東京2020オリンピック(五輪)開幕まで1カ月余りとなった。オリンピックを盛り上げるのは選手の活躍だけでなく、音楽も貢献している。57年前の東京オリンピックでは「東京五輪音頭」が大ヒット。アジアで初めてのオリンピックというお祭りムードを盛り上げた。その後、NHKや民放各局が中継や報道番組のテーマソングを決め、音楽でも感動を増幅させている。夏のオリンピックと音楽の歴史振り返る。【笹森文彦】

三波春夫の「東京五輪音頭」のジャケット三波春夫の「東京五輪音頭」のジャケット

64年10月、国立競技場で東京五輪開会式が行われた64年10月、国立競技場で東京五輪開会式が行われた

夏季五輪のテレビ各局テーマソング一覧夏季五輪のテレビ各局テーマソング一覧

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 日本は12年(明45)の第5回ストックホルム大会(スウェーデン)で初めてオリンピックに参加した。アジアから初参加で、選手2人ながら大歓迎を受けた。1世紀以上前である。

 オリンピックに関わる音楽が日本に登場するのは、第10回ロサンゼルス大会(32年=昭7、アメリカ)からと言われる。このころ日本コロムビア、日本ビクター、ポリドールなどのレコード会社が成長した。

 前回の第9回アムステルダム大会(オランダ)で、日本人が初の金メダルを獲得。大いに盛り上がり、ロス大会には192人の大選手団を送り込んだ。応援歌なども多数制作された。その代表が「国際オリンピック選手派遣応援歌~走れ大地を~」である。

<歌詞>走れ大地を 力のかぎり 泳げ正々 飛沫(しぶき)をあげて 君等(ら)の腕は 君等の脚は 我等が日本の 尊き日本の 腕だ脚だ

 朝日新聞社が歌詞を募集した。約5万点の中から、当時17歳だった斎藤龍さんの作品が選ばれた。「走れ大地を」として山田耕筰氏が作曲し、歌手中野忠晴が歌唱した。開幕約2カ月半前の32年5月15日夜に朝日講堂で大々的な発表会が組まれた。しかし、その日に犬養毅首相が殺害される五・一五事件が起き、発表会は中止となった。

 4年後の36年(昭11)の第11回ベルリン大会(ドイツ)は、ヒトラー政権下で開催された。応援歌などが定着し「あげよ日の丸」(中野忠晴)などが発表された。大会後には「前畑(秀子)頑張れ!」の名実況を生んだ競泳女子200メートル平泳ぎ決勝のライブレコードも発売されている。 

 この年の国際オリンピック委員会(IOC)で、40年(昭15)に東京で第12回大会が開催されることが決定した。すぐに「オリンピック選手歓迎歌」(伊藤久男)「東京オリンピック」(古川緑波)「青春オリンピック」(林伊佐緒)などが制作された。しかし、日中戦争などの影響で、日本政府は38年7月に実施を返上。幻の五輪ソングとなった。

 戦争の時代でも「平和の祭典」には音楽があった。戦後、ますます結び付きを強くした。新型コロナウイルス感染症の中であっても、その強固さは揺るぎないはずである。

 ◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)

 北海道札幌市生まれ。83年入社。72年の冬季札幌オリンピックは中学生で「銀盤の妖精」と呼ばれた女子フィギュアスケートのジャネット・リン(当時18)に恋した。部屋中に彼女のポスターを貼り、彼女に会うため貯金箱をつくり渡米計画を立てた。貯金はしばらくして頓挫。フィギュアスケートは無理だが、スキーで次の五輪に出れば会えると、国体予選の大回転にエントリーも、わずか第3旗門で転倒し棄権。夢破れた。血液型A。

 <五輪と日本の歌メモ>

 戦後日本の夏季オリンピックと音楽のアレコレです。(取材協力=一般財団法人古賀 政男音楽文化振興財団)

 ◆第15回ヘルシンキ大会(52年、フィンランド) 第2次世界大戦後、16年ぶりに日本が参加した。64年の東京大会で「東京五輪音頭」が競作となったが、この大会でも「オリンピックの歌」(作詞・山田千之、作曲・高田信一)が競作となった。灰田勝彦、長門美保、藤山一郎、瀬川伸、竹山逸郎らが歌った。ヒット曲「上州鴉」でNHK紅白歌合戦に出場した瀬川伸は瀬川瑛子の父。

 ◆第18回東京大会(64年、日本) 開会式では古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」が演奏された。「東京五輪音頭」(作詞・宮田隆、作曲・古賀政男)が初の大会公式テーマソングで、三波春夫(テイチク)橋幸夫(ビクター)三橋美智也(キング)坂本九(東芝)北島三郎と畠山みどり(日本コロムビア)大木伸夫と司富子(ポリドール)つくば兄弟と神楽坂浮子(ビクター)の6社競作となった。この他「この日のために~東京オリンピックの歌」(三浦洸一と安西愛子)「バンザイ東京オリンピック」(面高陽子)「さあ!オリンピックだ」(平尾昌章と伊藤アイコ)など数々の関連歌が発表された。また、この年「東京の灯よいつまでも」(新川二朗)「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ)「東京ブルース」(西田佐知子)「サヨナラ東京」(坂本九)「恋の山手線」(小林旭)「あゝ上野駅」(井沢八郎)など、東京にまつわる作品がヒットした。

 ◆第24回ソウル大会(88年、韓国) NHKが初めて中継や報道番組のテーマソングを制定した。その第1号がヘビメタの女王として人気だった浜田麻里の「Heart And Soul」。NHKは以後、92年のバルセロナ大会(スペイン)で寺田恵子、96年のアトランタ大会(アメリカ)で大黒摩季、00年のシドニー大会(オーストラリア)でZARD。そして16年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)で安室奈美恵と主に女性歌手を起用した。ちなみに冬季五輪でも、リレハンメル大会(94年、ノルウェー)は高橋真梨子、ソルトレークシティー大会(02年、アメリカ)はMISIA、トリノ大会(06年、イタリア)は平原綾香だった。NHKに続き、民放各局も各大会でテーマソングを決めた。