たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

父とのお別れ

2016年09月18日 19時14分07秒 | 祈り
「2010年9月17日(金)有給休暇

 午後2時22分父が亡くなる。
 母のため、Kクリニックに行っていて待ち時間が長いので抜け出した。その最中だった。

 (わたしと弟が来るのを待っていたかのように、病院について見守っているとみるみる
 心拍数が落ちていきました。最期はゼロに。旅立った父の目には涙がにじんでいました。 最期までがんばりました。
 前日の夜、危篤状態に父に一生懸命呼び掛けました。「お父ちゃんどうしたんや」
 酸素マスクをした父が目を見開いてわたしを見つめた瞬間がありました。
 わたしが来ていることを認識できたと思います。

 お別れの前日、主治医にレントゲン写真をみせられるまで、父が若い頃結核を患ったこと
 を知りませんでした。長い間親子だったのに知りませんでした。黒い肺で何十年も生き続
 けた父の生命力に驚愕しました。


 娘に先立たれた父の人生は幸せだったのか。
 「幸せな人生やったか?」
 旅立っていこうとする父の顔をさすりながら、わたしは繰り返し繰り返し問い続けまし  た。枕元には私の部屋においている妹の写真を連れてきて置いていました。 

 最期を看取った弟とわたしはなにをすればいいのかわからず茫然としていました。
 看護士さんが旅立った父の身支度を整えてくれている間、近所に住んでいるおじさん
 (母の兄)に電話を入れるとすぐに駆けつけてくれました。
 そして最初にやってくれたのが火葬場の手配でした。
 そうなのか・・・。
 
 それから葬儀社の手配、医師の死亡診断書をもって役場で埋葬許可証をもらうなど怒涛の ようにやることがありました。茫然としながら、こういうことをやらなければならないの
 は大変なことでした。のちに母とのお別れのときに知ることになりますが、医者は死亡診
 断書に死因を書かなければならず、医者の目の前で亡くならなかった場合死因を特定する
 ための時間が必要になります。自宅で亡くなった母の亡骸は警察によっていったん総合病 院に運ばれ全身CTスキャンをかけられました。まずは事件性をうたがうのは警察の仕事。
 そこで医者によって死因が特定され、数時間後に母の亡骸は家に帰ってくることができま
 した。

 夕方、病院の安置室からカイシャに電話を入れました。亡くなったこと、翌週の水曜日ま
 で休むことを課長に告げました。それから車の手配がつくと、母をあまり刺激してしまわ ないだろうかと心配しながら父の亡骸を家に連れて帰りました。)

 2010年9月18日(土)

 通夜。

 (母はいつも通り過ごせるようにそっとしておきました。カウンセラーのY先生に相談し  て、病院に無理矢理連れて行くこともしなかったし、通夜・告別式は弟が喪主となって行
 いました。父が旅立ったことを認識できなくてよかったと思います。ただ母が好きで好き
 でたまらずに結婚した人の最期を看取ることができないのは、わたしの中でなんとも切な いものがありました。夜、弟は葬儀場に泊まり、私は母のいる家に帰ってなんとか眠りま した。弟は一睡もしなかったようでした。)

 2010年9月19日(日)

 告別式。


 (火葬場で妹の時はここだったなあと鮮明に思い出されました。お骨だけになってしまう
 となんだか夢をみているような心持ちでした。夕方には初七日がありましたが、もう亡骸
 がどこにもないのでいなくなったという実感がなくなりました。でもたしかにもうどこに
 も父はいないのでした。)


 2010年9月20日(月)敬老の日。

 (家の中に)残った父の洋服や散らかったタオル、引き出の毛布等片づける。

 (戦前のモノがない時代に育った父は色々なモノをため込んでいました。下着やら洋服や ら安いものがあると買い込んでいたようで、ものすごい量でした。もらいものなどもたく
 さんありました。残酷だと思いながらそのほとんどとお別れせざるを得ませんでした。つ
 まりビニール袋に入れてごみに出すということ。持ち主がいなくなるモノはただのゴミに
 なっていくのだと知りました。悲しいことですが、持ち主がいなくなればお別れしていか
 ざるを得ません。ビニール袋の中に入れたモノの中にはわたしが父の日や誕生日に贈った
 モノもあったと思いますが考えないようにしました。)


 2010年9月21日(火)有給休暇。

 (ハケンには忌引き休暇とかありません。有給休暇のなかで休むだけ。ハケン会社にはな
 にも連絡しませんでした。タイムシートの有給休暇の欄にチェック入れて、備考欄に忌引 きと書いただけ。わたしの雇用主であったハケン会社にはなんにも関係ないことなんだと
 よくわかりました。)

 役場へ死亡届提出。母の遺族年金の届け出用紙をもらう。銀行で必要書類確認。
 Kクリニックをあらためて弟と受診。
 役場で家屋は未登記であることが判明。
 夕刻社会福祉センターに行って母の介護保険申請。

 
 2010年9月22日(水)有給休暇。

 AM10時。介護認定調査。
 PM15時初の往診。午前中の疲れもあってか拒絶反応が起きてしまった。薬によって統合失 調症の症状が落ち着いているという診断だった。先生に慣れるのに時間がかかりそうだ。

 夕刻、疲れ果てて自分の部屋へ戻る。


 2010年9月23日(木)秋分の日。

 整骨院に行く。一週間ぶりに落ち着いて眠った。

 なんとなく悲しみがジワジワッときている感じがしてきつい。そんなに簡単に受け容れら
 れることではない。ゆっくりと向き合えばいい。なんだか疲れちゃった。仕事のあること がこういう時は有難い。忙しさが私を救ってくれる。明日は会社行くよ。
 今日お彼岸なんだなー。妹のこともまたぐわっときてしまう。こういう辛さと私はこれか
 らも向き合っていかなければならない。


 2010年9月24日(金)

 出社。お香典を集めてくれていた嬉しかった。」