たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベート』六度目の観劇でした

2015年08月08日 23時03分28秒 | ミュージカル・舞台・映画
8月8日、昼の部を観劇しました。12時30分開演。満員御礼。

エリザベート:花總まり
トート:城田優
フランツ:田代万里生
ルドルフ:古川雄大
ゾフィー:香寿たつき
ルキーニ:山崎育三郎
少年ルドルフ:大内天

終わって外に出ると明るいのには、いつまでも慣れることができず変な感じです。

立秋の日、風が少し涼しい中、丸の内仲通りの緑の並木道を歩きながら思い出しました。
去年の2月の極寒の頃、大混乱に足を踏み入れることになることなど全く思いもよらず、そんなつもりは露ほどにもなく、ただ自分自身の尊厳を守るために、一人あたふたとしながらこの界隈を歩いていたことを。自分自身の気持ちの整理がどうにもつかず、相談窓口を出たあと涙を流しながら、カウンセラーの先生に電話したことを。

今年の2月、三菱美術館を出た後、凍えそうなほど冷たい風が吹きすさぶ中、同じ道を擦り切れた心身を引きずりながら歩き混乱を終結させるために、どう自分が決断し納得していけるのか、悶々と考え続けていたことを。

混乱の終結から4か月が過ぎ、気がついたら全く予想もしなかったかたちで、自分のしてきたことはどうやら無駄ではなかったらしいと思える流れの中に足を踏み入れることになりました。ほんの少しの勇気と出会いで、悔しさと苦しさを発露できる機会がめぐってきて、人と共有し合う機会がめぐってきて、自分自身でとても驚いています。

振り返ってみれば4か月前の私は、今の自分からは信じられないほどに本当に疲弊して、すり切れていてどうしようもありませんでした。こうして本来の元気を取り戻してきている今の自分からはもはや信じられないほどに怒りと悔しさばかりがふきだまっていて、どうしようもありませんでした。

時は流れました。去年の秋以来思わぬかたちで再会できた方に、華奢な体でがんばっている姿がとても印象的でよく覚えていますと言っていただき、すごく疲れていた様子のたんぽぽさんが今すごく元気になっているのがなにより嬉しいと言っていただき、今の流れにつながってきたことが素直に嬉しいです。こうしたがんばってきた私の姿を覚えてくださっている方々との出会いの中でしか回復していくことができない、大きな大きなことでした。自分で本当にびっくり。収入の手立てがみなえいまま、どこまでボランティアを続けていくのがいいのか自分でもわかりません。書類を送ったりもしているけれど、品定めされて選別されることに耐えられないのでまだ無理かもしれません。どこに流れていくのかわからないまま、もう少しこのまま進んでみようと思います。次の何かにつながっていくのか、それとも終わればまた、どこにも必要とされない孤独な日々が待っているのか・・・。

今日の舞台の詳細はまた後日あらためますが、思いつくままにいくつか。

ルキーニの歌唱が安定しないと舞台全体の雰囲気がずいぶんちがってくるのだと感じました。
演じ方に好みはいろいろあれど、山崎さんの歌唱は今さらながらに確かなものでした。
存在は主張していなくても、気がついたらルキーニの声が流れて舞台をつくっている、
そう感じる場面がいくどかありました。
オーケストラボックスに落下した小鳥ちゃんがどうなったのか気になります。
「キッチュ」での客席との間の取り方がうまいですね。
ルドルフの棺にすがりついてなくシシィの写真を撮り、残酷なまでに「シシィはものすごいエゴイスト、不幸さえも切り売りする」と歌うルキーニ。2000年の初演で高嶋さんルキーニが
歌うのをはじめて聴いた時は衝撃でした。この場面をみると、この時の衝撃を思い出します。なにくそと孤独の中で闘い抜くシシィをシングルキャストで演じ切った一路さんのエネルギーはすごかったと思います。時は流れ、自分を信じて生きていくしかないシシィへと、花ちゃんシシィは変わりました。
今回の舞台に、高嶋さんルキーニが登場したらどうなるのかな、ふと思いました。
ビジュアル的にちがいますかね。
この人にしかできない像を創り上げた高嶋さんルキーニはやはりすごかったです。
12年間シングルで演じ通しました。

バートイシュルのお茶会の場面で、今日のシシィは紅茶を二杯もがぶのみしていました。
「鹿よ」と、嬉しそうに追いかけていく姿も毎回少しずつ違う感です。
鉄砲で鹿を射止めたフランツの嬉しそうな表情。
天真爛漫な野性味あふれる自由人のシシィにフランツは惹かれただろうに、皇帝だったばかりに、一番素敵なところを抑えながら生きていくよう言うしかなかった。
毎回ですが、最初の出会いの「幸せになりましょ」と生き生きとした笑顔で歌う場面と、「夜のボート」の「いつか互いの過ちに気づく時がくるでしょ」と歌う場面とが同じメロディラインなので切ない。これが最後の出会いで、互いの過ちに気がつかないまま、シシィは旅立っていくことになります。
悪夢の場面で、今日はフランツの「ナイフだ」と叫ぶ声がひときわ聴こえました。
「皇后の姿がない」と気づいてから、ルキーニを止めようとなんども必死にしがみついていこうとするまで、シシィへの愛にあふれているだけに、なんでシシィを孤独に追い込んでしまったんだろうと思ったり、不貞はイメージしにくいなと思ったり・・・。
田代さんが生来もつ品のよさを感じさせるフランツだと思いました。

古川さんルドルフ。美しく汗だくでしたね。歌がいちだんとよくなっていました。
パパと対立し、革命に失敗し、ママがパパに助言して助けてくれなかったら、あとはトートに誘われていくしかなかったのだとあらためて思いました。シシィの政治の話はもううんざりという表情が、ほんとうにすごくうんざりな感じで、ルドルフは行き場がなくなってしまいました。「ママもぼくを見捨てるんだね」と坐り込む姿が、ママの愛を求めてやまない少年時代のルドルフを感じさせる小さなルドルフにみえました。

少年時代のルドルフが、銃を手にして「昨日もネコを殺した」と歌う時。井上さんトートが目をぎょっとさせるのに対して、城田さんトートは、おや、ほほうっていう感じで子ルドの顔をのぞきこむかのように見つめていました。

登場人物の中で、トートだけが実在しない、シシィとルドルフ、さらにはルキーニの中に内在化された存在なのだと終わって今さらのように思いました。城田さんトートはより生身の人間ではなく黄泉の帝王を感じさせます。使徒のように従い、時には風のように踊り、時には天使になり、時にはあやしく黄泉の国へと誘い込もうとするトートダンサーのダンスは、よくみているとハードで芸術品。お一人お一人見分けるのはなかなかですが目に焼き付けます。

まだつらつらと思うところがありますが今日はここまでにします。
少しのつもりが書き連ねてしまいました。
新しいことを複数で始めるとなると、手分けしてやらなければならないことや確認事項がいくつもあり、自ずと受け持ちになったところをやったりしているので更新の頻度が落ちていますが、書くことはやめられないので更新できる時はしていきたいです。

(トップの写真は、城田さんトート。東宝の公式フェイスブックからお借りしました。)