たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『八月十五日と私』_はしがきより

2015年08月14日 17時42分12秒 | 本あれこれ
「八月十五日と私」の手記を放送し終わったとたん、モーニングショーの部屋の電話が一斉に鳴り出した。何れも昭和二十年八月十五日を境に、戦争というものが人間の生活を如何にかえてしまったか、あらためて八月十五日の意義を感じたというものばかりだった。私あてに送られた中学生の感想に「自分は戦争は知らないが、八月十五日の手記を聞いてわかるような気がした。そして今日一日一生懸命勉強した。何かをしなければならないという気持ちが自分を机に向かわせたのだと思う」と戦争体験のない世代からのものも大分あった。

 ところで寄せられた手記の冒頭には、「八月十五日ということばを聞いたとたんに書き始めた」という方、中には目の不自由な方から恐らく一つ一つの点示に思いをこめたであろう手記も印象に残るものであった。ある主婦は「ここ数年ぶりにペンをとったのがこの手記であった」という、中でも満州、朝鮮、台湾からの引き上げの手記が半数以上を占めていたことはいかに外地からの引き上げが悲惨をきわめたか、満州引き揚げの際無蓋車に押し込まれた避難民の一人であったという北海道の主婦からは、「私の赤ん坊が押しつぶされて死んでしまった。泣く泣く満州の土に埋めて来た」という手記と、符節を合わせるように九州の方からは「私のそばにいた婦人の赤子が押しつぶされて見るも無残な情景を思い出す、」恐らく一緒の貨車に乗り合わせた人だろう。偶然が随所に見られた。そして「今やっと静かに振りかえることができるようになったのもやはり二十年の歳月を経たからだろうか」等々すべて胸をうつものばかりである。

 とにかく手記全部を発表できないなら一部でもいいから出版してほしい、そしてこの手記が平和への道標となることを願って止まないという視聴者の希望が実現されたことは、非常に意義のあることだと思う。出版の労をとって下さった社会思想社に感謝しています。
                              
                               木島則夫」

( 現代教養文庫『八月十五日と私』社会思想社、昭和40年発行より。)



4月1日の記事も合わせてご覧いただければと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/dedba664bdb025ce91e25a81b569aadc