たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

思いははるか遠くに

2015年08月21日 18時38分45秒 | 祈り
ちょうどあと一か月で妹の22回目の命日を迎えようとしていることもあり、先に逝ってしまった家族への思いがなんだか尽きないような感じになっているこの頃です。父が旅立ったのは2010年の9月。母が旅立ったのは2012年の2月。帰省して母の様子を見るたびに、「この人はなんのために生きているのだろうと」、自分の中で問いかける私がいました。いなくなってしまったから思えるのかもしれませんが、母が生きている、それ自体に意味があったということなんだろうと思います。先に逝ってしまった娘(妹のことです)を思いながら、自分に家で暮らし続けて最期を迎えたいとがんばった母。そのことを理解できたのはいなくなってしまってからでした。
家族って、血のつながりってなんでしょうね。答えはありません。

人生やり直しの時。迷いながらいろんなことをがんばってきました。ばらばらだったビーズがつなぎ合わされ、集約される時が訪れるのでしょうか。人はそう言ってくれますが、自分では全くそんな感じがしません。気持ちを現わすことのできない書類に自分をさらけ出して、アピールしていくのが本当に下手だし苦手です。やりたくありません。でもやらないと仕事は見つけられません。苦しいところです。

大震災と母とのお別れの後、気持ちが大きく揺れ惑うようになった私がいました。

「2012年4月14日(土)雨and寒い

アン・セミナーで、3章を読み終えて帰ってきたところだ。一年前と比べると、けっこう原文を読めるようになってきている。最近はインターネットからダウンロードした朗読も聞いている。読めば読むほど、きけがきくほど奥が深く、アンへの心の旅は果てしない。こうしてもうすぐ○○歳になろうというシングルのおばさんがアンに夢中になっているなんて、人から見れば気持ち悪いだろうな。でも、人がどう思うかなんてどうでもいい。大切なのは自分の感性だ。何が大切かだ。モノを書きたいという漠然とした思い。怒り、母のこと、妹のこと、大学を通信で卒業したこと、国家試験に受かったこと。今はばらばらにみえるビーズをつなぎあわせられないだろうか。
組織の意味のわからない都合に振り回されている場合ではない。どうしたら組織に属さないで食っていけるのだろうか。今の職場環境は、私の感性ではこれ以上無理だ。あり得ない。さっぱりついていけない。自分を生かしきれていない気がする。意味不明なことに徒らに消耗することばかりで、その先の展望はない。
これからの時間でやりたいこと、本を書きたいこと、哲学を勉強したい、旅に出たい、自死遺族に少し関われたらいいかな。自分の経験値から発信していきたいし、なにかそうしていかなければならない気がする。誰かに求められているわけではないし、必要とされているわけではない。ただ自分で勝手にそう思い込んでいるだけだ。
人はどこかの組織に属して生きているものだが、属さないでは生きていけないものだが、それにしても、組織に働く力ってなんなのだろう。得体の知れない何か。
私が感じている気持ち悪さ、違和感を共有できる人があると少し違うのかな、という気もする。
それにしても、それにしても、中井先生の『つながりの精神病理』に書かれていることがしみじみ実感できるこの頃だ。
母と妹がおしえてくれたことを還元していく、発信していく。今ここで留まっている場合ではない。ここは自分の場所ではない。何ができるのか、何をすべきなのか。
誰がなんといおうと自分の感性を信じるしかない。おかしいものはおかしい。
気持ち悪いものは悪いんだ。何かがおかしい。日々いろんなことを感じる、考える。
何がおかしいのか、ねじれているのか。民間レベルでがんばっている人たちがたくさんいるのもまた事実だ。でも国としてどこに向かっていくのか。みんなどうやって生きていくのか。
一人一人がちゃんと考えないでどうする。怒り。一人で怒ってたってしようがないという人もいるが、怒りはおさまらない。このままでいいはずがない。怒りについてこれからも考えていこう。」

乳幼児精神保健学会のW先生が、誠実な怒りを持つもの同士、静かに手をつなぎ合っていきましょうね、と仰ってくださいます。大切にしたいきたいと思います。

『エリザベート』終わってしまいました

2015年08月21日 00時15分59秒 | ミュージカル・舞台・映画
8月20日夜の部。貴重な最後の観劇も、あれこれと考えながら観ていたら、長いはずの3時間余りの舞台が今日もあっという間に終わってしまいました。
私にとって一番落ち着く組み合わせ。
城田さんトートを観たあとで、井上さんトートを観るといろいろと違うところに気がついて、
それぞれに個性があるので、どちらが好きかは人それぞれ。

やっぱり若い人たちが創り上げている舞台。重い話なのに、ビジュアルは少女漫画の世界。
エネルギーにあふれているし、トートダンサーのダンスがよりハードになっている?
振り付けは変わっていないと思いますが、場面場面ですごいハードなダンスをしているなとあらためてわかりました。千秋楽に向けて、よりエネルギーを集中させている感じが伝わってきました。
映像化しないなんて、もったいなさすぎ。

花ちゃんは本当にあっぱれ。より強く、場面によっては積極的で男前だと感じました。
井上さんトートの場面によっては少し戸惑っている感じの雰囲気と好対照で、さらに二人の
呼吸がはりあいつつも合っている感じがしました。
本当に不思議。舞台に立って衣装を着ると、エリザベートスイッチが入るんですね。
カーテンコールの、満足感にあふれた素の笑顔を思うと本当に不思議です。
井上さんもカーテンコールの表情に満足感を感じました。

書き始めるときりがありません。あす以降にまたぼちぼちと。

これで最後なんだなあと思うと帝劇の前を離れがたかったです。
写真なんてもう何度もとっているのに、同じやっぱり携帯で撮ったりして・・・。
(なかなかSDカードから取り込むのが億劫でアップできていませんが。)
名残惜しいけれどこれで私の夏は終わった感じがしています。
夜になると短い命を惜しむかのように鳴くせみの合唱の合間に、秋の虫の音色がきこえてくるようになりました。

ボタンのかけちがえのような年月を断片的に短い言葉で人にわかりやすく説明するのはすごく
むずかしいことなんだとわかってきました。私には無理だし、私よりもすごいヘン体験をしている人たちがいっぱいいるようなので私のことなんかたいしたことないのかもしれません。
でも10年以上の日々は長すぎました。
自分が馬鹿だったんだと悔やんでも、自分の甘さを責めても仕方ない。
それはそれとして消化していきながら、どうやってやり直せるのだろう。
まだやり直せるのかな。もう少しの辛抱なのかな。
疲れました。しばらくぼうっと何にも考えずに休みたいのが本音です。
そんなわけにはいきませんが・・・。

「私の命委ねる、それはわたしだけに♪」

ひとはみんな旅立っていく時はひとり。
花ちゃんはエリザベートの人生を生き切りました。
棺の上の表情がが崇高でした。