10年前の今日、北海道での生活が始まった。
出発の大洗港では寂しさと不安でいっぱいだった。
友人たちに見送られながらフェリーに乗り込む時、携帯が鳴る。
「ターミナルで見送ってますね」と母親からのメッセージ。
フェリー乗り場からターミナルを見ると、
大きく手を振る父親と、その横でニコニコしている母親。
その光景は忘れることなく、はっきりと思い出すことができる。
それまで、喧嘩をしたり逆らって反抗したり、
自分は早く親元を離れて生活して自立したかった。
好きな場所で好きなことを思いっきりしながら暮らしてみたかった。
そんな自分を両親は快く思っていないものだと思っていた。
でも、大洗港まで見送りに来てくれた両親を見て、
誰よりも応援してくれているんだと感じた。
10年間を振り返ると、
頑張っていたのか、ただ自分の好きなことを好きなようにやっていただけなのか、よくわからない。
約3年前に母親が亡くなり、自分が北海道で暮らしていることが間違ってるんじゃないかと思い、
「自分が北海道に行ったことは間違ってたのかなぁ」と父親に聞いた。
父親は「何を言ってるんだ。お父さんもお母さんも、お前が遠く離れた北海道で頑張ってるんだって、いつも周りの人に自慢してるんだぞ。」と怒った。
その言葉は何よりも自分に力をくれた。
まだまだ、たぶんこれからも今の自分が選んできた道が正しかったのかどうかなんて決められないけど、
自分で選んできたことを、しっかりやっていきたいと思う。
遠く離れていても、どんなに会えなくても、
誰よりも自分のことを心配してくれて、応援してくれていることを決して忘れてはいけない。
その人たちを裏切ることのないように、思いに応えるように頑張らなきゃいけない。
「自分たちがここで暮らしていることは間違いじゃない、ここで暮らすことは良かったことなんだ」と自信を持って言えるようになりたい。
出発の大洗港では寂しさと不安でいっぱいだった。
友人たちに見送られながらフェリーに乗り込む時、携帯が鳴る。
「ターミナルで見送ってますね」と母親からのメッセージ。
フェリー乗り場からターミナルを見ると、
大きく手を振る父親と、その横でニコニコしている母親。
その光景は忘れることなく、はっきりと思い出すことができる。
それまで、喧嘩をしたり逆らって反抗したり、
自分は早く親元を離れて生活して自立したかった。
好きな場所で好きなことを思いっきりしながら暮らしてみたかった。
そんな自分を両親は快く思っていないものだと思っていた。
でも、大洗港まで見送りに来てくれた両親を見て、
誰よりも応援してくれているんだと感じた。
10年間を振り返ると、
頑張っていたのか、ただ自分の好きなことを好きなようにやっていただけなのか、よくわからない。
約3年前に母親が亡くなり、自分が北海道で暮らしていることが間違ってるんじゃないかと思い、
「自分が北海道に行ったことは間違ってたのかなぁ」と父親に聞いた。
父親は「何を言ってるんだ。お父さんもお母さんも、お前が遠く離れた北海道で頑張ってるんだって、いつも周りの人に自慢してるんだぞ。」と怒った。
その言葉は何よりも自分に力をくれた。
まだまだ、たぶんこれからも今の自分が選んできた道が正しかったのかどうかなんて決められないけど、
自分で選んできたことを、しっかりやっていきたいと思う。
遠く離れていても、どんなに会えなくても、
誰よりも自分のことを心配してくれて、応援してくれていることを決して忘れてはいけない。
その人たちを裏切ることのないように、思いに応えるように頑張らなきゃいけない。
「自分たちがここで暮らしていることは間違いじゃない、ここで暮らすことは良かったことなんだ」と自信を持って言えるようになりたい。