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●「安倍政権への怒りと原発再稼働反対への思い」を語る吉永小百合さんを支持します

2015年08月28日 00時00分46秒 | Weblog


asahi.comのインタビュー記事【吉永小百合さんインタビュー 「何度でも言います。戦争はだめ」】(http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/weeklyasahi/product/2015081700002.html?iref=comtop_fbox_d2_02)。

 「「戦争はだめ、核もだめ」……吉永小百合さんが、戦争の愚かさ平和の尊さを語った」。

 以前のインタビュー記事でも、「「安倍政権への怒り原発再稼働反対への思い」「憲法改正、特定秘密保護法などに動く安倍政権の危険性」「原子力の平和利用なんてない」「「核と人は共存できない」 対談で語った吉永小百合」さん、どうやら本気のようだ」。「〈僕は戦争に行きますよ〉と、答える人もいて……。そう答えた人の頭の中にある戦争は、ゲームやコミックスで知っている戦争ではないかと思うのです」とも言います。
 いま、吉永さんに続く、俳優や芸能人がポツリ、ポツリと現れ始めています(【鶴瓶やSMAP中居も 芸能人「安保反対」大合唱のインパクト】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/162965)、【ついに鶴瓶が安保法制と安倍政権にNOを突きつけた!「お前なにをしとんねん!」「変な解釈絶対したらあかん」】(http://lite-ra.com/2015/08/post-1369.html))。このまま壊憲法案・戦争法案をアベ様の思いのままにさせていいのか?

   『●「『平成の治安維持法』をつくった総理」の
       非常に危険な思い入れ、それに手を貸す責任

   『●吉永小百合氏の原発廃止発言
   『●吉永小百合さん、「核と人は共存できない」
            「ゲームやコミックスで知っている戦争ではないか?」


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http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/weeklyasahi/product/2015081700002.html?iref=comtop_fbox_d2_02

吉永小百合さんインタビュー 「何度でも言います。戦争はだめ
2015年08月20日 (5600文字) 週刊朝日

 映画「母と暮せば」(山田洋次監督、松竹)の撮影を終えたばかりの俳優・吉永小百合さんに戦争や核などの話を聞いた。戦後の高度成長が終わった日本は、軽軍備・経済優先の路線に区切りをつけ、安全保障などで新しい時代に入りつつある、とも言われる。「演じることで戦争も原爆も学んできた」という吉永さん。岐路に立っているようにも見える今の日本は、吉永さんの目にはどう映っているのだろうか。

◇「戦争はだめ、核もだめ
◇演じることで戦争を学んだ
◇原爆詩を朗読して一字一句を大切に
◇戦争と平和、もっと語って


戦争はだめ、核もだめ

 戦争の犠牲者に祈りを捧げる夏を迎えた。戦後70年。焦土からの驚異的な復興と、平和な社会をつくりあげながら、安全保障政策で今、日本が岐路に立つ。戦後に寄り添い、数多くの映画に出演してきた吉永小百合さんが、戦争の愚かさ、平和の尊さを語った。


 数日前に映画「母と暮せば」の撮影を終えたばかり。12月の公開に向けて、撮影中とはまた違う忙しさです。私にとっては119本目の出演作になりました。救急車だと言って笑っているのですけど、テーマが長崎の原爆ですから、戦後70年の今年のうちに公開しようと、スタッフみんなで頑張っています。

 この忙しさに追われている間に、安保関連法案が衆議院で強行採決されてしまいました。映画関係者らでつくる「映画人九条の会」の反対アピールの賛同者に加わりました。

 振り返ってみれば、私は10代で映画の世界に入ってからは、演じることで、社会も戦争も原爆も学んできたと思っています。さらに人との出会いによって、平和や核のことを考えてきました。もしも作品で出合わなかったら、私は原爆も戦争もここまで考えることはなかったのかもしれません。でもまた同時に終戦の年に生まれた一人として、考え続けなければならないんだろう、という思いも持つのです。

 私自身、父や母に戦争について聞いたことは、ほとんどありませんでした。南方戦線に送られていた父が病気で倒れたために帰還できて、私が生まれたことは、それとなく聞いています。また、私が生まれる直前に東京大空襲がありました。だから、私はこの世に生まれ、生かされたことに感謝しなければいけないと思っています。生まれなかった命も生まれてすぐに奪われた命もあるのですから。

 母からは、私が生まれたころは、食べるものもないし、母乳も出ないし、いきなりみそ汁をふくませたとか、私を背負って神奈川県の農村へ食料を求めて通ったとか、そんな話を聞きました。子どもを連れていると、いくらか多めに野菜や牛乳などを分けてもらえたそうです。戦中から戦後へ、親の世代が体験した話を、もっともっと聞いておくべきだったと今になって悔やんでいます……。
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