも・・・。

2010年8月12日(木)、ケースワーカーのMさんと電話で話した。休んだことでかえって出社日の負荷が増え、ちょっと後悔。すごいストレスたまっている。でも暑い中がんばっている人の姿をみるとめげてはいられないと思う。でも納得できない。すぐにはきりかわらない。私はそんな器用な人間ではないし、ドライではない。なんか合わないようあなあ。こらえろ!できるだろうか、これ以上やれない・・・。

2010年8月14日(土)、ゆっくり眠る。おそい昼食と夕食をかねて、外で食事。ストレスのせいでお茶代と食事代がかかっている。

2010年8月15日(日)、昼間は熱風。倒れそうだ。冷房がどこもきついので差がこたえる。y先生に手紙を書いた。なのにストレスで胃けいれんを起こしそうになっている。もうこれ以上がんばれない、という思いにかられる。でも、私には果たすべき役割があって今がある。and熱風のなか、がんばっている人たちもいる。ホットフラッシュがきついが、そのふたつのモチベーションで明日も会社へ行く。感情的にならない、熱い心と冷静な頭。訓練だ。できるだけ冷静に・・・。私には難しいが、辛抱したことはいつか人生の中で恵みとなってかえってくる。Y先生の言葉を信じよう。明日も暑い。親の入院の前に自分達倒れないようにしないと・・・。

2010年8月16日(月)、暑い。焦げそうなほど暑い。

2010年8月17日(火)、暑い。焦げそうなほど暑い。

2010年8月19日(木)、少し涼しめ。5時間眠っていないのですごく眠い。空気はおもくて辛い。

2010年8月20日(金)、少し涼しめ。でも外気との差はこたえる。ドライヤーをかけながら立ったまま眠っていた。きつい。

2010年8月21日(土)、美容院でカット。整骨院。平日は5時間ねていないし、外は熱いし、中は寒いし、すごくきつい。涙がでそうな。40Kgしかない。ちっちゃい体でよくやるよなあ。明日はエネルギーをふりしぼって家に帰る。ハケン会社もかわさなければならない。自分を守るために部長にメールを送ろうとしている。明日郷里は35度の予想。冷房がきつい分だけ体にこたえる。がんばれ、わたし。

2010年8月22日(月)、日帰りで帰省。あつかった。(父が七月から入院していた病院を見舞った後)、ワーカーのMさんに無理を言ってきてもらい、今後の方向性を話し合う。父は週に一回か二回看護士さんに訪問してもらい、必要であれば入浴介助もしてもらう。お弁当屋さんも変えてみる。母はKクリニックという往診もしてくれる所をあたってみることに。こちらは10月に入ってから・・・。こうして老いていくんだな。複雑な気持ちになった。(父と別れるとき、また秋に来るね、って言って別れました。88歳という年齢を考えればその時が最期になってもおかしくありませんでしたが自分の親がこの世からいなくなるという感覚が全くありませんでした。すごくさみしそうに帰る私の顔をみていて父の表情が今も忘れられません。)

2010年8月23日(月)、なんだか今の社会のシステムは、社会の有り様はおかしくて気持ち悪い。この自分の感性を信じて開き直る。

2010年8月24日(火)、暑い。このままN社で派遣として働き続けることが、私の人生の正しい道なのか。でも他に移るという選択は今、現実味をおびていない。だったら続けるしかないではないか。50歳を過ぎ、60になった時には自分はどうなっているのだろう。退職金はないんだよな。なんだか気持ちが不安できつい毎日。

2010年8月27日(金)、なんか疲れちゃった。このまま更新、更新で働き続けてどうなっていくのだろう。考えると不安でたまらない。本当に”今”でいいのだろうか。今収入を失うという選択肢はありえないが、50歳を過ぎた頃どうなってしまうのだろう。

