65オヤジのスタイルブック

今年の漢字と書について

日本漢字能力検定協会の募集による「今年の漢字」は「絆」に決定しました。

毎年、京都清水寺の森清範・貫主により揮毫される一字を見ると師走の空気を感じます。

今日、ふとラジオで、貫主の字を見て下手と言う投書を聞きました。

素人目で見るとそんあ意見もあるかと、少し驚きましたが、お茶の席で、用いられる掛軸にしたためられた書を墨蹟と言います。

元来、禅宗の僧侶や高僧には、代々伝わった独特な筆跡や個性的な文字が特徴です。

それを下手と思うのは、本来の書の世界を知らないがゆえの言葉で少し残念に思います。

どじょう内閣で話題となった、相田みつをの書など、下手な字と見られても不思議でないですが、その言葉と共に、書としての存在感が人々を惹き付ける力となっています。

名古屋で有名なタレントで書家の矢野きよ実さんが、「書は習字と違い、その人の自由な表現で下手やうまいと言う事はない」と言うような事を耳にしたことがあります。

彼女は、今回の東日本大震災で、被災した子どもたちに、書のワークショップを通して、励ましと癒しのの活動をされています。

書家は、基本を習得した上で(習字)、自身の表現としてそれぞれの書の世界があります。

芸術家は、一様に基本の習得の上に、自己表現があるものです。

僧侶においては、修行の上に、言葉でも導きがあり、その一つが墨蹟といえるのではないでしょうか?

確かに、下手な坊主や文人の書があるのは事実です。今の政治家の書など、知性と教養のカケラもないものが多いです。

書は、特にその人の生き様や個性が現れるものです。ある意味怖い存在です。

少なくとも、毎年のしたためられる、今年の漢字の一字には、貫主の祈りや明日への願いが感じられます。


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