2010年8月29日(日)、労働センターにTELして今の状況を話した。今時どこにいってもきついようだ。自分を守るためにさらなる負荷を背負い、またこれからの方向性もみていかなければならない。きついぞー。がんばれ、わたし。それにしあても私の負荷が見過ごされ、上が変わってそれに気づいた。だから人が増えた。その負荷を私が背負う。何とも変な話だ。

2010年9月1日(水)、今日も熱波。夜は虫の声。風も吹いているが熱い。気持ち悪いものをずっと感じ続けながら働いている。根本的におかしい。他の人はそう思わないのかな。私もそろそろなんとか新しい方向性を見い出していかなければならない。救急車のサイレンをきくと何か自分にできることがあるのではないかと思ってしまう。きついことだが・・・。

2010年9月4日(土)、スパ、あかすり。叫び出しそうな思いをこらえながら一週間が終わった。なんだかすごく疲れる。言葉に言いようがない。私がやりづらいと感じている。その意味はなかなか人には理解されないかもしれない。でもたしかに私には気持ち悪い。世の中の仕組みがおかしい。そのリスクを背負っているのかと思うとやりきれない。

2010年9月5日(日)、エンカウンターG。今日も熱い。いくらか風が涼しいが疲れる。今精一杯だ。中途半端に休むとかえって辛いので休まない。また一週間が始まる。叫び出しそうになりながら、それでもなんとかやっていかなければならない。がんばれ、わたし。モンゴメリさんが歩いた道を歩いた時、足元からエネルギーがわいてくるのを感じた。私は大丈夫だ。自分の感性を信じて歩き続けるのみ。

2010年9月10日(金)、疲れ果ててボロボロ。このまま恋愛できないまま、私の人生は終わってしまうのだろうか。

2010年9月11日(土)、酷暑は終わった。35度のようだが風は涼しい。季節は移り行く。今週もよくがんばった。なんとなく慣れないし、やにりくくて気持ち悪い。なんだか変だなあっていうものを抱えながら毎日が過ぎていく。もう開き直っているので誰がなんと言おうと心を開くつもりはない。私は私だ。

2010年9月12日(日)、蒸し暑い。父のことで朝から病院よりTEL入って、弟と連絡がつかないというのですごく心配して疲れてしまった。具合が悪くてずっと寝ていたらしいがMさんに様子を見に行ってもらって、最悪のことを考えてしまった。老いた親をみとっていくこと。自分にもこんな日がきたんだ。一日も早く母に適正な受診をと思うが平日は今自分が動きづらくて辛い。ストレスで叫び出しそうだ。どうにかこうにかなっていくのかな。どうにかこうにか生きていればいいんだよね。W先生の言葉がしみる。英語をがんばりたい。

2010年9月16日(木)、涼しい。ようやく倒れそうな暑さから解放された。疲れと寝不足で朝は起きられず、電車の中で熟睡。家のことを早くなんとかしなければならない。イラつくし、くらーい空気。でもわたしは平気だしどうでもいい。所詮ハケンなんだし、やった分だけお金が入ってくればそれでいい。早く抜け出したい。」

 父危篤のTELが病院から携帯に入ったのは16日のお昼休憩が終わった午後一番ごろだったでしょうか。(お昼休憩にいつも手帳にグチを書き綴っていました。)今夜か明日で危ないと・・・。携帯を持つ手が震えました。信じられませんでした。すぐに帰省しなければとN社の課長に話して、ハケンは半休がないので朝から一日有給休暇をとったことにしてもらいました。部署内のメーリングリストに、父危篤により数日不在となる旨メールを配信して自分の部屋に戻り荷物を準備するため、N社をあとにしました。こんどここへ来るときは父を見送った後になるのか、そんな想いでビルに別れを告げ、N社をあとにしたことを今でも忘れません。同時にわたし、ほんとにハケンに過ぎませんでした。
ほんとに、ほんとに・・・。きりがありませんね。長文、失礼しました。